牛心山(Niu xin shan)登攀記
2002年8月


                                   
ベース付近からの牛心山。ルートは右端になる


 遠い日の夏休みには、むっとする草いきれの底に毎日新しい発見があった。蝉時雨の梢に心躍る冒険があった。緑陰にたむろし友人と秘密を共有した。そして夏の終わりを告げる蜩の声に悲哀を感じた。今回の山行はまさにそんな余韻を残していった。誇張でもなく韜晦でもなく。それは何ら拘泥するもののない純粋な喜びだったのかも知れないし、子供じみた単純な楽しみに過ぎなかったのかも知れない。しかし私はあそこにいたのだ。吹く風に心を靡かせ友人の笑みに安らぎを覚えて。それは全く確かなことだ。

出会い 5月4日

 九州の花崗岩の王国、比叡山と鉾岳の間に、宮崎の名クライマーであり酩酊クライマーでもある三沢澄男さんや工藤利光さんらの建てたささやかな登山基地、庵・鹿川(ししがわ)がある。そこで私は初めてその男に会った。夜更けて上がり込んだ囲炉裏端に、その蓬髪の男はでんと腰を落ち着け、見慣れぬ岩塔の写真や地図を得意そうに広げ、欠けた歯を見せてにこやかに笑いながら言った。
 「今回は、ここに行くメンバーをスカウトに来たんですよ。どうです、この岩塔の見事な形。しかも全部未登峰ときてるんだから。日本からも近いですよ。成田を発って翌日はもうベース入りです。手はずも全て僕の方で整えますよ。なに、高峰といっても緯度は低いから、北アルプスの夏山の感じです。今回の目標はそこまで難しくないから屏風岩を登れる力があれば十分です。トレーニング? そんなものはいらないでしょう」
 熊本の生田愁子さんにその男を紹介されて、資料を眺めること5分。写真の岩塔の素晴らしい屹立ぶりと、男の詐話師と見まごう話しぶりにすっかり引き込まれ、「私も行かせてもらいます」と答えていた。それが隊長・大内尚樹さんとの初めての出会いだった。おそらく他のメンバーも、同じ話術で引き込まれたに違いない。
 しかし怪訝さの度合いは大内さんの方が大きかったのではないか。「垂らした糸にダボハゼみたいにパクッと食らい付いてきたねえ」とは後に彼が語った言葉だ。どこの馬の骨とも知れない男がよくよく考える暇も見せずに、という言外の含みがあったのかも知れない。
 それはともかく、計画はこうだった。まず、横断山脈の一つで、中国四川省の首都、成都から車でまる一日ほど走った所にある四姑娘峰を擁するチョンライ山系の牛心山(五千メートルに少し満たない高さだが、正確な数値はわかっていない)の初登を行う。それからポーターを引き連れて(あるいは引き連れられて)峠を越え、来年の為に他のもっと高い岩峰を偵察しつつトレッキングで巡っていく。資料はかの地の踏査のたぶん唯一のエキスパートである中村保氏が撮った写真ならびに軍事機密であるにもかかわらずどこからか入手した地図。無数の五千メートル級の岩峰群は、プニュー(神山、Celestial Peak。1983年にアメリカ隊が初登)の他幾つかが登られただけで、後は全く手つかずの状態にあった。

 
旅の始まり 8月1日

 「こんばんは。おはようございます。この時間、日本人はどちらを使いますか?」
 午前1時の成都の空港で、中国側スタッフ、雪豹体育山岳公司の李慶(リ・クィン)さんは流暢な日本語で尋ねてきた。これは私たちにとっても「スイカは果物か野菜か」と問われる以上に困難な質問だった。この闇の深さからは前者が適切だが、今から車で旅立つことを考えると後者がしっくりくるような気がした。
 日本側のメンバーは、隊長の大内さん、早大5年生で単位が無事揃えば来年はNHKで報道カメラマンになる予定の吉田泰三君、そして私の先発隊3名。残りのメンバー、柏瀬祐之さんと山崎洋介さん(どちらも面識がない)は二日後にベースキャンプで合流する予定だった。中国側は李さんの他に、山岳協会の連絡官(リエゾン・オフィサー)でガイドとコックも勤めてくれる誠実な高敏(ガオ・ミン)さん、通訳で四川大学2年生のチャーミングな高玲(ガオ・リン)さん、運転手の計4名。
リエゾン・オフィサー兼コックの高敏氏


香辛料の香りの淀む町中の、公安がこない時間にこっそりと繁盛している屋台で、髪の先までひりひりする四川料理の最初の洗礼を受けながら、今後の打ち合わせを行った。それから日本よりも速度制限の緩い高速をひた走った。
 料金所やガソリンスタンドで働いていたのは全て女性だった。「給料も男性と一緒ですよ」と李さんは言ったが、確かに「天の半分」どころか七割六分三厘くらいは女性が支えているのではないかと思われた。
 夜明け前に何やら怪し気にライトアップされた日本風の庭園のあるホテルで仮眠を採る。従業員も靴に浴衣風の衣装。

初日に泊まったホテル 日本風の庭園


起きてから歯を磨いている途中で断水し、口の中の歯磨き粉の持って行き場に文字通り閉口した。庭では男性の従業員が蛇の処理を始めた。大内さんは「僕は蛇が一番嫌いなんですよ」と腰を引きながらもカメラだけはしっかりと向けていた。

蛇を掲げる従業員 もちろん食用



 キャベツやトウモロコシ、玉紫陽花の道を抜けてどんどん走っていく。
 「去年までは舗装されてなかったのに、今年はもう立派で長大な道路になっている。全部人海戦術でやってるんだから、大したもんだ」
 花の撮影で何度もこの辺りを訪れ(牛心山にはその時に目をつけたとのこと)、去年もジャージンジャボの岩塔を吉田君と初登している大内さんはそう説明してくれた。
路傍の植物

 しばらく進むうちに、停車している車の列に突然遮られてしまった。車を降りて列の最前部を覗きに行くと、土砂崩れで道が塞がっていた。しかも時折岩くずが転がり落ちてくる。

途中で土砂崩れに遭う 道路は通行止め


 (これは少なくとも二、三日は足止めだな。成都に引き返すのだろうか。それとも別のルートから大回りして行くのだろうか)
 至極常識的な心配をしていると、大内さんは悠然と路傍の花を撮り始めた。大学の先生時代はシダ類を研究し、今は花の写真集まで出している植物の専門家でえある。それから道端にシートを広げて「お茶でも沸かそう」と玲さんに通訳させていた。
 「こりゃ、初手から計画変更ですね」
 彼は私の問に笑って答えた。
 「なあに、よくあることですよ。日本では確かにそうなります。でも、ここは中国ですよ。まあ、見ててご覧なさい」
 ガソリンストーブを点けたところで突然列が動き始めた。
 「ほらね」
 どうやらドライバー達が得意の人海戦術で車の幅だけ岩を取り除いてしまったらしい。荷物を片づけて車に乗り込んだのも束の間、再び列は停滞した。新たに崩れ落ちてきた岩で再び道路は閉鎖になっていた。
 何人かを車に残して、今度は我々のチームも人海戦術の輪に加わった。岩が落ちてくるたびに皆は飛び退き、再び除去作業に励む。数十分の後には私たちの車は崩壊地の向こう側に抜けていた。

ドライバー達の人海戦術で何とか車が通れるようになった


 さらに走り、海抜四千メートルを超える峠のお花畑で、高度順応も兼ねて、しばし撮影タイムを採る。
途中の4000mを越える峠からの眺望



深い谷が切れ込んでいる

ヤクが近寄ってきて、通訳の玲さんが花畑の中を軽やかに逃げ回っていた。
「まぼろしの」青い芥子、ブルーポピー


 日隆(リーロン)の日月山荘で早めの夕食を採り、チェックポストで入場料を払い、双橋溝沿いに舗装された観光道路を遡る。

日隆の町並み





日月山荘


日月山荘で食事をすることに


食事は当然、四川料理 山椒が効きすぎ!


双橋溝の入り口 右手にチェックポスト


双橋溝の入り口で荷物をトラクターに積み直す



 「ここも去年は舗装なんかされてなかったのになあ。こんなに長い距離をこんなに短期間で、しかも重機なんか使わないでやるんだからなあ」
 大内さんはしきりに中国人民の手仕事の偉大さを褒め称えていた。
 「でも、一雨来ればすぐに土砂崩れだな」
 確かにコンクリート舗装の道は立派な代物で、観光バスがなんとか離合できる広さもあるが、路側の崖はやっと止まっているような危うい岩が剥き出しだった。
 車の入る最終地の紅杉林(hong shan lin)に着いたのは暗くなってからだった。


紅杉林 高峰に懸垂氷河がかかる


立派な石碑に彫られた高度は3840mと読めた。香ばしい匂いがする。カラフルなパラソルの下では、地元のチベット族の人たちが観光客相手の串焼きを焼いていた。ヤクの肉、ジャガイモ、怪しげなキノコがバーベキューよろしく煙を上げていた。後で聞いたところでは、観光地に指定されているこの場所ではこれらの露店は違法で、公安の目を盗んで密かにかつ賑やかに営まれているとのことだった。
紅杉林 車はここまで 観光地になっている


パラソルの傍では男や女が荷箱に布をかぶせて即席にこしらえた卓を囲んで賭麻雀をやっていた。こちらの牌は背中がブルーで私たちの知っているそれの二倍以上の大きさがある。字牌はない。当然ルールも違うようだ。
 降り出した小雨の中、急いでテントを設営する。もちろんこれも違法だろうが、なに、朝までの緊急避難的措置というやつだ。


まだ未踏の牛心山



 
  偵察 8月2日〜4日

ポーター達とともにベースへ向かう


 朝、ポーター16人に荷物を運んでもらい、紅杉林からさらに三十分ほど草原やお花畑や林を登った小川の傍の草地にベースを張る。
ベース周辺の景色



ベースを定める

高度は3900mほど。私たちのテント、通訳の玲さんのテント、食堂テント兼ガイドの敏さんの寝室テント、それから炊事用のタープの小屋がけ。予定ではトレッキングで通過する峠にもっと近いところに設営するはずだったが、牛心山へのアプローチが遠くなってしまうという理由でその場所に決定した。
とてもいいロケーション



 正面に目指す牛心山、背後に鋭角に天を指す岩峰(これは後で、尾根の末端に過ぎないことがわかった)。
牛心山を仰ぐ


幾筋もの滝がかかり、更に向こうにはこの辺りの最高峰、雪を纏ったアピ山が覗く。
この辺りの最高峰 アピ山

頭を巡らせば、高山に特徴的な針葉樹の林の背景にこれも雪化粧の玉兎峰。そこから高度を落として、トレッキングで通過する峠が険悪なガレを見せている。辺りには草の薫りが立ちこめている。
 昼前から牛心山のアプローチと登攀ルートの探索に出かけた。ベースと岸壁の間には流れがあり、事前の情報ではどこかに丸木橋が架かっているはずだった。紅杉林から観光道路を外れ、木立の中の踏み跡をたどった。踏み跡といっても、人間のものばかりではなく、放牧しているヤクの跡も交じっているようだった。大内さんはここでも、違った種類の花を見つけるたびにカメラを構えて、しばらくは動こうとしなかった。流れに沿って下っていくうちに、昨夜来の雨で増水した川に半分浸った細い丸木橋が見つかった。とりあえずの渡渉点とした。
丸木橋を探す



 それから昼食にしたのだが、食料係の吉田君の用意したものには正直閉口だった。予めお湯を入れてふやかしておいたアルファ米が一パックに、ふりかけの小袋が一つ。
 「早稲田のハイキングクラブではいつも昼飯はこれなの?」
 私の質問に吉田君はきょとんとした様子で答えた。
 「そうです」
 案の定、おかずが足りず、半分くらい残してしまった。
 食後は林を突っ切って舗装道路に上がると、ルートのラインを物色することにした。顕著なクラックは遠望できるが、なにしろ高度差が大きいため、細かなところまでは判明しなかった。それでも北西面に幾つかの候補は挙がった。
ルートはほぼ中央に引く予定



角度を変えて見た牛心山



 「明日は、草付きを登り詰めて、あのあたりの取り付きを確認しましょう。できれば何ピッチかルート工作しておきましょう」
 大内さんの言葉に一同納得したが、これは希望的観測に過ぎなかった。そして希望的観測は状況を誤りがちである。この時点で私たちはそれが希望的観測であることにも、ましてや状況を誤って認識していたことにも気づかなかった。
下部岩壁も凄いが、今回はこれはパス



 それから紅杉林に戻り、屋台でヤクやキノコの串焼きを食べながらくつろいだ。私はそれらをおかずに、昼の残りのアルファ米をやっと食べ終えた。屋台のチベット族の若者が寄ってきて珍しそうに見ていた。私は調子づいてタバコをねだると、彼は快く一本分けてくれた。
 翌日も天気はよかった。高敏さんと高玲さんをベースに残して一行は意気軒昂、一路三百メートルほど上の取り付きを目指した。
 昨日確認した丸木橋は下り過ぎなので、ベースの高度を殺さない地点で流れを渡り、草付きの斜面に踏み込んだ。しばらく滑りやすい草と格闘した後、私たちはシャクナゲの藪に突っ込んだ。ここから予定は大幅に狂ってきた。下から草付きだと多寡を括っていた物の実体は、急斜面に延々と絡み合いのたうち続くシャクナゲの海だった。見慣れた日本の山の高度感覚で見ていたものだから、それらは単なる草に見えていたのだった。
 「四千メートルでの藪こぎなんて、帰ったら自慢の種ですよ」
 初めはのんきに構えていたが、それがこの高所で四時間も続いたので、三人とも疲労困憊してしまった。上部ではなるべく藪のない岩の付け根を選んでたどった。吉田君が古い布きれを見つけた。ここまで薬草取りか何かで人が上がっているのだろう。
ブッシュ上部 藪こぎが終わり草付きに変わる



 ルンゼを横切り、ネギのような香りのする草付きを登る。
 「ギョウジャニンニクですよ。この根っこが」
 大内さんは一本引き抜き、「おいしんですよ。ちょっと時期が遅いかな」そう言って私に見せてくれた。
取り付き付近からの風景



 岸壁基部に辿り着いたのは昼を回っていた。気の遠くなるような年月、風雪に耐えて低い丈に揃ったお花畑には、やはり微かな踏み跡が付いていた。しかしこの上の岩壁はまだ手つかずだ。高度約4200m。天気は上々。向かいのアピ山には懸垂氷河が眩しく輝いている。
氷河の残るアピ山



谷の下流が紅杉林


動くたびに息が切れる。私たちはのろのろと昼食を取り出した。昨日と同じアルファ米とふりかけ。当然食欲はそそられない。今日も半分残す。それからぐずぐずとハーネスをつけてザイルをほぐし登攀用具を身につけた。昨日、下から目星をつけていた取り付きは、素敵なクラックが何本か走っていた。岩のでこぼこしたダイクも上に続いていた。大内さんは子細に観察した後で言った。
 「クラックもいいですが、このダイクが登りやすいし、時間も短縮できると思うんですよね」
私たちのルートの取り付き



反対側から見た取り付き ダイク状を登る



まだ引かれていないルートを見上げる



 そこにはハーケンを打てるリスも、カムを挟めるクラックもないようだったが、「なに、大丈夫ですよ」と彼は言うと、リードを始めた。
1ピッチ目を開拓中の大内尚樹氏


小さなハングで頭を押さえられたところでピッチ終了。私と吉田君が数メートル間隔をあけて同時にフォロー。III+程度のグレードだが30m程のルートの途中には浅打ちのハーケンが二本しかない。
 二ピッチ目も大内さんリード。ハングを左から巻いて、凹角状からカンテに乗り込みハングの真上に戻る。ここもV級くらいだが20m程の間にランニングピンがカム二本とハーケン一本しかない。しかも登るにつれて息が切れる。
2ピッチ目をフォローする吉田泰三氏


ボルトを埋め込んだ終了点で上部の様子をうかがった後、ロープ一本をフィックスに残し懸垂下降で取り付きに戻った(この2ピッチ目は、その後、小ハング直登となった。グレードは変わらず)。
 取り付きの傍に、二人位は楽にビバークできる岩陰があったので、登攀用具をデポした。
 「下りはもちろん藪こぎのないルンゼを下りましょう」
 大内さんの提案には一も二もなく賛成だった。流れに沿って結構下り、最後に藪を巻いて地上に降り立つことができた。次からは当然、ここが登高ルートだ。今日は月曜のせいか露店の出てない紅杉林を経てベースへ。皆へろへろになっていた。一歩一歩がとても重い。頭の芯もズキズキする。高度障害とシャリバテである。黄色や紫のお花畑の中に頻繁に座り込む。そばには馬の群が草をはみ、その向こうにさっきまで登っていた牛心山が聳えていた。吉田君は途中で仰向けにひっくり返ったりしていた。ベースまで取り付きから二時間。
 ベースには新たに青い小さなテントが立っていた。
 「お疲れさん。初めまして」
 眼鏡をかけたジャン・レノのような風体の人の良さそうな紳士が握手を求めてきた。それが柏瀬祐之さんだった。図体のでかい男もテントの中からぬっと手を伸ばしてきた。これが山崎洋介さん。なんでも高山病でくたばっているとのこと。
 食事はガイドも兼ねた高敏さんが作ってくれているが、この日も高度障害と疲労で食欲がなかった。しかも四川料理は辛すぎる。初めは唐辛子の辛さかと思っていたが、大きな要因は大量の山椒にあるようだ。塩気は控えめ。この食事も、彼は次第に私たちに合わせて、醤油や塩で調整してくれるようになっていった。
 翌日、食事すらできなかった山崎さんは驚異の回復力で、けろっとしていた。天気も申し分ない。しかし私たち先発隊は疲労が大きすぎ、柏瀬さんも若干の高度障害が出ていたので、高度順応を兼ねた休養日にすることにした。最低でも双橋溝の入り口、できれば峠を越えてリーロンまで行きたかったが、なにしろ急な話で車の手配ができない。紅杉林で露天のトラクターをチャーターするか、観光バスに便乗させてもらうかしか手はないようだったが、トラクターは自宅に戻り、バスは双橋溝の入り口で往復チケットを買った客しか乗せないそうで、どちらも可能性は低い。
 まあとにかく行ってみることだ。通訳の高玲さんを留守番に残し、高敏さんを伴って下ることにした。
 「玲さん、一人になると熊が遊びに来るかも知れないよ」
 私たちがからかうと、彼女は半分真顔で答えた。
 「そうです。昨日も敏さんは言いました。あの滝でシャワーを浴びたらいいよ。でもそこは熊が出るよと」
 紅杉林ではお茶など沸かしてくつろぎ、その間に高敏さんが乗せてくれる車を物色した。しばらくすると交渉が成立したようで、四駆の車が乗せてくれることになった。しかしこれに私たち六人は無理だな、と思っていたら、やはりその無理を通すことになった。ぎゅう詰めの車は双橋溝入り口へ走る。
牛心山の隣に聳える老鷹峰



高度差1000m以上の岩塔はトランゴ・タワーにも匹敵する?



 車を降りると、戻りのバスが来る数時間の間散策することにした。リーロンとは逆の方へ歩き出す。熱を含んだアスファルトは靴底にへばりつく。路側の崖は今にも落ちてきそうな岩が挟まっている。田舎の道沿いには宿屋がぽつぽつと並ぶ。私たちは素麺を作れるような平地を探したが、どこまでいっても周りは山が迫っていた。途中で、まあお茶でも、と「茶園」と書いた看板の出ている吊り橋を渡った。しばらく登ると、流れの傍の草地が見つかった。ここで素麺だ。立木にロープを張り、雨具や傘を引っかけて、みすぼらしい日よけを作り、大内さんが愛用のストーブで素麺を調理した。のんびりとした時間が過ぎていった。皆思い思いに寝転がる中、一人大内さんだけは花の撮影に余念がなかった。
 帰りに梨やブドウを買い、一時間遅れのバスで紅杉林へ。夕食の頃にベースに着いた。

後半に続く|