「週末、手軽に本格的な雪山に遊ぶ」



厳冬の大山:

風雪の果てに岳人の絆を見た!?





大山 概念図


 二〇〇四年一月十日から十二日にかけて、庵鹿川でも最も覇気のあることで(内輪には)知られる熊本方面隊の有志は、雪の大山を訪れた。
 リーダーに「庵のアランドロン、またの名をカンボジアの皇太子」こと生田真也を擁し、選りすぐりのメンバーに、「スキーを履けば白銀を白鳥のごとく舞い、スキーを外せばペンギンのごとく歩く」生田愁子、「該博な知識をもてあまし気味で常に三馬身リードの真也氏の弟君」生田弘毅、「面白い話が溢れかえり時々こぼれたりオチたりする」北内征志、「輝ける庵の知性」長友敬一(痴性の間違いだ、長友はスケベだ、と某大学の某学部長の○田教授は私に会うたびに指さしてはのたもうているが、その指さした手をよ〜く見てみると、人差し指と親指の二本は私を指しているが、残りの三本は御自分をしっかりと指しておられることを幸○教授はご存じない)。最強の陣容、言うなれば「ライト・スタッフ」(軽い連中、ではない!)がそろい踏み、雪庇すら踏み抜く勢いである。
 当初の計画は、「北壁をダブル・アックスで登攀後、頂上でビバークして別山バットレス下降」(三日前に長友発案、三秒後に本人却下)、「スキーを担い屏風岩を登攀し弥山尾根をスキー滑降」(二日前に長友発案、一秒後に本人却下)などいろいろあったが、「ネパールでの高度障害と時差ボケはたった6日では取れまい。というより、一生取れまい」という生田真也リーダーの有り難い判断があってかあらずか、「一日目は旅館に投宿して湯に浸かり、二日目は夏道から弥山に登頂して、剣ヶ峰、ユートピア小屋と縦走し、宝珠尾根から元谷に下り、元の大山寺に戻る。三日目はスキー・散策の後、帰熊」という有り難い計画とあいなった。縦走は、(庵での○○氏の地位と同様に)年々細ってゆくラクダの背を行くのだが、滑落の危険が大きい。
「なに、コンテをしているパートナーが右に落ちれば左に飛び降り、左に落ちれば右に飛び降りれば止まる! 物理の法則の初歩じゃ!」
とリーダーは頼もしいアドバイスを伝授してくれた。

 熊本を出て、福岡のIBS石井スポーツ(庵鹿川会員特別割引あり)で買い物をして、高速を快調に飛ばす。福岡からは七時間ちょっとで、大山寺の宿に着いた。すでに深夜に近く、そそくさと湯に浸かり、酒盛りの後、床に就く。

 明けて11日は曇り空。はや東雲の街道筋、チェーン装備で地車の、とどろく音ぞ勇ましや。
 一行は朝餉と身支度を手早く済ませ、阿弥陀堂方面の夏山登山口から雪に埋もれた夏道を辿る。樹林帯は静寂が支配し、吸い込む大気に身も心も引き締まる。


宿の前に勢ぞろいの最強メンバー?
阿弥陀堂から登頂開始!



「雪の進軍、氷を踏んで〜、どれが河やら道さへ知れず〜♪」
と快調なステップで、(後続パーティーに追い越されながら)一合目、二合目、三合目と高度を稼いでいく。五合目の行者谷別れでは、どこかの山岳会らしい、ヘルメットにザイルで武装した一行とすれ違う。


一合目通過
二合目通過




三合目通過
四合目通過



 六合目避難小屋(登山口から2時間程)にてアイゼン着用に及ぶ。ここからは樹林帯も途切れ、夏ならばダイセンキャラボクの群落が美しいところだが、今は一面の雪の斜面である。頂上までは急登も交じる。ピッケルを持つもよし、ストックで通すもよし。
 しばらく登ると、突然、皆の足が止まった。
「突風じゃ!」
「うわっ、目が開けてられん!」
「う、動けん・・・」
「視界が効かん!」
「杉野はいずこ、杉野は居ずや。」
 「杉野って誰じゃ?」
  身も心も翻弄される。本格的な風雪の冬山である。


五合目 行者谷別れ
六合目避難小屋



 吹雪の山道を登りながらこう考えた。地に腹這えばアゴを打つ。雪に棹させば流される。意地を通せば吹き倒される。とかく吹雪の山は進みにくい。進みにくさが高じると、進み安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても進みにくいと悟った時、あきらめが生れて、やけくそが出来る。吹雪の山が進みにくいからとて、越す処はあるまい。あれば人でなしの国(註:庵鹿川にあらず)へ行くばかりだ。人でなしの国(註:くれぐれも庵鹿川にあらず)は吹雪の山よりもなお進みにくかろう。

 三歩登って立ち止まり、六歩あゆんで立ちつくし、互いに見交わす顔と顔、仲間の無事を認めつつ、やっと現る避難小屋、おぼろな影が有り難い。六合目避難小屋から一時間半程。
「先に頂上を極める!」
 リーダーはあくまで冷静に指示を下す。すぐに弥山頂上に着く。もとより視界は効かず、一度行った者でないと、そこが頂上とは到底思えまい。


風雪の登高行
弥山頂上


「おめでとう!」
「やったー!」
「やれやれ・・・」
 一行五名は、我々を祝福してか一時的に風の収まった山頂に立ち、固い握手を交わす。それからさて、縦走の行く先に目を凝らす。あるのはただ白い帳のみ。
「う〜む。今回は涙を飲んで、ここまでとしよう」
 メンバー諸氏の顔に浮かぶ、落胆の色、色、色。吹雪が何だ! ホワイト・アウトがどうした! 我ら岳人は、困難があってこそ燃えるのだ! (と、下山後の湯に浸かりながら思った次第ではあるが)。
 リーダーの的確な(かつ有り難い)判断で、一行は頂上避難小屋に下った。吐く息と体から昇る水蒸気に霞んで、二十名程の岳人が、冬の早朝の牛舎のごとく、小屋の中にひしめき合っている。
 湯を沸かし、定番のカップ麺を回し喰い。生田リーダー推奨のシーフード麺が雪山では特に旨い。今回私たちはザイルではなく、この細い麺によって一つに繋がっていた。

 ひとごごち着いたところで、元来た道を、吹雪に殴られつつ下る。六合目避難小屋でアイゼンを外す。


頂上避難小屋
シリセード


 樹林帯に入ると、さっきまでの荒れようが嘘のように静まっている。快適な里山の気分である。
 五合目の行者谷別れから、元谷避難小屋方向へと、登りとは別のコースをとる。急な斜面では、シリセードを採用し、一気に距離を稼ぐ。これがまた楽しい。元谷まで下れば、快適な雪の里山散策の様相に変わる。
 大神山神社に無事を感謝し、ゆっくり宿に戻る。熱い湯に浸かり、鍋をつついて、部屋に戻るとお定まりの酒宴。地酒が旨い。床に入って、もう一日残った旅へと想いを馳せた。

 翌日は、散策チームとスキーチームに分かれて過ごす。私は国際コースに連れていっていただいたが、てっぺんのコブの斜面で往生した。
 
 付記:大山は晴れた日には快適な日帰り登山ができ、とてもお手頃な雪山である。ピストンもよいが、今回の当初の計画のように縦走をして元の場所に回ってきても楽しいだろう。しかし、日本海から一気に屹立した独立峰であるため、荒天の日には、本格的な冬山登山に変わる。エネルギーをもてあましている向きには、吹雪の日に縦走をされてもよいかもしれない(私は関知しないが)。また、別山バットレス(三級前後のミックス壁)、北壁など、冬期登攀もできる。登山後のスキーも楽しめる。九州から一番近い本格的で手頃な雪山として、もっと登られていいと思う。

 

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