Interlude1


8月28日(月)
 蓮花夕照連山の偵察も終わり、一気に高度差1,300mを下る。麓の王母村で、馬を手配してくれた家で昼食。その後、再び康定を経て、ミニヤ・コンカ衛星峰の偵察のため、車で楡林〜得安間の峠へ。ガスが出てきて、肌寒い。この3.900mあまりの峠は25日に逆の得安から越える予定だったが通行止めで通れないと言われていた所だ。実際通行止めだったようで、全く車の往来がなかった。峠から未舗装の脇道に乗り入れ、岩峰が見えるところまで行ってベースを張ろうとしたが、この脇道も落石がひどく、ガスで視界も悪い上に、もう夕方になっていたので、偵察をあきらめ、康定に引き返した。
 この日はテント泊の予定が、康定のホテル泊に変わったため、ホテルのランクを落として、定点渉外賓館に泊まった。とはいえ、ベッドの極彩色の飾りやループ状の階段も珍しく、悪くないホテルだった。夕食は、ホテルの近くの店の表の、路上に置かれたテーブルで。道行く人たちが、私たちが日本語でしゃべりながら食事する様を、時折珍しげに見ていた。

王母村遠望
昼食の民宿へ向かう
ここでお昼をいただく。庭には高山病に効くという木の皮が所狭しと干してあった
楡林〜得安間の峠から未舗装の道へ。落石で進めなかった
庚定のホテル
ホテルの内部
夕食は店の外の路上の卓で
ホテルのそばには、チベット仏教の寺院があった
肉を売る荷馬車
お世話になった熊さん(左)と



8月29日(火)
 ルートを引く予定の岩峰のある、双橋溝へ移動する。早朝、ホテルの近くの店で豚骨スープの麺を食べ、折多山(4,962m)の見える4,100mの峠を越える。チベット仏教のチョルテンがなびき、峠を越える無事を祈るお経の書いてあるビラが散らばっている。それを集めて、展望台からばらまいたりした。行く手は標高3,400mほどの広い高原状になっており、村々のチベット建築や、山や清流や放牧場が、美しい調和を保っていた。路上でチーズを売っていたが、お世辞にも私たちの口に合うとは言い難いものだった。更に、切り立った断崖のある谷沿いを通過。流れの脇には露天風呂が。柏瀬さんはいたく興味を惹かれたようで、「ここで一日、ルート開拓してもいいね」と本気で言われた。確かに、そのうち再訪したいと思わせる谷だった。
 八美鎮のそばの美しいお寺で休んで、丹巴を過ぎ、小金へ。途中の農家で小金県名産のリンゴと洋梨を大量に買い求め、暗くなって双橋溝のゲートに。お馴染みの民宿の「双橋渡暇村」の王さんの所へ向かう。双橋溝は現在、観光会社が管理していて、原則的に観光バスしか入れないため、複雑な手続きを経て、やっと谷に入ることができた。
 双橋渡暇村に投宿。高地はジャガイモや高原野菜が旨い。王さんが、日本人が松茸好きなのを知っていて、「マツタケ!」といって出してくれた料理は、全く松茸の香りがしなかった。大内さんに「これ、松茸じゃないですよね」と聞くと、「同じ種のキノコですが、日本の松茸は赤松につくので、あの独特の香りがつきます。ここのはヒイラギブナに育つので、香りが違うのです。でも、マツタケと言われれば否定はできないですね」という意味のことを答えられた。おなかを満たして、翌日からの白海子へ思いを馳せる。
雪を被った峰々
折多山展望所


高原の村


穏やかな広がりと水の流れ
高原を下り、また別の村へ
渓流の美しい山道を過ぎる
お寺の近くでは、チョルテンが山肌にもたなびく


チベット仏教のお寺。ここは門前町になっていた


草原にもお寺が
高原の美しい村々が続く
石灰岩が屏風状になったところもあった。その近くの風景
美しい風景に出会うたびに、車を止めてシャッターを押す


高原に囲まれた平地では馬が遊ぶ


なだらかな山裾が日に映えて輝いていた
時には雪を被った山が顔を覗かせる
断崖が切り立った谷
谷には露天風呂が湧き、柏瀬さんが食指を動かしていた


まったく手つかずの岩壁。ここもそのうち訪れたいと思った


川沿いの道は更に続く
両岸にはチベット家屋が点在する
天気もよく、楽しいドライブ
小金の街に
姜さんのなじみのホテルでトイレ休憩
途中の農家で小金名産のリンゴや洋梨を買う
どの枝にも驚くほどたわわに実っていた
その場でもいで、食べてみる
裏庭では、ふいごで火をおこして鍛冶をしていた
リンゴを何十キロも購入。ベースに上げたり、ドライバーがお土産にしたり
双橋溝が近づく。途中の村で


今回のベース予定地。Part2は白海子、Part3は五色山、Part4はピンプン溝大草原





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