Part4 ピンプン溝5,513m無名峰


9月11日(月)
 溝渕さんと深田さんは、あと一日使って、ピンプン溝のベースを訪れることも出来たが、ガスっていて景色も見えないだろうし、下手すると雨に、悪くすると雪に会うだろうということで、この朝、成都に向かうことになった。別れを惜しみ、一行は馬に荷を運ばせ、ベースに向かった。
 流れに沿って、なだらかな道を歩く。白竜の滝という名所を過ぎ、途中の草原でポーターたちが、「ベースはここだろう」と荷物を下ろし始めたので、「もっと先だ」とお願いする。ゆっくり歩いて三時間半、ガスが晴れ始め、雪をまとった山々や、屹立する岩峰が姿を現し始めた。広い草原、大草坪(da cao ping)は、とても素晴らしい景色だった。一昨年も同じ場所にテントを張ったが、その時は小雨とガスの中で何も見えず、ただの草原だと思っていたが、晴れるとこんなに見事な景観だったとは驚いた。ベースの標高は3,835m。
 私たちの目指す5,513m無名峰は、進行方向右手の燕子涯(yan zi ai)の岩峰の更に奥に、僅かに見えていた。YCCの方たちは、左手に天を指して聳えている将軍峰(jian jun feng)5,260mを目指すことに決めたようだった。正面には女王峰(nu wang feng)5,404mも立派な姿を見せていた。ただし、これらの名前は、かなり最近になって付けられたもので、チベット語の名前があるのかもしれない。
 テントを設営し、YCCの方々は昼食も採らずに偵察に出かけた。私たちはラーメンを啜って、燕子涯の岩峰付近のアプローチを眺めて探った。燕子涯の上が一段高原状になっており、その奥の氷河の辺りから、5,513m無名峰は聳えたっているようだ。15時に山崎くんと小川くんが、高度順化とデポを兼ねて、燕子涯方向に、アプローチを求めて草の斜面を登っていった。
 他のメンバーはベースから彼らの動きを追っていた。見る見るうちに草の斜面を登りきり、岩に変わる一番高い草付きまで登り切った。それから彼らは右手の滝の架かったブッシュと岩が縞を為している方にかなりトラバースし、再び戻って左の方も探ったようだった。かなりの移動距離だ。
 夕方、二人は戻ると、「右の方は藪こぎが厳しく、岩も立ってます。アプローチは、草の斜面の最上部から、スラブを3ピッチクライミングで、岩の上の高原状に上がるのがいいようです」と報告した。「アプローチからいきなりクライミングかい!」「ここは宮崎のスラブクライマーに!」。
 YCCの方たちも、ガレを登って目星を付けてきたようだった。明日からまた、岩の日々が始まる。
 
小屋の中では朝食のパンを作っていた
小屋を後に、ガスのかかる中、ベースへ
溝渕さん、深田さんとはここでお別れ。お疲れさまでした
渓流に沿って、道は緩やかに登っていく
この橋はちょっと渋い!
名所、白竜の滝。ここで乗馬とかやっている
山々に囲まれた谷には、所々草原が広がり、キャンプに最適
思わず見惚れてしまう景色も
荷物を載せた馬たちは上流へと向かう
ベースの草原が近づいた辺りで、ガスが晴れはじめた
一昨年は見えなかったが、なんと、美しい岩峰が!
一同、大喜びでカメラを向けた


今回のベース地。アジアの真ん中とは思えない、ヨーロッパアルプスのような風景が広がる。ベースの標高は3,835m。左のトンガリが、YCCチームの目指す将軍峰5,260m。右は女王峰5,404m。標高的にはヨーロッパアルプスよりも1,000mくらい高い。しかも全て手つかずの未登峰!




私たちが目指すのは、右手の峰。手前の燕子涯の岩峰の奥に、5,513m無名峰が顔を覗かせている


谷に沿って、素晴らしい峰々が聳え立つ
食料テントでの一こま
<


9月12日(火)
 起きると、一面の銀世界だった。一同、呆然とする。これではクライミングどころではないので、待機ということに。姜さんが言うには、足りない食料の追加を持ってきた地元の人の話だと、歩いて燕子涯の肩の高原状に抜ける踏み跡があり、上には海子もあるとか。その情報を信じて、昼過ぎから、山崎くん、小川くん、長友で、歩いて登れるアプローチ探しに。長友は左の滝と岩の間にあるガリーを探り、後の二人は岩壁に延びている草付きを探った。結局、草付きに踏み跡が見つかり、これでアタック・ベースキャンプへの道が確保された。
 しかし、夜になると再び雪が降り始めた。

この雪は何だ!
そのうち雪は溶け始めたが、あいかわらずガスにけぶるベース
私たちの行く手もガスの中



9月13日(水)
 朝からガスが晴れず、今日も停滞となった。コウリャンなどで作った地元の白酎(パイチュウ)などを飲んで時を過ごす。5リッターのペットボトルに一杯だったが、下山の頃には空に近くなっていた。コーヒーが切れると、ホット粉ジュースや中国茶を、とにかく飲みまくっていた。砂糖の消費量も、中国側スタッフが目を丸くするほどだった。ここのベースキャンプでも、大内さんの該博な知識による弁舌はとどまるところを知らず、ピンプン溝の下流には大量の大内話が流れ込んで溢れかえっていたのではあるまいか。
 昼過ぎにYCCの三人は、一昨年私たちが雨の中を越えた峠の手前、4,300m地点まで偵察に行った。その報告では、ベースの谷は雲海が覆い、その上は高曇りで晴れ間もかいま見え、将軍峰その他の岩峰がくっきり見えたとのことだった。デジカメの鮮やかな写真を見せていただき、アタックへの希望を募らせた。
 夕食時、雨が降り出す。その後、再び雪に変わった。




9月14日(木)
 天気は今ひとつだったが、下の方の雪は溶けてきた。それに、このガスの上は、昨日の報告のように、晴天かもしれない。ということで、14時頃に、アタック・ベースキャンプの設営に、大内さん、山崎くん、小川くん、長友で出発した。須貝くんも、途中までボッカしてくれた。YCCの方々は、明日の朝、将軍峰のアタックに出かけるということだった。
 草の斜面の最上部で、デポから必要な道具だけ回収し、燕子涯の踏み跡を縫い、肩の段に。雪の残る草付きや、落石の堆積した谷筋を、重荷にあえぎながら登っていく。途中で、暗くなる前に降りれるようにと須貝くんを帰す。彼はアイゼンを着け、途中のデポを回収してベースに戻った。大岩小岩を乗り越えて、登りは続く。周囲はガスが取り囲んでいる。
 かなり登ったところで、気が付くと、「馬力」のある山崎くんが、ガスの中、声も届かないところまで、キャンプ地を求めて先行してしまっていた。18時ころ、大内さんが、岩石帯の岩の上に、テントがふた張り張れる場所を見つけた。「水もとれるし、ここでテントを張ろう」と主張。「荷物を置いて、山崎を呼び返して来てください」。長友が空荷で、山崎くんの様子を見に谷を詰める。「やまざき〜」と叫んでも、ホイッスルを吹いても、返事はない。谷を登り詰め、5,513m無名峰に突き当たる所で、ガレの傾斜が緩み、再び「やまざき〜」と叫ぶと、幾段かの重なりの上に、山崎くんの姿が見えた。「こっちに、いいテント場があります!」と彼は叫んでいる。「戻ってこい! 命令だよ!」「は〜い!」そこでちょっと考えた。このまま下の谷筋でテントを張っても、あまり下地はよくないし、明日のアタックが危ぶまれる。「そのテント場はいいの?」「海子があって、砂の上に張れる!」「わかった!」「15分あれば、きちんと確認して来れます!」「オーケー!」この高さなら、すっかり暗くなる20時までには設営できそうだ。
 長友は下まで降りると、大内さんと小川くんを促した。「あと100m登れば、とてもいいテン場です!」「わかった。登ろう」ということで、再び重荷を背負って登ることになった。実際は200m近くあったかもしれない。一旦下ってきた山崎くんと合流し、再び上を目指す。ガスと薄暮でよく分からなかったが、そのテン場は5,513m無名峰とその下に広がる氷河の末端の、平らなモレーンの上にあった。氷河から流れ出る水が小さな湖を作っていた。ちょうど20時に、暗くなった中を海子に到着。雪豹体育探検公司のテントと、大内さんの二人用のビバークテントを張り、暖かい飲み物を飲んで落ち着く。標高は3,935m。ジフィーズを食べていると、夜、ガスは雪に変わった。
 


アタック出発前に、記念写真。左から、川野、山崎、船山、佐野、長友、須貝、小川、大内夫妻の各氏


ガスに向かってアタック開始。ザックが重い!
美しい花々が疲れた心身を癒してくれた
左手に燕子涯の岩峰の下部岩壁。ハングの多い、素晴らしい壁
右手には滝が


アタックベースへの登り(小川氏撮影)





9月15日(金)
 6時半に起きると、とても素晴らしい天気だった。遠く、ピンプン溝添いの岩峰が雪を付けた頂を天にさしのべ、将軍峰や女王峰も朝日に輝きだした。その下の、ベースのある谷は、雲海で真っ白に埋まっていた。5,513m無名峰も、そのすそ野の氷河も、次第に明るく染まっていく。皆、まわりの景色の美しさに、朝食の準備も忘れ、1時間あまりも写真を撮りまくった。大まかなラインも決定した。今回は、天候と時間の関係で登頂は無理だと判断し、最低でも一人1ピッチずつ延ばして、次回のモチベーションとすることにした。
 ジフィーズと飲み物を採って、8時半、アタックに出発した。5,513m無名峰と氷河との境の、新雪の積もったガレ場を、普通の布靴でくるぶしまで濡らしながら、200mほど登る。取り付きに着く頃には、足の感覚がなくなっていた。陽光は射すように照りつけ、雪の照り返しもあって、かなり眩しく、そして暑い。
 11時に取り付く。1ピッチ目は小川くんリードで、凹角状のクラックを。2ピッチ目は大内さんが浮き石をトラバースして、広めのクラックを上がっていった。この時、1ピッチ目終了点に落石が、ブ〜ン! と唸りをあげて襲ってきた。小川くんをかばうように岩に身を寄せた山崎くんの対応は立派だった。落石はこの後もおこった。3ピッチ目は長友が、スラブをトラバースし、かぶり気味の低いクラックを乗り越え、階段状を。しかし、下部岸壁は結構脆く、大内さんがクラックをフォローした時、中の大きな岩がすごい音を立てて落ちていった。階段状にも砂が載っていて、滑りやすかった。14時をまわって、霰が降り始めた。3ピッチ目終了点で全員が終結し、4ピッチ目は山崎くんがフェースからクラックを抜けて上昇バンドや小チムニーを、高度5,000mほどまで登り、そこから単独懸垂下降で降りてみんなと合流し、霰に打たれながら全員で下降した。午前中と午後では気温差が30度近くあったようだ。
 ガスの中、テントにたどり着き、落ち着いたところで、コーヒーや紅茶でくつろぐ。暗くなる頃、やはり雪が降りしきる。山崎くんは明日もアタックをしたそうだったが、どうせ登頂は時間的に無理だし、一人1ピッチという目的は果たしたし、なにより今夜の雪が壁にべったり付着するだろうということで、明日は撤収してベースに降りることにした。というわけで、その夜は沢山荷揚げした燃料と食料の大盤振る舞い。大内さんのスパゲティは、できあがりと同時にコッフェルの水を全て吸いきり、無駄がなかった。他にもリゾット、ピラフなど、ジフィーズのご馳走が盛りだくさんだった。
 


朝日を受ける岩峰




目標の5,513m無名峰も輝いていた




ベースは雲海の底に




右端が将軍峰


朝ご飯の準備も忘れて風景のとりこに
目標の山は氷河の上に


5,513m無名峰とアタックベースキャンプ


天気は最高だったが、雪は残っている
とにかく、雪を踏み分けてのアタック開始!
向かいの峰を望みつつ、高度を上げる
しかし、陽射しも雪の照り返しもきつい!


目指すルートも確定!(中央のがさがさした壁を、写真の真ん中あたりの高さまで)


取り付き眼下に氷河を望む
登攀1番手は一番若い小川くん


時折の落石の中、脆い壁を慎重に登って行く




2ピッチ目を登る大内さん(小川氏撮影)




3ピッチ目を登る長友(小川氏撮影)




3ピッチ目をフォローする大内さん(小川氏撮影)




4ピッチ目を登る山崎君(小川氏撮影)


雪の中のアタックベースへの下降(小川氏撮影)
アタックベースキャンプ(小川氏撮影)
下降中の山崎くん。雪の中、靴は通勤用の革靴、ジャージが濡れるからとたくし上げている。山をなめるな!と言いたいが、本人はいたって真面目
テントでほっと一息。ジフィーズでグルメパーティー?


ルートは写真中央の壁に引かれた




ルートは赤枠の部分




ルートは赤線の部分




ピンプン溝5,513m無名峰 2006年大内隊試登ルート トポ





9月16日(土)
 適当に起きて、朝食を採ると、好天の下で、濡れたものを乾かし始めた。ここ何日かのサイクルで、午後からは天気が悪くなることが分かっていたので、昼前に本峰と氷河をはさんだ反対側の高台へ登り、次回のためにルート偵察をした。途中のゆるくて大きなスラブは、運動靴で楽しめた。
 昼過ぎに下山を開始。ガレ場を下り、急な草付きに出ると、涼風が吹いてとても心地よい。夏休みも終わるのを感じ、一歩一歩を踏みしめながら下った。燕子涯の側壁には、大きな二段ハングや何層にも重なった巨大な弓形ハングがあり、これらもいつかは登りたいと思った。
 15時半、ベースに戻ると、YCCの方々も、ちょうどアタックから降りてきた直後だった。草原に敷いたシートの上で、お茶やビールを飲みながら、お互いのアタックについて報告し合った。彼らは昨日ベースを発って、ガレのアプローチを詰め、佐野さんリードで雪壁3ピッチ、船山さんリードで岩場3ピッチを登って下部の稜線に出て、少し下ってちょうど標高5,000mの浅い洞穴でビバークし、今朝降りてきたとのことだった。お互いの健闘を称え合っているうちに、ガスが降りてきて、そのうち雨になった。
 夕食に、どなたかが日本から持参したカレー粉で鐘さんにカレーを作っていただいた。なお、ベースに残っていた和子さんと須貝くんは、「昨夜はベースも寒く、テントの中まで凍りました。今日は、姜さんとピンプン溝のかなり下流までトレッキングして、美しい山並みを見ていました」とのことだった。次の日は、峠を越えて長坪溝へ行くパーティーと、成都に戻るパーティーに分かれる予定だったが、峠は雪がひどいため、長坪溝は中止とし、皆で下山することにした。
今日も、少なくとも午前中はとてもいい天気のようだ
山々の輝きが目にしみる


昨日登ったルートを見上げる(写真中央)


全体を望む。左の稜線はアップダウンが厳しそう
アタックベースキャンプ横の湖
時間があったので、ベース近くの岩でボルダー
景色がよくて、最高のアタックベースだ


上から俯瞰したアタックベース(ほぼ写真中央)




夏の雲が映る湖。でも、夏の休暇ももうすぐ終わる




5,513m無名峰(小川氏撮影)




気持ちのよい急な草付きをベースまで下る(小川氏撮影)


燕子涯のハング(小川氏撮影)
下降の途中にて(小川氏撮影)
ベースでみんなと合流(小川氏撮影)



一つ前のページに戻る |

エピローグ へ進む |

2006 中国クライミング 目次へ戻る|