岩山からの贈物


                              
柏瀬祐之





 クライマーとしては刀折れ矢尽きようとしている50代のどんづまり、思いがけない贈物を岩山からもらった。聞いてくれるだろうか。この夏の小さな話である。
 よく晴れた日であった。若い二人にときに置いていかれそうになりながら、シャクナゲの剛木をくぐり珍しい飛燕草の花が咲く草地を登って、ようよう岩裾までたどりついた。
 太陽は早くも中天近くに昇り、北西に面するこの広い花崗岩のスラブ壁をかすめて目にまぶしい。そのまぶしさをヘルメットのツバ先に追いやりながら、すでに一次工作隊によって岩壁に張られたフィックスロープをたどり、それが途絶えた先端から、われら3人は今日のルート工作にとりかかった。
 たまさかエーデルワイスの花が白くのぞく凹角沿いに、まずは若い両人、長友敬一と山崎洋介とが交代でロープをのばしていく。高度順応はいちおう済んでいるとはいえ呼吸は荒くなりがちだ。頭上の青空から、肩や腰に吊るし持ったおびただしい登攀具のこすれ合う音に混じって、フイゴを吹くような息遣いが降ってくる。
 凹角をぬけると、灰色の一枚岩が日差しをいっぱいに受けて広がった。10階建ビルほどの高さにわたって、ほとんどこれといった手がかりも割れ目もない平らな岩盤だ。勾配はこれまでよりすこし強まって70度ほどだろうか。靴底のフリクション限界を超えるか、あるいはぎりぎりの、じつにやっかいな傾斜だ。割れ目がないのでハーケンやカム(バネ式のクサビ)は役立たず、岩盤にボルトを打ち込むにしても体を止め置く足場は容易に得られまい。もしこんなところでスリップしたら、粗いヤスリ盤の上を滑走するような、さぞや凄まじいバンジージャンプになるだろう。



 広い岩盤の左端に一本だけ細い筋を認めるが、それが割れ目なのか、単に岩肌に浅く刻まれたシワなのかはわからない。そちらへ向かうとすれば傾斜がずいぶん急なので、いずれアブミにすがっての人工登攀ということになるだろう。人工登攀に頼るか、それともこのまま一枚岩の中央を人工的手段に頼らない、手足だけで攀じるいわゆる自由登攀(フリークライミング)で突破していくか。先頭を行く山崎の尻が迷って左右に揺れ、やがて沈黙するように一点で止まった。
 背後の風景は波打って大きい。吊り尾根を鋭く跳ねあげる岩峰の連なりが、灰色にくすんだテーブル氷河を囲んでいる。いくらか風があるせいか、照りつける日差しの下でも雨衣を羽織ってちょうどいい。
ここは中国横断山脈のチョンライ山系、牛心山(ニュウシンシャン)。精度不明の地図から推定して標高5000メートル弱の未踏峰にはちがいないが、このあたりにいくらでもある手つかずの尖峰とくらべて、山容、標高、岩壁の規模、いずれとっても見劣りがする。せっかく日本から出張ってきて小声になるが、この大風景の中にあっては、まあ谷横の裏山というか、主脈から派生した、ずんぐり巨きな岩塊といったところ。
 仰ぎ見る形状が、山名通りなるほど牛の頭部に似てなくもないこの裏山的岩塊の実質高度差は、麓の谷からおよそ1000メートル。ほぼ等間隔に、下から潅木草付帯、岩壁帯、岩稜帯の三層を成して双耳の頂をもたげている。登攀メンバーは総勢5人。そいつを二隊に分け、頂上へと続く上部の緩い岩稜帯、つまり牛の鼻梁にあたる部分まで、その下の急な岩壁帯に交代でルートを拓きのばす作戦だ。いや作戦なんぞと大げさで、岩壁帯さえ一気呵成に登りきってしまえば、あとの鼻梁部分は何のこともない。早いとこ《初登頂》を片付けて、さっさと他の主脈未踏峰の偵察にでも転じようというのが5人の腹づもりであった。幸い、雨期だというのにここ数日晴天が続いている。
 気持の用意がさほどできていなかったせいか、とりつくしまのない巨大な一枚岩の出現にたじろいだ。およそこのあたりが岩壁帯の核心部になろうとは麓からの遠望で予想していたが、まさかこれほど画然とルートが断ち切られるとは思わなかったのだ。
 沈黙するように一点で動きを止めた先頭の山崎は、下から私が追いつくと、ずっしり重い登攀具を体からはずして手渡してよこした。はじめから決まっている先頭交代の順番が、運がいいのか悪いのか、ちょうどここで老骨の私に回ってきたというあんばいだ。
 手渡された登攀具類の半分以上を、私は首を振って断った。一枚岩の中央突破を選ぶなら登攀具はあまり役立ちそうにない。身軽さこそ最大の味方と観念する。私に迷いはなかった。自信なんぞとはもちろん違う。左端の割れ目かシワかわからないような頼りないラインをたどる人工登攀なんて、運を天に任せる暗闇の瞬間が多く訪れそうでいかにも恐い。それよりも意識の明りに照らされた手足の運び、そんな自己コントロールに集中できる一枚岩中央のフリークライミングの方が、まだしも小心なわが性根に受け入れやすかった。
 とはいえ今いる地点からの直登は不可能に近い。そこで目を付けたのが一枚岩正面やや右寄りの斜面だった。そのあたりには一箇所、視界から隠れた部分がある。岩盤がたわんで細長くタテに凹んでいるようだ。もしかして、あの見えない凹み中に割れ目みたいなものが走っている可能性はないか。何かあるからこそ、そこだけ凹んでいるのではないか・・・。
 この推測に私は賭けてみることにした。細い裂け目一本でも見つかれば、それこそこの一枚岩唯一の弱点で、あんがい簡単にルートをのばせることになるかもしれない。うまいぐあいにといえるのかどうか、臆病なバクチ打ちを賭場へと誘うように、ちょうどその凹みの方向へ水平に、今いる場所からスプーンカット状の細かい岩ひだがさざなみのように続いているのだった。
 気分に華やぎがあることを、そっと確認した。安っぽいヒロイズムが燃える自己陶酔の火の粉だろうが、笑うなかれ、こんなものでも体の芯を焦がしてくれないかぎり、見知らぬ危うい領域には突っ込んでいけない。オマジナイみたいに出だしにボルトを一本打って、さて爪先立ちに岩ひだを渡りはじめた。



 岩ひだは、みな外へ傾いている。1ミリでも大きいそれを拾おうと、視線だけはサングラスの中でせかせかと動き回る。俯瞰する空間はオーバーハングに断ち切られてひたすら深い。トラバース特有の、足元が揺れるような浮遊感に襲われる。ゆっくり、静かに。静かに、そっと。
 まるで地雷原を行く腰つき足取りで、どうにか目指す凹みの下あたりまで渡ってきた。足下のオーバーハングがカンテ状に立ち上がり、それを跨ぐように回りこむと根本に指幅大の割れ目が見つかった。



 「なんかありますかあ」
 ロープを繰り出す山崎が、案外のんびりした高い声音で聞いてくる。
 応答の声が出ない。出だしにボルトを一本打ったきり15メートル近く支点がとれていないので、まずは見つかった割れ目にカムを挿し込んでわが身の安全を確保したかった。しかし外開きの浅いそれはうまくカムをとらえてくれない。とりあえずカタチだけ挿し込んで薄紙を置くように気持を落ち着かせ、ようやく視線を肝心の凹みへ走らせて、呆然となった。
 視力が一瞬落ちたかのようにめくらんだ。焦点がよく絞れなかった。凹みそのものは一枚岩を左上気味に貫いてたしかに存在したが、その中側は何もなかった。まったくのノッペラボウだった。雨天には水が集まってきて走るのか、よく磨かれた同じように急峻な岩盤が、浅い樋状に白々とのびているばかりであった。
 カムを挿し込んだ割れ目は、凹みをそれて、すぐ上であっさりと消失した。肝心の凹み中には枝分かれさえ届いていない。推測は大きく外れた。臆病なバクチ打ちが賭けに負けた。そっと置いた薄紙がにわかに波打って、ざわざわとめくれあがった。

   ちょうどこのころ麓の谷間はちょっとした騒ぎになっていたようだ。岩壁の途中に小さな点となって張り付く私たちの姿に地元のチベット人たちが気づき(私の黄色い雨衣が目立ったらしい)、折からプリズムで登攀の様子を追っていた休養中のわれわれの仲間、大内尚樹と吉田泰三の二人を取り囲んだものらしい。そして居合わせた漢人観光客たちまで巻き込んでジェスチャー、筆談、宇宙語入り乱れての質問と感想の渦をつくり、やがて屈託ない歓声を沸き立たせたという。
 (岩から降りていったとき、彼らが、大内から教わったという私たちひとりひとりの年齢まで正確に覚えていて握手を求めてきたのには驚いた。登山を、ましてや西欧文明的《奇習》ともいえる岩登りを評価する土壌は彼らの間にとうぜん存在しないようだが、われわれの何に、どんなところにこの人たちは関心と気持を寄せてくれたのだろう。ことにアプローチとなった森の中に小屋掛けしていた二人の歯の欠けた老人は、私たちの姿を見かけるたびに、休んでいけの、火にあたっていけの、径はこっちがいいのと、身ぶり手ぶりの温かい笑顔を、はにかんだように差し出してくれて忘れられない)



 歓声の沸く麓から500メートル上空にいるこちらは、風にさらされた岩上で、めくれあがる心の薄紙を押さえつけて動けなかった。どうしたらいいのか。具体的な手立ては思いつかず、何もない凹みをただひたすら見上げるしかなかった。山崎、長友からはまだわずかしか離れていないのに、ひとり別次元に切り離されたような孤独感を覚える。



 凹みの真ん中に両手両足を張りつけてヤモリのように登っていってしまうイメージをむりやり頭に描いてみる。描くついでに、たとえばここがペツル(電動ドリルで岩盤を穿孔して埋め込んだ強堅なボルト)の連打された小川山のショートルートなら力不足を承知でリードを試みるにやぶさかでない、なんて内心つぶやいてしまう。
 なるほど、この白く乾いた岩盤の展開は、スラブ・クライミングの対象としてはなんとも魅力的ではある。堅牢な岩質、傾斜、広がり、明るさ、どれも申し分ない。純粋にテクニック面だけでとらえれば、きわめて難度の高い、じつに面白い舞台を提供してくれそうである。
 気持に余裕がないのにそんなこと思うのは、積乱雲にさえ “登攀ルート”を目で追ってしまうという長年染み付いたいささかコミカルな習性もあるだろうが、ひとつに、いかに裏山的岩塊でも「標高4000メートル超にある未踏の岩壁」といった看板がそれなり背負う肥大化した重たい意識、そのての圧迫感がどういうわけか不思議と薄れてきているせいだろう。今のトラバースでの即物的な一挙手一投足への集中が、そんな過剰な形而上学を消し去ってしまったともとれる。心の在り処は賭けに破れて空蝉状態にあるにもかかわらず、意識の構えだけは小川山のどこかその辺のスラブ壁にいるのとさほど変わりないのだ。違うのは、岩盤のどこを見渡しても身の安全を保障してくれるあの頼もしいペツルの列が日に輝いていないだけだろう。
 凹みの左縁にわずかに《波》が窺えた。縁沿いの岩盤が長さ10メートルくらいのふくらみをいくつか連ねて緩く波打っているようだ。しかもふくらみと次のふくらみとの接点、少なくとも一番下のそこからは、よく見ると細いシワのようなものも断続して下りている。ふくらみそれ自体がどれほど登攀の助けになるかわからないが、シワ状にはいくらか期待が持てそうだ。途中で行き詰まるかどうか先は読めないが、ふくらみ伝いに「行けるところまで行く」そしてまた「行けるところまで行く」をとりあえず積み重ねてみることは可能だろう。それでとことん行き詰まったら・・・神仏悪魔なんのお助けでも借りて、まあ、その時はその時だ。
 しょぼついた華やぎに油をさした。なんとなく腹をくくった。賭けには負けたけれどまだ勝負にまで負けたわけじゃない、という半破れの小さな旗を、心の中にヒラヒラと掲げる。
ヒラヒラを掲げた勢いで凹みの基部まで登って、二本目のボルトを打った。気が急いたのか穿孔が少し浅かった。下から見えたシワの上端は、叩くとボンボンと音がするごく薄いフレークになっていて、でも、浅いボルトのバックアップのつもりで、気休めにカムを挿した。
腰につながったロープをスムーズに操り出してくれるよう下に向かって大声で頼み、
 「ここからは息をのむほどのスラブだ」
と大仰なフレーズを付け足した。
 堅牢一辺倒のはずが、最初に靴先を乗せた大豆ほどの岩粒がふいに欠けてひるんだ。いまいちど、こんどは靴底を岩面に平らに擦りつけて立ち込んでいく。手掛かりは、指の腹をザラザラした岩肌に押し付けるだけで足元同様これといってない。手足のどれかが僅かでも滑ったら体はあっさりとバランスを失ってバンジージャンプだろう。
 一歩、二歩・・・滑らない。頭のどこかが、まさかと疑う。滑らない安心より、滑らないその恐怖の方が大きい。



 どのくらい這い進んだか、恐怖はじきに何か祈りと意志との入り混じった懸命な一念へと収斂し、一念はやがて遥か遠くで百万匹の蝉が鳴いているような奇妙な静謐の中へ落ち込んでいく。
 中指が岩面のアバタをとらえた。静謐はとうとつに途絶え、安心と恐怖とが騒がしく一気に蘇った。ついで指三本がシワをひっつかみ、蜜を吸う蜂みたいにトーンと尻を跳ね上げて、最初のふくらみを越えた。岩棚なんてあるはずもないので、タロンという鉤具を岩角に引っかけて体を固定しようとしたが、その刃先を受けつけてくれる岩角がない。シのゴのいうひまはなく、シワへの開脚立ちで、わらわらとボルトの孔を開ける。
 唇が乾いている。大きく溜め息をついた。支点間隔は遠すぎるがやむをえない。わらわらでもなんでも打たせてもらえるだけマシと考えるほかはない。
 次の「行けるところまで行く」に取り掛かろうとして、と、ここで記憶が途切れる。たしか続くふくらみも途中で支点が取れず、足裏から足裏へ、手先から手先への繊細な重心移動を強いられたと思うのだが、でも、その時間経過だけが宙ぶらりんな身体感覚として残っているだけで、具体的な光景までは思い出せない。霧の向こうの出来事にも似て白い影絵だ。前後の印象が強すぎてここだけ霧散してしまったのだろうか。それとも自分自身への没入ぶりが激しくて、この間、一切の外界を眺望する余裕が失われたのだろうか。
 意識の方向が、内へ外へとブランコのように大きく振れる。
 白い影絵にボケたふくらみを、マントリングに切り返して登りきったところから再び映像は現れる。見上げると、一枚岩のてっぺんに突き出た畳三枚分ほどの大きさのフレークが意外と間近に迫ってあった。足元はさっきよりいくぶん安定しているが、やはり危うい体勢で四本目、つまりこの一枚岩では結果的に最後の支点となったボルトを打つ。ジャンピング(穿孔具)を握る指がとうとう痙攣を起こした。




   ここからフレークまでの間は、スベリ台を壁面に立てかけたようで、ダメ押しに傾斜がこれまででもっとも強まる。鷹だろうか、翼を広げた一羽の鳥が陽光を黄金色に受けて下方の空中を旋回している。硬直して細かく震える指を休めながら、私は用もないのに下の二人へ、そのじつ自分自身に向かって声を投げつけた。
「イチかバチか、だ」  
 憤怒に近い感情が襲った。窮鼠の攻撃心かもしれない。上方には耳型に垂れたシワが見える。まずはそこまで。あとはわからない。
 鳥が気流に乗って舞い上がるようにといってはもちろんいいすぎだが、せめてそんな心づもりで体を左右にゆっくり振りながら、ぎりぎりのバランスでスベリ台を数歩たどる。鳥の翼のつもりが亀の手足に縮んで、でも縮みきって硬直する寸前にかろうじて片手が目指すシワに届いた。そのまま体を傾けてレイバックの形をとろうとするが、シワの刻みが浅すぎて指の力がもちそうにない。
 すかさず体勢を岩への正対に戻してシワを横に引き、わが出っ歯をなおもゴリラみたいにひんむいて足を擦り上げる。怒張しきった手首の筋肉がぶるぶると震える。さっき下の二人が降らせた呼吸音なんてメじゃない激しさが、ひんむいた口元から漏れていたはずだが、自分の耳にはなにも届かない。頭蓋骨の内側は、おそらく声のない熱狂がわんわんとこだましていた。(驚いたことに、この同じところを後続の長友は、手と足の位置がひどく接近した極限的かつ曲芸的な体勢のレイバックで登ってみせた)
 跳びつくようにして水平岩角をとらえた。外傾して滑りそうなのでもういちど腕を飛ばし、こんどこそ、この一枚岩にとりついて初めて、指の第二関節までしっかりかかる岩角をつかんだ。安堵感が腕から肩へ、胃の中へ、太い鉄鎖を呑むようにどっと下った。
 やっとつかみとったこの太い安堵感、それが一枚岩の尽きるその上端であった。
 てっぺんのあのフレークが、まるでわが五体を守ってくれる巨大な盾のようにすぐ横に立っていた。「行けるところまで行く」という、いつ切れるとも知れない暗闇の綱渡りは、繋ぎ繋がってけっきょく一枚岩を上まで達したことになる。この実感を恥かしげなくつぶやけば、そういくらか奇跡に近い。
 全身が沸点を超えて煮えたぎった。フレークに片足をかけてふりむくやいなや、私はなんの衒いもなく、ただ膨らみきった熱狂を噴出させるかのように天に向かって腕を高く突き上げた。初めてだった。腕を突き上げるなんて放埓は初めてだった。後頭部に寒けが走った。笑みのない不器用な顔で何度も何度も突き上げた。サッカーの大げさをわらうシニカルな男はそこにいなかった。下から届くたった二人の歓声を万雷の喚呼と聞いて、誰はばかることなく陶然とその場に融けてみるのだった。



 このあと岩壁帯は、一次工作隊の大内と吉田、そこに山崎も加わって残る部分が開拓された。下部壁のラインを引き継ぎ、あくまで岩壁中央部直上にこだわったその上部壁のダイナミックなライン取りは、大内の主導と差配によるものだったが、自ら志願して最終ピッチのリードを担った山崎は「自分が(自分を)うらやましくなるような素敵なラインが引けた」<同君のメモより>と強い満足を覚えつつ登攀を終えた。かくして8ピッチ約300メートルというやや小ぶりなスケールの、しかし得心のいくオールフリーのルートがとりあえず完成をみたのだった。
 核心部はやはり例の一枚岩ということになったが、遠望すると一枚岩の輪郭がこのあたりを生息地とする雪豹の横顔に似ているというのでこれを「雪豹ピッチ」と呼び、さらに「雪豹ピッチ」がルート全体のちょうど中間に位置し、内容も全8ピッチを代表する、あるいは象徴するという理由によって、完成した新ルートには大内発案、長友アレンジ(だったかな?)によって「夏の雪豹」という名が冠された。
 好事魔多しというのか、しかし岩壁帯を登りきった後の天候は、にわかに雲湧いて雨期に戻り、雪さえ降ってきて、とどのつまりは期待した主脈未踏峰の偵察どころか、裏山的岩塊とあなどったこの牛心山の《初登頂》さえ取り逃がすはめになった。
 口惜しさがないといえば嘘になる。しかし私に無念さはないといっておこう。「雪豹ピッチ」のおかげである。たった1ピッチ45メートルに過ぎないけれど(ただし標高4000メートル超にある未踏壁をグラウンド・アップで拓く途中の1ピッチという前提はあるが)、これは顧みて、内容的にはわが半生のベストクライミングではなかったろうかと独りほくそえんでいる。
 もっと難しい、もっと危険な、もっとテクニカルな、もっとセンサティブな、あるいはもっとデモーニッシュなクライミングとなると、それぞれ他に出てくるだろうが、それらの要素を総合し凝縮させた質的レベルの高さにおいて、あるいは完成度の高さにおいて、この「雪豹ピッチ」を超えるものはないだろうと振り返るのである。そんなていどの登山しかやってこなかったのだろうといわれれば、その通りなのだけれど、ともあれ私は今だあのシーンを思い出しては腕を突き上げたくなって困るのである。
 偶然の産物である。縷々明かしたように企図したピッチではなかった。これが初めから予定し計画し洞察した成果であれば、私は自分自身をもっと誉めてもいいのかもしれないが、実情は場当たり的なその場その場の対応がもたらした泥縄式果実である。まあジタバタしていたら繋がってしまったラインというわけである。落ちてきたタナボタがうまいぐあいに口の中におさまった。いわば岩からの不意の贈物といった感じだろうか。
 そうかそう、だからこそ意外性があってよけい印象深いのかもしれない。意外性は意外性を招く。この歳まであまり出遭うことのなかった、みっともない、あるいはホオーと目を瞠る、そんな見知らぬ自分もちらり顔を覗かせたりして。
 ごめん、なんかこう、また腕が動き出しそうになってきた。

<2002.11記>

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