4. 再び海雲台

 7/26は朝から雨で金井山の山頂も見えない。7:30頃に起きて母と妻と佑滋の3人は大浴場(公衆湯)へ。佑滋は広い水風呂を喜びかなり遊んだらしい。8:50〜9:20にホテル1階グリルで朝食。トーストW6000×3。飲み物はコーヒー2つに牛乳1つ。佑滋のおやつはロッテのチョコパイ1つ。日本の森永エンゼルパイに極似。パンは食パン10枚切り2枚というところ。あとは野菜に目玉焼き。ウサキの耳形リンゴがなく残念。9:50駐車場の水溜りを見て雨は止んだと判断し帽子を被らずに出発。今日は天気が不安定で動物園はやめ、まずもう一度海雲台の水族館へ。その後で買物の予定。 10:10温泉場で「ハナロカード」を使って地下鉄1号線「新平」行き乗車。10:20蓮山洞で3号線乗換え。空港とは反対、東方向の水営行き乗車。10:30に"The last station" 「水営」で地下鉄2号線「萇山」行き乗換え。黄緑帯の2号線車両は韓進重工業製で「10編成1号車」と表示。10:45「海雲台」到着。2回乗換えで去年の「西面」乗換えより手間どるが、時間的には10分短縮。それは地図を見れば一目瞭然。蓮山洞から水営までは3号線なら途中3駅だが、西面経由1号線4駅と2号線10駅で合計14駅。乗換え時間を見込んでも3号線経由が速い。従来は海雲台まで運行の空港座席バス307番が東莱折り返しになった理由もここにあるのだろう。 海雲台駅からアクアリウムへ向かう通りは曇り空で人通りも少ない。11時過ぎ、また雨が降り出し佑滋の雨具をつけ傘を差す。釜山(韓国)随一の海雲台海水浴場もこの天気では去年と違い、パラソルもなく静か。打ち寄せる波の先に観光船が横切る。佑滋と2人で波打ち際まで出かけ波に捕まり靴を濡らす。砂浜をゴミ拾いの人達が通る。 持参の携帯電話が日本(対馬)まで通じるかどうかの課題があったが、妻が忘れて試せない。東莱のホテルでは駄目だった。また雨が止み、11:10アクアリウム入口で「プサンナビ」で取った20%割引クーポン券を出す。適切に処理されず係員に正規料金W15000を請求され、これでは何のためのクーポンか。粘り強く交渉し目的達成しW12000×3で入場。入口でレシートにパンチ穴を入れて入場券の代わり。エレベーターで地下2階のタッチプール前に降りる。 昨年と違い館内は混雑せず、団体の子供以外は目立たない。全容がわかり観覧者が少ないと中が小さく見える。佑滋はタッチプールのヒトデに触り、初めてのアメフラシを見つける。向かいのカエルの展示は地下1階へ移動。カワウソ、ペンギン、ピラルク、アロワナにピラニアと地下2階を見ると、佑滋がクラゲはどこか捜すので地下3階へ。最初が甲殻類でタツノオトシゴ、デンキウナギと続き、その先がクラゲ。要求により肩車をしながらサカサマクラゲ、幼生のポリープ、ミズクラゲ、アオクラゲ、アカクラゲ、ハナガサクラゲと見飽きないのは何故だろう?身体は動くがどこかへ向かう訳でなく目的なしに見える(実はここに高度な生存戦略を垣間見る?)浮動性が、流され生きる人生に肯定的な示唆をするとでもいうか。山形県鶴岡市加茂水族館もクラゲを展示主体にすえて観覧者が増加し閉館の危機を脱している。その次が済州島の水槽など地域別水槽が並び、メインのサメの大水槽に続く。母がサメ水槽に浮かぶグラスボート乗船を希望。垢すりに続くその意欲と好奇心にはいつも感心する。地下2階の乗り場で尋ねると12:50まで満員という返事で40分待つのは大変と一度諦めるが、12:40にやはり予約しW5000×3。妻は辞退したので30分待って母と佑滋と自分の3人で乗船。最初佑滋は乗らないと言ったが、拘らずに乗船。乗り場でまず荷物を預けライフジャケット着用。10人乗りの船が2艘ある。舳先に係員が乗り、中央のガラスに沿って5人ずつ座る。水槽の周囲に張ったワイヤーを係員が手繰りながら水槽を一周。説明は韓国語なので実際よくわからない。魚の名前と生態を示す語彙がわからないと理解できない。5,6分進むとポリ手袋が配られ、片手にはめると生のエビや魚が入った容器を回し、魚への餌やりができる。水面で魚がはねる。天井が低く海水の浄化装置や循環する音も響き、洞窟内工場のような感じ。一周して戻る頃に次のグループがもう一艘の船で出発。船から下りるともう一度クラゲを見てから地下1階へ。カエルの展示は前回より充実し、狭いところになぜかワニもいる。カエルに触れるようにアクリル板に穴が開くが、ワニには逆に高いアクリル板が障壁になっている。13:10に記念品店でお土産購入。佑滋のクラゲTシャツが12000、8月に来阪する佑滋の従兄にはサメのTシャツ15000、サメのキーホルダー3800、カエルのサウンドつきマスコット4500、カエルのマグネット3個10500、16枚入り絵葉書3000で総額W48800。 お土産店の外で休憩。メガマーケットで買ったパンも食べる。今後の予定を検討し、前回のパラダイス免税店でなく西面のロッテ免税店に行く予定にして、先に免税店にするか、釜山駅で食事にするかを相談。少しスナックを買ってから食事にして14:25海雲台駅へ戻る。天気は曇。ハナロカードを改札機にかけて母、佑滋、自分と通ると最後の妻のカードで長く「ピー」と鳴ってゲートが開かず。駅中央部の職員に「トラブル」と言ってくるように指示。しばらくして英語の上手な青年職員が事務所でカード残額を確認し十分あると言ってやってくる。でも同様にセンサーにかざすとやはり「ピー」と鳴るので100m離れた中央入口から入ることになり駅構内で合流。これは本質的解決ではなく、またトラブル発生の懸念があるので妻とカードを交換し14:25出発。 海雲台から釜山駅方面は市内バスだと乗換えはないが、地下鉄だと2号線で西面まで行き1号線乗換えと、往路を蓮山洞まで戻って1号線乗換えの2つの方法がある。2号線は西面まで、張り出した尾根に沿った街路を辿りU字型に大回りするので、水営で3号線乗換えの方が駅数少なく速いかもしれないが、少し疲れて面倒くさく違う経路で気分転換という意味で2号線の「湖浦」行き乗車。ただ外が見えないとあまり気分転換にはならないが、バスの遅れや混雑も面倒だ。15:00に西面で1号線新平行きに乗換え15:20釜山駅到着。問題のハナロカードは改札機を無事通過し、残額も適正に引かれ原因不明のまま問題は解決。日本でも同様のトラブルはないのだろうか?地下道を草梁方面に約500m北上。最初は駅構内、続いて商店街、最後は簡易食堂。佑滋が乗れるところはベビーカー。突き当たりの西側階段へ。出口に屋根がなく、今にも降り出しそうな曇り空が見える。

5. 雨の釜山駅

 このあたりは釜山駅でも駅の建物は見えず、1つ北よりの草梁洞との中間に近いが、地下道の関係で釜山駅が便利。北西方向に斜めに入る道沿いが「草梁洞デジカルビ通り」と呼ばれ、恒例の「オニャンカルビ」へ。到着しても店の看板こそあるが、外には資材を乗せたトラックと2輪車が止まり、改装工事中で主人夫婦の姿も見えない。はるばるやってきたのに残念だが、何事につけこういう日は来るのかもしれず如何ともしがたい情勢を感じる。ちょうどポツポツ雨が降り出し、妻に代わりの店を探してもらう。50mほど進んだ道路向かい側の「海雲台スップルカルビ」へ16:00入店。スップルとは炭火焼きを示す。雨が強くなってきた。注文はサムギョプサル5000×2、デジカルビ5000×2、テンジャンチゲ1000、ご飯1000×3、焼酎4000でW28000。メニューにはW15000の牛カルビもあるが奮発せずとも十分おいしい。最初は突き出しのキムチとポテトサラダに「C1焼酎」。C1は「爽快だ」を示す「シウォナダ」に語呂を合わせた地元の焼酎。釜山では真露よりも一般的。 食堂は奥行きがある長方形で中央部が通路で、両側が一段高く座席とテーブルでその奥が厨房。その先が別室の宴会場とトイレ。4人がけの座席中央に丸い窪みがあり、丸い容器に入り赤くいこった練炭を並べ鉄板を置く。ホイルを引いて生ニンニクを撒き、はさみで切った豚バラ肉(サムギョプサル)を散らす。焼肉の元祖は韓国なのか、日本なのかは議論がある。『韓国・北朝鮮の嘘を見破る』(参考文献3)の「韓国の焼き肉は世界一うまいと言われたら」宮塚利雄によると「韓国は焼肉の本家ではあるかもしれないが、焼肉の本場は日本と言いたい」(p253)ということだが、歴史的に見ると韓国の焼肉は、本来各自の客がテーブルで焼く現在の形式(プルコギ)でなく、『韓国語はじめの一歩』(参考文献4)によると、「ノビアニ」という「肉を広くもなく(『ノビアニ』の語源は『広くない』の意とされる)、狭くもない適当な大きさに切ったもの」(p151)料理だったが、朝鮮戦争後の時流と食材の変化により現在の形に落ち着いた。韓国の焼肉料理では、肉はメインにしても、野菜をどれだけ摂るかも栄養バランス的には重要で、ここでもエゴマ、チシャ、青唐辛子、ニンジン、キュウリの生野菜に、白菜の葉をゆでさまして積み上げたもの、白菜キムチ、ゴボウキムチ、大根キムチ、水キムチ、貝入りキムチなど様々なキムチがつく。葉に肉をのせキムチにテンジャン(辛子味噌)とニンニクを添えてほおばる。辛いものが苦手の佑滋は海雲台で買ったジャガイモスナックに肉だけを食べる。2種類肉を注文すると最初がたれなしのサムギョプサルでごま油をつけて食べる。続いてたれに浸したデジカルビ、骨付きで細長く切ったハーモニカ形で登場。鉄板に並べ切って焼く。ぐらぐら煮えたテンジャンチゲは直火にかけた黒く大きな容器に3人分纏めて入る。ご飯は各自の蓋つきステンレス容器に入れて3人分。ご飯も葉に巻いてサンパプ(包みご飯)にして食べる。 雨は降り続く。後から入店した韓国人女性は携帯電話をかけ、車を入口前に呼んで横付け駐車。こちらはトイレに行くと佑滋がついてくる。厨房までは靴を履き、そこで脱いで宴会場前のホールの突き当たりが、しゃがむスタイルの「和式」水洗便所。水は紐を引いて流す。食事の最後にスイカが出て佑滋も喜んで食べる。 その後16:50に精算するが相変わらず雨。佑滋をベビーカーに乗せ、行きの飛行機で包装に使ったビニール袋をかぶせ地下道まで戻る。因みに地下鉄駅の名称は「釜山駅」で、JR大阪駅に隣接する地下鉄御堂筋線「梅田」駅が「大阪駅」駅と名付けられているのと同じ。近くにある韓国国鉄京釜線終着駅の名称は当然「釜山」。京釜線の「京」は京城で今のソウルだが、同じくソウルにも地下鉄1号線の「ソウル駅」駅が存在。東京の地下鉄丸ノ内線の場合、JR東京駅に隣接した駅の駅名は「東京」で「東京駅」ではない。「釜山駅」自体を固有名詞として考える傾向が強いのか、その地点を「釜山」を名付けることに対する抵抗感が韓国語の語感にあるのかは不明だが、韓国人の好きな「湧き水」を「薬水ムル(ムルは水を示す固有語)」と名付けるように同(意)語反復に対する抵抗感が少ないのかもしれない。雨足が強いと地下道が長く助かる。途中の商店で母が色々眺めるが買うまでには至らず駅に進む。と言う訳で今回は国鉄釜山駅の姿は見ていない。次はロッテ百貨店釜山店(免税店)へ。17:10に地下鉄1号線老圃洞行きで西面まで北上。「草梁洞」「釜山鎮」「佐川洞」「凡一洞」「ホ゜ムネコ゛ル」と過ぎて約10分で到着。ハナロカードはトラブルなし。 西面は1号線と2号線の交差駅で出口の外も広く、最初間違えて北側の釜田方面に進みかけるが、人が少ないので表示を確認し引き返す。釜山駅より地下道も広い。2号線との交差点で西に入り目的地に向かうが、階段しか見えないところで10段ほどベビーカーごと佑滋を降ろすが体重17kgを越えるとかなり重い。あとは登りスロープになって入口まで続く。ヨーロッパ風彫刻を囲む噴水を囲む階段の先が百貨店。同じく『東アジア「反日」トライアングル』によると「高島屋の指導を徹底的に受けた」ロッテ百貨店(p118)だが、入口でW5000の海苔入り紙袋を販売。8階免税店への行き方を案内係の女性に"How can I get to the duty free shop?"と尋ねる。応答は"Elevators."だが、彫刻裏のエレベーターには免税店に行くものと行かないものが存在。乗り込むと外が見えるがまだ降り続く雨景色。免税店は日本人より韓国人が多い。母はエレベーター出口前で販売のメクラウナギ皮を使った財布に目をとめる。後で美山台へのお土産に購入。先に母が買物で、佑滋と妻と一緒に休憩所へ。自動販売機で妻は紙コップのコーヒーW300、佑滋は缶入りザクロジュースW600。自動販売機はハナロカードにも対応するが、最初は間違えてクレジットカード用のスリットを通す。ハナロカード用のタッチセンサーに気づき、カードを当てると残額が表示。自分用に紙コップのミルクコーヒーW300を購入。この自販機は確かに便利だが旅行中に見たのはここだけ。休憩する韓国人もキプリングのバッグやヴィトンの財布などを所持し日本人とあまり変わらない。これもウォン高の影響か。店内は空港免税店と違い酒やタバコがなく高級ブランドショップの雰囲気。妻の2杯目のコーヒーはW200だが余り違いはわからない。去年の海雲台パラダイス免税店では佑滋が飲水機で遊び水浸しにしたが、今年は少しお利口になりジュースを飲めば大丈夫。百貨店出口で母が先述の海苔を購入。18:40に往路を西面駅へ。「西面」からは「釜田洞」「楊亭」「市庁」と進んで「蓮山洞」。日本とは雰囲気が異なる駅名の漢字は、異国趣味(exoticism)の一種かもしれないが何か想像力をかきたてる。ただ憧憬の裏にはある種の蔑視があるという指摘には心すべき点がある。この点については『韓国のイメージ』(参考文献7)の「第五章 似て非なる国」で触れられる。佑滋は若いカップルの女性の方にお菓子をもらい「カムサハムニダ」と礼儀正しく応答。「教大前(教育大学)」を過ぎ地上に上がると「東莱」、夕暮れ空に雨上がる。「明倫洞」の次の「温泉場」で19:15に降りるが、疲れた佑滋が歩けるか妻が心配し、肩車でホテルに向かう。歩道橋の近くで木の枝が頭にあたる。妻と母は歩行者信号が短く少し遅れてホテル到着。まだ終了の20:00まで30分時間があり、大浴場へ佑滋と3人で行く。自分は部屋の浴槽を使用。大浴場の朝が早く夜も早い理由は相変わらず不明だが、所与の事態には適応する必要がある。20:10〜30にコンビニのGS25で夜食用のマッコルリに朝食のおにぎりバナナ等を購入。おにぎり1個を買うと飲料水500ccが1本おまけ。佑滋が勝手にお菓子を選び、かごにこっそり入れる。W5800で英語と韓国語の文章が並んだ『同時通訳英語会話』を購入し総額W15850。レシート紛失でコンビニとメガマートの個々の価格比較ができない。メガマーケットの海苔や飛行機のおつまみなどを肴にマッコルリを飲む。佑滋は最初蒲団の上で転がって跳ねるが疲れて寝込む。22:30就寝。

6. アイスクリーム

7/27は晴れ。今回はあまり変わった所に行かないが、小さな変化や発見がある。5:40に起床し大浴場へ。温、湯、熱、ヨモギ、水、冷水の6種類の浴槽と氷、温、熱の3別室を網羅体験し韓国人の温泉好きを実感。確かに総ヒノキの浴槽に露天風呂こそないが、早朝からの入浴者数を比較すれば台湾人より入浴を楽しんでいるのは確かだろう。佑滋が起きると部屋で朝食。荷造り後7:50チェックアウト。自分の荷物は海苔でかさばるが、妻の荷物は佑滋の着替えに胡麻油の瓶などでかなり重い。「温泉場」駅へ向かうと、歩道の街路樹の緑が雨水を吸って清々しい。歩道と高架線の間に韓国国花のムクゲの花が咲く。大きいのに目立たず、一時に咲く桜と違い花を落としながら夏中いつまでも咲いている。8:20に南下する「新平」行き1号線乗車、8両編成だが通勤通学時間帯でかなり混雑。8:30に「蓮山洞」で下車し8:35に3号線「大渚」行き乗換え。水営からの乗客は乗換え下車が多く、空いた車両はまだ新車の匂いのする2005年ROTEM製。地上に出た「亀浦」で金海空港方面乗換えの英語アナウンスがあり妻に指摘されるが、そのまま洛東江を渡り8:55に行きと同じ「江西区庁」下車。エレベーターで改札階へ降りると空港方面と金海方面の市内バスバス停への表示があちこちにあり迷わない。築堤状の道路を地下道で潜り、反対側に出ると階段が切り返し、一部が急なコンクリート斜面でベビーカーのままバス停に上がる。周りは畑で視界良好。道路の先が地下鉄の高架線でその先が江西区庁の庁舎。区庁側のバス停と違いバス待ちの人が少ない。ただ市内へ向かう一般の人以外に、大学のスクールバスも停まり学生を乗せて発車していく。ここはバスと地下鉄の乗継駅として便利で利用しやすいと思うが、韓国人はこの経路ではあまり空港に行かないようだ。しばらく待ち9:20にバス乗車。前乗りで料金箱の横にセンサーがありハナロカードをタッチするとW1400で現金よりW100割引。まだ残額があるが次回のために残しておこう。15分で金海空港国際線ターミナル到着。ホテルから1時間45分。昨年夏はホテルから東莱までタクシー10分、東莱から空港まで307番バスで1時間。佑滋がいるので多少乗換えに時間がかかるが地下鉄が延びると空港まで時間が読めて行きやすい。ハナロカードが使えるとお金の出し入れがなく便利。3号線終点の大渚から空港まで「軽電車(英語でLight Rail Transit, LRT)」を計画中との報道もあり、完成すれば307番バスは消えるのか?国際線出発ロビー入口では海外からの国際電話W3000割引カード配布。中は大混雑で大韓航空と日本航空には長い行列、大韓航空の方はカウンターが多くだんだん短くなるが日本航空は進まず列が更に延びていく。行きに見た農協ツアーの人もいる。いつも現地でほとんど日本人(ツアー)に会うことがないが。佑滋とロビーのコンビニGS25へ行ってアイスクリームW1000を4つ選ぶ。アイスを舐めても行列は進まないがようやくチェックイン。10:10にGS25で入国審査前に勤め先で配るおみやげ用の「両班海苔」W1500を3つ購入。単価W150の海苔パック10個入。日本で類似品が出回り韓国の業者が怒っているらしいがこれも「歴史は繰り返す」ということか。帰国後学校でお土産に配り、余りは弁当のときにご飯に巻いて食べている。そういえば10月15日に日生中央で10個入りパック1つを740円で売っていた。金海空港は出入国とも1階だけを使用する単純な構造で、手荷物検査・出国審査とスムーズに進むが広い待合室も混雑。母と妻が免税店に行く間、佑滋と2人でヨーグルトやバナナを食べて過ごす。でも先発の飛行機が出るとだんだんロビーも空いてくる。11:15搭乗開始前に係員がベビーカーを取りに来る。行きと同じ場所までバスで移動しJL968便は11:35定刻に離陸。毎日日本の衛星放送を見ていたので何も事件がないことは知っているが、読売新聞を発見し早速読む。帰りの機内食はサンドイッチにミニバーガー、ビールはキリンプレミアム。往きと同じ習性を示す。そういえば初めて乗った国際線(平成2年7月)、ボンベイ(現在はムンバイ?) 行きのエア・インディアでは、今はどうかは知らないが、ビール1本1ドルだったので買わなかったことを思い出す。あの時の客室乗務員はおよそ日本的サービスからかけ離れた鷹揚たる挙動で印象的だったが、今回のJALでは年配の男性客室乗務員の堂々たる「ジャパニーズ・イングリッシュ」の発音に感銘を受ける。さらに日本人ならまさにそういうであろう日本語を英訳したとでもいうその内容。でもその「日本人らしさ」もまた英語の一部を形成することに思いを致せば、十分に業務遂行上の役割使命を果たし意義もある。今まで乗った中では平均年齢の一番高いクルーだった気もする。ただ、韓国釜山からの便ならば韓国語機内放送もあってもよいのではという感想はある。乗務員が韓国語を使ったのは着陸前に立ち上がる乗客に対し「アンジュセヨ(座って下さい)」と言ったときだけだった。帰りは窓側座席に佑滋と妻が座り外は見えなかったが、明石海峡大橋から神戸沖へ抜け、神戸空港を見て大阪湾を南下し関西空港へ入るルートで12:46着陸。ゲート預けのベビーカー待ちでシャトル乗車は最後だが、入国審査場には前回台湾の時のような行列なくスムーズに通過。税関でも日本には韓国のような「旅行者携帯品申告書」もなく「何も申告するものはありません」ですんなり帰国。美山台に電話連絡。次のJR関空快速は大阪・京橋行きでなく13:30発のJR難波行き。新今宮到着14:19で14:25発の環状線に乗換え大阪14:42着。ここで京橋まで行く母と別れ、エスカレータを探し14:50発の快速姫路行きに乗り継ぐ。新快速に乗ると尼崎で福知山線とホームが違うが、快速は尼崎に14:56に到着時に14:57発のJR東西線からの快速宝塚行きに向い側ホームですぐ連絡。川西池田には15:10着。事前購入の「関西空港→大阪」の普通回数券と「大阪→川西池田」の昼割回数券を自動改札機に2枚投入。阪急百貨店川西店を通り抜ける歩行者デッキを通り川西能勢口駅へ。15:25の妙見口行き乗車。山下で乗換え15:48日生中央到着。美山台では母の天ぷらを頂いた。韓国海苔とスルメをお土産に渡しゆっくりしてから丸山台へ戻る。車のエンジンの警告ランプは点灯せず、調子も問題なく不安は1つ解消。佑滋の従兄もお盆にやって来てTシャツを渡すことができた。

(参考文献)
1.『ためぐち韓国語』四方田犬彦・金光英実、平凡社新書 2005
  自分としては最近それほど韓国語学習に励んでいないが、日本の案内表示にもハングル表示が増え、本屋の棚に並ぶ本は増え関心をもつ人は増えているようだ。パンマルというぞんざい言葉を並べて解説した本まで出るのだから正式な言葉を越えたものを求める人の姿がうかがえる。
2.『東アジア「反日」トライアングル』古田博司、文春新書2005
  韓国・北朝鮮は日本をどのように見て、それに対しそのように対応していくべきかを歴史経過を踏まえ考察。言葉の意味において「希望(希薄な望み)」を語る姿勢がよい。
3.『韓国・北朝鮮の嘘を見破る−近現代史の争点30』鄭大均・古田博司[編]、文春新書2006
  相手がひれ伏すような力がない場合、議論の前提になり実際に役に立つのは、あるべき姿の想定よりも現実の直視。あくまでも実証的な姿勢なのだろうが、そうするとどこかで無理難題と空想的事象(fiction)に対峙しなければならなくなる。
4.『韓国語はじめの一歩』小倉紀蔵、ちくま新書2000
  韓国語入門書だが文化的関心にも富み、「第五章 食の人生哲学」においては「食べ物をつくる人」の心意気を記述する。
5. 『歴史の嘘を見破る−日中近現代史の争点35』中嶋嶺雄[編]、文春新書2006
  この本は3に先行して出版された。朝鮮半島について考える場合、やはり中国、台湾問題も視野に入れることで日本の姿が逆に浮き彫りになる。
6.『コスモス朝和辞典(第2版)』菅野裕臣他編、白水社1991
  語彙はそれほど多くはないが、日本人学習者への配慮があり文法解説も有用。菅野裕臣についてはネットの「百孫朝鮮語談義」の自伝的部分が特に興味深い。なおこれもネットで入手した「日本における朝鮮語辞典の現況」厳基珠、(『専修大学外国語教育論集』第34号、2006.3)によると、各辞典の特徴とその問題点が母語話者の観点から実証的に纏められている。
7.『韓国のイメージ』鄭大均、中公新書1995
  戦後日本人の韓国に対するイメージを時系列に配慮しつつ分類整理し、その矛盾する感情(ambivalence)の意味を考察する。評価することは評価されることの裏側なのだが、短絡的思考は往往にして非現実的である以上こういう実証的姿勢が重要だろう。因みにambivalenceは大学時代から使用の『英和辞典』講談社1969では「反対感情両立」と記載され心理学用語として扱われているが、大学受験用辞典である『MD英語』古藤晃、朝日出版社1998では「矛盾する感情;どっちつかずの状態」と記載され、大学受験必要単語に「昇格」。因みに『ジーニアス英和辞典第3版』大修館書店2001では「相反[矛盾]する感情、(心理学用語)両面価値」、Longman Dictionary of Contemporary English(New edition 1987)ではopposing feelings towards, or opinions about, a person or thingと記述。だんだん旅の本筋を離れ仕事の日常に近づいてきた。
8. 『不思議のフィリピン』中川剛、日本放送出版教会1986
  フィリピンと日本の関係は浅からぬものがあるが、例えば旅行会社へ行ってパンフレットを探せばわかるが、多くの日本人は観光の対象とは見ていないし、政治的混乱や治安・犯罪の問題などでよいイメージを持たない場合すらある。でも近代化により日本人が捨て去った多くの心性を保持し続ける、鏡のような存在である側面を忘れてはならないし、それは米軍の機械力を見せつけ、"I shall return."発言を生んだコレヒドール島などの戦跡巡りと共に近代日本の道程を検証する過程といってよい。鏡といえば韓国もまた別の形をした日本を映す鏡であり、それは中国と比較すればより明確になる。
9. 『ソウルは今日も快晴−日韓結婚物語』戸田郁子、講談社文庫1998
  韓国人と結婚した著者の生活記録も興味深いが、さらに一家で中国黒竜江省ハルビンへ留学し、吉林省延辺朝鮮族自治州の韓国出稼ぎ事情まで調査する行動力に1つの可能性が見える。





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