夏休みの山日記(小川山〜奥又白)
8月12日: その売店の前が一番目立つだろうと思って、僕は暫く一行を待った。正面にはモンドリアンの絵みたいに木材で枠取りされた、不思議に真っ白な金峰山荘がこちらを向いている。先程の驟雨で白樺の林もその間から屹立する岩峰群も滴り潤っている。薄暮の迫る高原に包まれて、金羊毛を求め旅立ったアルゴノオトのように、随分遠くまで来た気分になった。
白岩敬(昭62理)と小田重人(平1理)が朝から車で入山しているはずで、白岩は「あの涸沢でさえわかるくらいだから、僕らのテントもすぐに見つかりますよ」と言っていたが、その何倍ものテントや車が、誰かが間違えて割ったくす玉の紙吹雪みたいに、白樺の斜面一杯にこぼれ広がっている。呼び出しをしても、なかなかやってこない。森の人のような格好でコッフェルを抱えた小田の姿を偶然見つけたのは、かなりたってからだった。たった今まで屋根岩の「南稜神奈川」に取り付いていたとのこと。このソフィスティケートされたリゾートでは、例の山岳部ルックはずんと沈んで逆に目立ってしまう。売店ではソフトクリームからEPIカートリッジ、ロックパウダーまで売っているし、コインシャワーもある。車でスーパーに買い出しも可能で、酒や生鮮魚(この奥秩父の山中で、塩をしていない秋刀魚!)も置いてあった。
夜は白岩と小田の白熱した議論を夜更けまで楽しんだ。この日は、ペツルのボルトの効いたショートルートのデシマルグレーディングとアルパインのそれを一律に論じられないのでは、という議題が中心で、2年生にショートのリード中にいとも簡単に恐れることなくフォールする者がいるようだが、万一その感覚でプロテクションが信頼できない長いルートに取り付くことがあれば問題だ、という事が発端だった。白岩の意図は、ムーヴの困難さと共に技術的困難さ以外の要素も、例えばイギリスのシステム(4a〜7bのテクニカルグレードの他に、プロテクション状況・高度感・ランナウトの長さ・試登の可能性などを含むシリアス度を表すEグレード)のように取り入れた方がよいというもの。アルパインのシステムも幾分そうした要素を既に取り込んでいるのでは、との反論もあったが、白岩の言い分には意見の一致をみて、日付が変わった時刻にビール缶やワインの瓶に混じってシュラフにもぐった。
8月13日: 既に高い日差しに起こされる。岩峰群は指呼の間なので、皆、日溜まりの猫のようにのんびりしている。谷を渡り森を登り、父岩に。有名な「小川山物語(5.9 30m)」は上に行くほど狭くなり、実際よりも高く感じる。ホールドに不足はなく三点支持が中心だが、外傾気味で細かく高度感もあり、朝一番の体と頭とでは、ムーヴの組立がぎこちなく、なんと言うところもない箇所で足が震えた。クライミングは筋力も大事だが、コンセントレーションとイマジネーションのエクササイズでもあるのだと痛感した。
次の「タジヤンII(5.10a 30m)」は出だしのスラブが難しい。「これは面白いですよ」とリードを終えた白岩は興奮気味に語ったが、確かに途中の横木から上はフレーク気味のクラックとフェイスのミックスで、様々な方向に体重移動させつつトリッキーで露出感あるオポジションクライムが楽しめた。
午後はスラブ状岩壁の続オジサン岩の「ぶんぶく(5.10a 15m)」。『岩と雪』のトポとは異なり、出だしのダイクを取りに行くのが核心だった。長友、白岩と歯が立たず、小田の登場。持ち前の腕力をここでも発揮し(さすがにホールドを握りつぶすことはなかったが)、かかりのよくないハンドトラバースからダイクを取った。終了点からの眺望は「贅沢な夏の休暇」という言葉を想起させた。その隣の「すったらもんだら(5.11a 15m)」は出だしのボルダープロブレム的なムーヴに3人とも解決がつかず、度重なるトライにもついに陥落しなかった。夜は例のごとく議論の花が咲く。
8月14日: 屋根岩2峰の入門ルートは順番待ちで水晶スラブへ転向したが、ここも同様なので、裏側の「精神カンテ(5.10a 25m)」に。空間にすっきり伸びた露出感のあるカンテは、鈍いブレード状のざらざらの岩肌でなんとか握れるが、フットホールドに乏しく、フリクションを効かせながらのレイバックがかなり厳しい。白岩が果敢にリードするがフォールを重ね、ついに指の皮が剥けリタイア。交代した小田もフォールの後、なんとか切り抜ける。長友フォロー。うまく耐えると、上方に引きつけの効くホールドがあり、ずりあがれた。上部は細かいが快適。ラッペル後表側のスラブに戻ると、ポピュラーな「あばたもエクボ」に。長友リードで始めたが、渋そうなので、エスケープルート(本来は初登ルート)の「ツイスト(5.10a 15m)」に逃げた(取り付きと終了があばたもエクボと同じ)。下向きフレークのアンダーを取ってトラバース後の登りが核心。上部はランナウトが長いので、易しいながらも緊張した。
次に、乗りまくっている小田が、「あばたもエクボ(5.10b 15m)」に挑戦。ボルト3本目までの段差(下向きのフレーク)を越えるのが非常に難しく、フォールを繰り返す。スラブも5.10bになると、ラバーソールでもずりずり滑って、体重がなかなか乗らない。更に4本目のランナウトが長く、小田は逡巡とスリップを繰り返す。靴底が剥げて白い底が見えてきて、トポの「やすり」の比喩の適切さを裏付けた。遂に登り始めたところで、「落ちる!」の声。はっと上を向くとごつい体が丸太のように横向きになって5~6mのフォール。幸い怪我はなく再トライしたが、心理的にもまいったのか、粘りに粘っても抜けることが出来ず、ヌンチャクを残して降りてきた。次に誰が、ということになったが、長友はランナウトに恐れを抱き、白岩は剥いだ指では無理だと言うことで、結局白岩が「ツイスト」をリードし、共通の終了点にロープを掛けてヌンチャク回収の後、トップロープで挑むことに。3人とも核心の段差でフォールを繰り返したが、長いランナウトの部分は難なくこなした。ロープを抜いたところで、小田が言った。「長友さん、リードどうです?」「お前がやんなさいよ」「いや〜、今しておかないと、次はないかも」と言うことで、長友リード。核心ではやはりフォールを繰り返したが、何とか終了。次に小田リード。白岩は指の負傷で(或いは、「どうせリードするならトップロープの直後でなく、新鮮な気持ちの時にやりたい」という彼なりのポリシーに従って)今回は見合わせた。四時頃ベースに戻り、遅い昼食後、親指岩へ。小川山レイバックは皆登りたかったが、このほぼ均一の幅で上方にまっすぐ伸びる素晴らしいクラックに合ったフレンズ・ナッツ類の持ち合わせがなかった。御殿様岩のイムジン河は、この高度感のあるフィンガークラックを陥とすのは我々の今の力量とは次元の違った話に思えた。十時頃撤収し、野辺山駅で関東方面に帰る白岩・小田と別れた。
今回は、トップロープとフォローと初見リードの違いを如実に感じた。W.ギュリッヒが『フリー・クライミング上達法』(山と渓谷社)で述べている「VII級のエキスパート(初見ルートを墜落なしで登るフラッシュが出来る者)はVIII級の上級者(トップロープによるムーヴの暗記なしに墜落しながらでも登る者)でありIX級の初級者(トップロープの確保が必要な者)である」という言葉を思い出しながら、待合い室で深い眠りに落ちていった。
奥又白に続く
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