19994 奥又白


  8月15日: 松本駅で池田祐司(昭57文)と合流。のんびりしすぎて、上高地に三時前着。梓川は水量が乏しく伏流箇所も見受けられた。徳沢から新村橋を経て中畑新道に。尾根道ではなく松高ルンゼの方を登ったが、下から見たよりも長く(希望的観測は時に判断に多大な影響を与える)、途中で日が暮れ小雨も。幕営のため整地を始めたが、落石と鉄砲水を危惧し、尾根に出ようと言うことに。闇の中、急登の薮を少しこぐと、中畑新道に行き当たったので、平らな所で幕営。水が乏しかったが、焼き肉でパワーを回復。

  8月16日: 何はともあれ奥又白池まで。今年は谷も沢も雪渓は殆どない。池は「クライマーの別天地」と言われているだけあって、急登と岩壁の間に忘れ物みたいに残されたささやかな緑の保養地といった感じがした。目前に切り立った峰々が迫り、頭をめぐらすと遠く雲の波から富士がのぞいていた。少し下った水場はぽたぽた状態なのでポリタンをセットして水を溜めておくしかない、と池田が報告。彼は殺菌用のタブレットも用意していた。

 今日中に1本、ということで、四峰正面壁「北条?新村ルート」へ。池田は簡易アイゼンで残り少ない雪渓をトラバースしたが、長友は末端を登り返す。アイゼンは必携だ。C沢にも雪渓がない。チョックストーンから先行パーティーが北条?新村ルートの下部を登っているのが見えたが、3P終了点のハイマツテラスとは逆の松高ハング方向に向かい、進退窮まっていた。T1で間隔が開くのを待っていると、ラッペルしてきた。12:20、入れ違いに取り付く。

 草付きガリー(III)は釣瓶で。壁は立って高度感がある。ハイマツテラスは随分広く、クレッターシューズに履き代えた長友が終了までリード。出だしは核心のVI級の二つのハングの切れ目(人工だとIV, A1)。落ちついて探せば手はあるが、足が乏しい。かぶっていて渋いが、手が割とかちっとしているので、落ちる気はしなかった。ムーヴ的にはともかく(デシマルで5.8くらいに感じた)この高度で荷物を背負っての初見リードは、やはりVI級と言える。昔はビブラムかトリコニーのナーゲルで条件が厳しかっただろう。抜けたトラバースはかなりの高度感を味わわされた。ピナクルからはIVのトラバース〜カンテ〜凹角。こちらも足が乏しく、「本当にIVか?」と顔を見合わせた。14:50終了(2時間30分)。握手で互いの健闘をたたえる。5・6のコルからの涸沢は殆ど雪がない珍しい光景が広がっていた。帰幕後、明日の検討。池田は四峰〜前穂高本峰東壁の継続を目指すが、僕には目標を達成したこともあって、モティベーションが今一つの感じだった。

  8月17日: 途中ボトルの水を飲んでいた池田が「あっ」と声を挙げた。「夕べ集めた水に、ヒルが混じっている」。次の水場まで(そんなものがあればの話だが)、その7匹のヒルと仲良くしなければならなかった。今回は雪渓の上部を通って(幸い、B沢末端で給水できた)7:50、四峰東南面の「歯科大ルート」に取り付く。1P、池田リード(V, A0)。人工混じりのかぶり気味の壁。抜け口にホールドが見あたらずかなり渋く、フォール。A1にする。フォローの長友は池田の残置したアブミを回収しようとして、フレークにアブミの付いたフィフィを掛けて体重を預けると、剥がれて落ちた。別のへこみに掛けなおして切り抜ける。涸沢からのクライマーが3・4のコルから本峰北壁へ取り付こうとしているのが見えたが、ひどく落石を起こしている。我々がC沢でひと休みしていた辺りにも、でかい奴が飛びかかっていた。取り付きがあと1時間遅かったらと思うと、ぞっとした。2P(IV, A1)をハング手前まで長友がリードして、ここから終了まで池田リード。池田は人工でハング越えを試みたが、最近は登られていないようで、ピンが錆びて脆く、しかもアブミの付いたカラビナをハーケンの穴に掛ける時に方向を意識していなかったため、てこの作用も手伝って、あっと言う間もなく抜けたハーケンごと落ちてきた。しかし彼はこのフォールで度胸が座ったのか、アブミに乗ってハーケンを打ちにかかる。リスが広いので、二本を重ね打ちに。「僕の思いつきはなかなかでしょう」「それはスタックというテクニックなんだけど」。とにかく着実に高度を稼ぎ、ようやく「アルパインクライミング」という感じになってきた。洞穴テラスまで渋い登りが続く。3Pの岩溝と凹角はA0の後、快適なフリー(V)。とにかく岩が浮いていて、池田がクリーニングのため大きな奴を落とす。C沢の方でも、陽が高くなって、上部にへばりついている雪渓が緩んだためか、落石の音が雷のように激しく鳴り、何ものかが我々の背中に手をかけてくるような気がした。11:50終了。池田がザックから魔法でも使うように取り出したフルーツの缶詰は乾ききった口に甘い刺激を与えてくれた。3・4のコルの落石状況があまりにひどいので、継続は諦めた。前日は長友がハイになっていたが、今回は池田が興奮気味だった。

 例の如く5・6のコルへ。白髪の人がハッセルのカメラと露出計を持って岩に跨って佇んでいた。僕も古い6?6のカメラを持ってきていたので、話がはずんだ。彼はなんと71歳で、荷物を背負って徳沢から奥又白の池を経てきたとのこと。「今日は涸沢泊りだよ」と疲れも見せずに笑う姿に、池田は「小西政継が仮面を被っているのではないか?」などと冗談を飛ばしていた。

  8月18日: 体調も昨日ほど悪くなくモティベーションも十分なので、前穂東壁右岩稜「古川ルート」へ。自然落石は連日陽が高くなってからなので、むしろ涸沢から取り付く人が起こす人工落石の方が恐怖だった。人が3・4のコルに現れる前にと、気持ちははやる。7:50取り付き。1Pは基部のトラバース(池田リード、III)。以下、ほぼ釣瓶で登る。2P(IV-)は一抱え以上の浮き石が凹角の真ん中にあり、触らずに越えるので緊張し、上部も立っていてホールドが乏しい。3P(III)はバンド状凹角を右上しピナクルで切る。池田はここで今回の山行で初めてクレッターに履き代える。4P (IV)は立って高度感・露出感のあるスラブの中のクラックだが、手足がしっかりしていて、快適で楽しい登はん。ビレイポイントがはっきりせず、調子に乗って上の方まで行きすぎてしまう。5P(V+)は核心の凹角〜クラック。ハンドホールドはあるがガバとは言い難く、スタンスはあまりない。こんなところでランニングをとる池田も大変だったろうが、回収する長友も緊張した。6P(III?)で北壁大テラスに突き上げ、7P(III)の北壁から第二テラスへ。A フェースの最後の2ピッチ(III+とIII)はハーケンが多すぎてルートが適当になる。本峰直下のチムニー状のフェースが面白かった。13:10、前穂高山頂に到着。靴を代えたり他ルートの確認で時間を食ったが、充実していた。

 下降はA沢(1時間15分程)。明神方向の三本槍を過ぎた小さなコルで赤布の木を目印に左に曲がるとケルンがあり、下降口。更に下った明瞭なコルから下又白の谷に降りぬよう。間違えて下った人は、獣道のトラバースで3時間以上要したと告げた。15:00帰幕、撤収。2時間30分程度で徳沢へ。幕営して、山荘で夕食。夜、雷が鳴り雨がぱらつく。蝶ヶ岳ヒュッテ付近では落雷があったと、山頂から降りてきたアルペンホテルの女の子が翌日教えてくれた。

  8月19日: 池田に誘われて、横尾の岩屋に永松のケルンを積みに行く。屏風を見上げ、雲稜ルートなどを目で追う。足の豆が痛むが、空荷の道は楽しい。こうして、与えはしないが何かを確実に受け取るという、考えてみれば奇妙な僕たちの行為の日々は終わろうとしていた。昼頃松本に。銭湯は3時からだが、早く垢を落としたいなら24時間営業のコインシャワーが便利だ。松本駅から左の道を進みスクランブルの交差点を左折しガードをくぐる(その先の米屋は量り売りをしてくれた)。その先の信号の右手だ。

 今回はスポーツクライミングとアルパインクライミングを少しずつながら経験したが、考えさせられるところが多かった。前者はかなりの程度安全を保証されているという前提の下、技術的なムーヴの追求が中心で、アスレティックな面が強いが、後者は(初登でなくても)アドベンチャラスな要素が強い。無論、前者にもアドベンチャラスな面があり、後者にもアスレティックな面があるが、心理的な方向性に違いがあることは否めないだろう。但し、岩を楽しむ気持ちは両者に共通で、だからこそ僕たちはどちらにも魅力を感じ、飽きもせず擦り傷を作り、指の指紋をつるつるにして喜んでいるのだろう。そしてそれは、現に生きているというこのつかみ所のない状況に於いて、何か可能なものを成し遂げたという、一抹のヒロイズムを伴った甘美な経験でもあると思う。けれども、或いはそれは単に「僕らは何かをしていなければ不安なんだ」という気持ちの表出に過ぎないのかもしれない。





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