天気良好、トレース有り
〜早月尾根から剣岳〜
長友 敬一
メンバー 長友敬一、池田祐司
12月29日 上市(タクシー)伊折(3時間)馬場島(4時間)1500m地点
一体いつまでこんなことをしているのだろう。それが上市駅前の地下道で横になっている僕と池田の共有する疑問だった。それから未知のルートへの緊張と天候の変化への不安を最新鋭の装備で包み、届け出を済ませた僕たちは早月尾根の末端に取り付いた。
一年の夏山合宿で早月を下った時に見た黄色い花も緑の草も今は堅い雪の底に埋まっていた。
空はまだ明るく、トレースも新しかった。冷え冷えとした大気に沢音だけが微かに響いていた。わかんを履いた足を雪に取られながら松尾平を過ぎ、急登をひたすらに登った。久方ぶりの負荷は体内から汗を絞り出し、ウールの下着はぐっしょりと濡れた。1000mを過ぎると、僕のエネルギーは途切れがちになり、立ち眩みに近い感覚にしばしば襲われた。本当に一体いつまでこんなことをしているのだろう。血糖値を上げるために休息の度に何か甘い物を口に押し込んで、長く尾根を引く大日岳や遠い五月に登った小窓尾根のぎざぎざを眺めた。もう動けなくなった頃に、その日の幕営地を定めた。冬の底にひっそりと眠る富山の市街を遥かに見はるかす雪の尾根の片隅だった。
12月30日 1500m地点(3.5時間)早月小屋(4時間)剣山頂(2.5時間)早月小屋
明日の午後から天気が崩れる。剣はしばらく荒れる。僕と池田は早めの登頂計画を立てた。9時までに早月小屋にたどり着けば、そのまま一気に頂上アタックをかける。それが出来なければ小屋の側にベースを張って翌日の午前中のアタックに賭ける。天候次第では長期戦もあるだろう。池田は秋にも源次郎から早月を降っており、その蓄えがあるためか体力的には十分いける。今日のアタックの成否は疲れ気味の僕の肩に掛かっているようだ。とにかく行くしかないだろう。
急登は登っても登っても際限なく現れた。トレースが有り難かった。
幾つめかのピークを登ったとき、彼方に小屋の屋根が見えた。
9時半に小屋に着いた。天気は良好。何とか行ける。僕たちはテントを張るとアタック準備にかかった。
かつての五月に辿った小窓尾根も見える
わかんをアイゼンに履き代え、トレースの続く尾根を高みを目指した。
足が重い。2600m付近で僕はとうとう動けなくなった。
「足どりが危ういですよ。引き返しましょうか」
池田の問いかけを弾む息を整えながら聞いた。
「顔色も悪いようですよ」
確かにオーバーワークのようだ。冷たい雪面に座り込んで僕の脳蓋の中では縺れた思考が転がっていた。まだ幾つかの雪壁やエボシ岩や獅子頭などの岩稜の通過も残っている。この足どりで行けるだろうか? もし明日出直すことになれば、天候は怪しい。しかし既にここまで来ているのだ・・・。
息が整うと冷静な思考が戻ってきた。高く雲が出てはいるが天候はしばらく大丈夫だ。体力も甦ってきた。パートナーも信頼できる。大まかなタイムリミットを設定して、行くことに決めた。
時々雪を含んだ横殴りの風が息を奪った。雪の斜面はきつかったが、岩が出てくると元気が湧いてきた。急な雪面にアイゼンとピックを打ち込んで登るのは快感でもあった。雪の状態が良く岩場も難しくなく、ザイルを使う必要がなかったので、リミットぎりぎりで山頂に到着した。
風は冷たかったが、眺望は素晴らしかった。遠く後立の山並みや槍が見えた。僕たちは握手を交わし、軽く食事をした。池田の携帯電話は何とか繋がるようだったが、バッテリーが冷えていたためにすぐに切れた。
下山もザイルを使うことなく、順調に降っていった。暗くなる前にテントに戻った。夜は雪混じりの激しい風が吹き付けていたが、登頂を果たした気安さがテントの中に暖かく充満していた。ふんだんに準備した食料を贅沢に食べ、余った飲み物を存分に飲んだ。
12月31日 早月小屋(3.5時間)馬場島(雪上車)伊折(タクシー)上市
早朝から山頂付近はガスに覆われ始めていた。その中に消えていくパーティーを見送りながら、僕たちはさっさと撤収を済ませようとした。テントが空になった時、突風がテントを池の谷側に吹き飛ばした。咄嗟に池田が追いすがり、何とか取り押さえることが出来た。
それから余裕の気分で下山にかかった。悪天は次第に麓まで下りてきたが、僕たちのスピードの方が僅かに早かった。静かな尾根では小鳥の声が柔らかな雪に吸い込まれていた。
馬場島は小雨だった。下山届けを済ますと、山岳警備隊を取材して来たという富山大生がタクシーの相乗りを求めてきたため、僕たちもついでに県警の雪上車で伊折まで送ってもらえることになった。その学生の話では、新しいトレースは富山大の山岳部が付けたものであることがわかった。
富山で銭湯に入り、高岡まで電車で足を伸ばして映画館で『バーティカル・リミット』を観た。富山に戻り屋台街で打ち上げをしているうちに二十一世紀を迎えた。
日枝神社に参り駅に戻ると、錫杖岳左方カンテを終了した福原孝康(平成3理)ペアにばったり会った。同じ夜行で大阪まで戻った。
天候に恵まれ、トレースに助けられ、雪質もよく、気温もさほど低くなく、外的条件は五月の山のようだった。僕と池田の結論は「これでは冬の剣に登ったとは言えない」ということで一致した。登らせて戴いた、という感の強い山行だった。だが今ごろは二つ玉低気圧の通過で剣は本来の厳しい貌に戻っているに違いない。
しかし僕たちは一体いつまでこんなことを続けていくのだろう。
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