ルート工作 8月5日〜6日
ルート工作の計画は以下のものである。一日目は、私の案内で取り付きまで登り、柏瀬、山崎が引けるところまでルートを延ばす。大内、吉田はベースで休養を採った後、夕方には取り付きに上がってビバークし、二日目の早朝から後を引き継ぐ。私は一日目に参加してもいいし、取り付きで休んで二日目のパーティーに合流してもよかった。これはもともと大内さんの役回りだったのだが、中国に来る前々日までピッツバディレでクライミングをしているときに背負い込んだ風邪が復調していないために私にバトンを渡したのである。
四川風の朝食はいつもあっさりしている。味の付いてないお粥が多い。それを辛いザーサイとともに食す。高敏さん手作りの饅頭の時もあった。これはジャムをつけるととてもいける。この日はデザートにハミウリが出た。初めて食べるその味は、スイカとメロンの中間のような甘さで、私はひどく気に入ってしまった。もっと乾燥した暑い大気の中で食せば、さらに旨いに違いなかった。小金県名産の青いリンゴも、小振りで酸味があるが、悪くなかった。
食後、早朝の紅杉林に着く。ヤクの放牧の為に粗末な小屋がけに住んでいるチベット族のおじさんに会う。しきりに手振りで、たき火で暖まっていけ、と勧めてくれる。私達が「あの山に登るのだ、時間がないんだ」と身振りで答えると、今度は別の仕草を始めた。どうやら橋の位置を教えてくれているらしい。「橋はわかってるよ。一昨日に確認してるんだ」そう返して林を下流の方に下っていこうとすると、またもや身振りが続く。観念して後を付いていくと、小屋がけの裏手に、私達が見つけたのよりももっと太くて丈夫な丸木橋があった。握手を交わしてルンゼに向かう。暫く林間の踏み跡を詰め、谷に出る。しばらく流れをたどり、急になったところで再び藪に入る。半時ほど木の枝を払いながら高度を稼ぐと、再びルンゼに出る。その最後の水場で水を補給し、黄色く色づいた行者大蒜の斜面を右上する。新たなアプローチの発見で、取り付きまでの時間は3時間に短縮し、疲労は数分の一に減少した。
一昨日のフィックスロープをウシュバやロープマンで登る。今日の最初のピッチ、つまり通算3ピッチ目は私がリードさせてもらった。草付きのフレークが五十メートル以上延びている。左手のフェースを暫く登る。III級程度だが、スリップでもしたら怖いのでハーケンを打とうとした。しかしリスが浅すぎで、ハーケンは歌うどころか曲がってしまった。下部はほんとにリスがほとんどない。
3ピッチ目下部 フェース クラックもリスもない!
仕方なく引きつりながら効かないカムをセットする。フレークに移ると、カムがしっかり効くようになり、安心して高度が稼げた。
3ピッチ目上部 草付きフレーク カムが決まる
終了点にはボルト二本。このピッチはIV級程度。
3ピッチ目をフォローする柏瀬祐之氏
3ピッチ目の終了
4ピッチ目は山崎さんリード。フレークの続きをたどりフェースに出る。少し被り気味の手前でランニング用のボルトを打ち、核心を越えてもう一本。終了点にはボルト二本。私はロープを二本も入れたザックを背負っていたため、非常にきつかった。V級程度。
4ピッチ目を開拓中の山崎洋介氏
4ピッチ目核心を行く山崎洋介氏
5ピッチ目は柏瀬さんのリード。ルート全体の核心部分だった。直上は手がかりのないスラブなので、右のダイクを十数メートルトラバースし、小さなクラックやフレークが切れ切れに続くスラブをつないで登っていく。トラバースは5.8くらいだが、外傾した細かなスタンスはスリップしそうで恐ろしい。ピンも遠い。
5ピッチ目 トラバースの途中でランニングのボルトを打つ
登りに入ると、細かな結晶のような出っ張りをうまく使ったスラブクライムや、指のかかるかかからないかというフレークを使っての登攀。
5ピッチ目 直上に移る柏瀬祐之氏
ボルトは4本、カム1本。柏瀬さんは核心の手前ごとにきちんとボルトを埋めている。ここを初見でプロテクションを取りながら登る度胸には、正直感服してしまった。グレードも5.10cはあった。
ランナウトが遠い! 「雪豹ピッチ」
渋いクライミング 5.10cくらいはある
5ピッチ目核心
5ピッチ目終了 フレークにて会心の笑みで手を振る柏瀬祐之氏
取り付きまで息を切らしてへいこら歩いていたおっさん(失礼!)が、岩の中では豹変してしまった。
なお、このピッチの登攀に関しては、
柏瀬祐之氏「岩山からの贈物」
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に詳しい記述があります。
そこから上は与しやすそうだったので、その日はここまでで下降に移った。
本日の開拓はここまで 下降にかかる
各ピッチにフィックスを残して、取り付きに。
ロープはフィックスして降りる
装備を整理していると、大内、吉田パーティーが登ってきた。
「お茶でもどうですか」
との大内さんの申し出は有り難かったが、暗くなるのでそそくさと降りる。紅杉林では再び例のおじさんにつかまった。岸壁の方を指さし、親指を立ててにやっと笑った。「よくやった」とでも言ってるのだろうか。それから、お茶でも飲んでいけ、と誘っているようだったが、辺りは暗くなりかけていたので丁重にお断りした。
翌日は山崎さんが「高度順応のため」とか言って再び登っていった。タフなお方だ。私は柏瀬さんと休養日を決め込む。紅杉林に降りて、ヤクやジャガイモの焼き串をいただき、下から見物する。高敏さんに借りた双眼鏡でルートを覗いていると、中国人の観光客がすぐに集まってきて、入れ替わり立ち替わり自分にも覗かせろと催促する。例のおじさんもなにやら解説を始めたようだ。これには辟易してしまい、最後には少し道路を下った人気のない木立の中に移動した。
大内、吉田、山崎パーティーは9時に取り付き、フィックスをたどって昨日の最高到達点に着くと、リードを始めた。6ピッチ目は大内さんリード。草付きのフレーク状を右上。IV+〜V級程度。それから右に回り込むと傾斜が緩くなり非常に楽勝だ。下から見ていた私達は当然そのルートをたどるだろうと思っていた。しかし7ピッチ目もリードしている大内さんは、なんと直上を始めた。
「どうしたんでしょうね。右にルートをとった方が楽なのに」
私の問いに柏瀬さんは静かに答えた。
「何か考えがあるんだろう。傾斜が緩いと撤退が難しいし。まあ、任せておけばいいよ」
この7ピッチ目はV+〜VI級あったらしい。
続く8ピッチ目は山崎さんリード。傾斜もあり被り気味のところもあったが、カムが効き、ガバホールドも使えて豪快に登れたとのこと。5.9程度。彼らはそのピッチの終わり、4500m地点に、頂上アタックに備えてあの重い登攀具を全てデポして降りてきた。後は傾斜が緩み、一気に行けそうだった。
私達は下から下降路の当たりを付けていた。
「頂上を経て、左の稜線をたどり、途中から例のルンゼに向けて下降したらどうだろう」
柏瀬さんの問いかけに私は答えた。「でも、途中に岩の帯がありますよ。巻くのも困難みたいですし」
「懸垂下降を二回ほどすればいいよ。大したことはないだろう。もちろん、他にいい下降路があればそちらを下ればいいわけだ。ところで、ここから見ると、岩全体は人の顔に見えるね。今ルートを引いているところが鼻で、両側にあるルンゼは目から涙を流してるみたいだ」
私は手帳にその巨大な顔をスケッチし、中央に引かれたルートの傍らに「牛心山北西壁ノーズ」と書き込んだ。
「あの僕がリードしたピッチは、ライオンか虎の横顔に似ているね」
彼は私から手帳を受け取ると、そのピッチの岩の形状を書き出した。「僕らが到達した浮き石が眼でさ、ルートは頬の辺りで」
「あ、本当だ。じゃあ、雪豹はどうでしょう」
「いいね、それ」
私達はそのピッチに「雪豹ピッチ」という名を与えた。
二つのルンゼの中央の鼻に「夏の雪豹ルート」は引かれた
ベースで皆が合流すると、登攀の希望に話が弾んだ。
「あそこまで行けば、もう後は楽なので降りてきました。一気に頂上も狙えたくらいだけど、落ち着いて行きましょう」
大内さんは満足げに言った。アプローチも、藪のないもう少し楽な行き方を見つけたとのことだった。
この日の登攀の模様は山崎さんの記録を転載させていただくことにする。
* ********以下、山崎さんの記録*************
8/6 ○→● 550起ム600stム900取り付きム1430 7P終了ム1630取り付きム1930 BC
大内隊と合流すべく五時起きする筈が、心配した柏瀬氏に起こされたのが0550。折角朝食も断ったというのに・・・。まだ暗い道を歩くと、昨日よりもしんどい気がする。全然上がらないペースに泣きそうになりながら樹林帯に入ると、見事に道を間違う。シャクナゲの密林を頭痛と動悸、息切れにさいなまれながら登高するのはまさにメロスの気分。
上からの笛に導かれてようやく合流。
昨日のfixを回収しつつ4Pまで登高。ザイルを全部背負って5P直上ルートに挑戦。案の定撃沈。
6P 大内リード。全身をガチャに鎧って右上の草付き凹角を直上。この辺りからクラックが顕著になってくるのでフレンズががっちり効く。中間点で右上して二畳程のテラスへ。意気は上がらないが息は思い切り上がる。このテラスで二人は昼食。わたしは取り付きでビスケットを囓ってきたので食わず。吉田君がボルトを一本埋めて次ピッチへ。ここは3〜4人はビバーク可能な広さ。
7P 大内リード。右上気味に真上のスラブに入る。そこから右に入ればII〜III。しかし柏瀬氏の素晴らしいルートにインスパイアされた大内氏「右に逃げてはルートを殺してしまう」と困難を求め、更に直上。八の字ハングの下のフェースをどん詰まりまで終了。ハングの下は、下向きのクラックになっていて、エイリアンの小さ目のものがよく効く。終了点はボルト。
8P 山崎リード。ここでとうとう耐えられなくなり、トップを譲り受ける。八の字の頂点から直上。数メートルで稜線に合流する。クラックにフレンズをセットしつつ、右手のラインを辿る。傾斜は落ちているが全身の筋肉に送る酸素が足りず、ひいこらいう。右も左も見る余力はなかったが、後で自分がうらやましくなるような素敵なラインが引けた。
傾斜が落ち、稜にまたがった所で確保。岩とアングル。大内氏がアングルとボルトで下降支点を設定。クライミングに慣れていない泰三氏はやはりひいこらいいながら登ってきた。
ここまで登ると紅杉林やBCのテントが随分と小さくなる。おそらく山頂までは困難な箇所はないだろう。上部帯もそれほど脆い印象はない。
8, 4, 2, 1P にザイルをfix。最上段にフレンズをほとんど残置して下降。
今度は大内氏のガレ場草付きなんのそのルートでアプローチを戻り、遅くなる前に帰幕。
ポツポツと降り出した雨の中、鶏氏の犠牲に瞑目しつつスープをむさぼった。
************以上、山崎氏の記録から***********
停滞 8月7日〜9日
テントでくつろぐ
その夜から雨が降った。ご馳走を目の前にしてお預けをくった形だ。頂上アタックにはワン・ビバーク、一日半は欲しい。予定ではベースキャンプを撤収してトレッキングに出るのは8日からだった。いずれにせよ予定変更は避けられなかった。
「とにかく、牛心山アタックを第一目標にしたいと思います」
大内さんの意見に皆うなづいた。
翌日、ポーター頭がやってきた。高敏さんを交えて、日程変更を申し入れた。偵察を省けばトレッキング自体は可能だった。チョンピンコウに入らずにピープンコウをそのまま下る案も出されたが、来年まで車が入らないと言うことで却下された。
私たちがベースを離れている間、敏さんと玲さんはトランプなどで時間を潰していたようだった。そのカードを使って、皆でゲームを楽しんだ。大内さんは危うげな手つきを詐話師のような話術で補いながら、手品を披露した。支点のセットの仕方や遭難救助、登攀倫理など話題には事欠かなかった。
通訳の高玲さんに中国語を教わったり日本語を教えたり
翌日も朝から雨だった。トレッキングの予定は潰れてしまった。それでも皆は陽気だった。テント生活は心から楽しかった。
楽しい食事
沈殿生活も和気藹々
この夜は皆で歌を歌った。
更に翌日も雨。柏瀬さん持参の文春文庫のエッセイ集『木炭日和』をテキストに朗読会。
笑顔が絶えなかった 朗読会も行った
皆で餃子を作った。皮を延ばす棒まで、その辺の枝で手作り。
餃子作り1
餃子作り2
餃子作り3
餃子作り4
餃子を焼く人あり
餃子を食べる人あり
冷静に記録を取る人あり
四川風の水餃子に対抗して、大内さんは焼き餃子を制作。
敏さんは、「成都では、天の周辺が明るければ雨だが、天の真ん中が明るければ晴れる、と言います。今は真ん中が明るいから、きっと晴れるでしょう」と言った。大内さんは、「雨が続けば、敏さん、照る照る坊主になってもらうよ」と笑って答えた。
雨は降り続く ポーター頭との交渉中
最終アタック 8月10日〜11日
まだ暗いうちから大内さんは天気が気になって何度も起きていたようだ。私も外を覗いてがっかりした。辺りにはガスがかかり、小雨がテントを叩く音が微かに響いた。起床予定時間、大内さんは柏瀬さんのテントに相談に出向いた。大内さん一人なら突っ込むところだが、今回はパーティーのリーダーであるため、判断に慎重を期しているようだった。
お昼に中華粽を食べ、雨が止んだら取り付きでビバークして翌早朝アタックということになった。雨は上がり、次第に晴れ間も覗いてきた。私達は濡れた物を干し、午後の出発に望みを託した。
「尖山子(ベース西方の高峰)の雲が晴れたらいいんだが」
大内さんは空を見上げて独り言を言っていた。
午後3時半頃に、出発。尖山子の上空は相変わらずどんよりしていた。二時間後、私達は取り付き付近にツェルトを張った。夜は霧雨が薄い布地を叩く中、いろんな話に花が咲いた。
取り付きに張ったツェルトの中でのビバーク風景
翌朝、ツェルトを叩く雨音が妙に変化していた。外を覗いて私はあっけにとられた。一面の白。雪が5cmほど降り積もっていた。これではアタックはむろん、デポ回収も無理だった。それよりも、この岩の上に広がる草付きの急傾斜から無事にベースまで降りることすら困難だった。柏瀬さんは慌てる様子も見せずに落ち着いて言った。
「こりゃ降りられないな。雪が解けるまで待ちますか。なんなら明後日まで待ってもいいし。状況変化に焦って行動を起こした時に、事故は起こりやすいもんだ」
「そうですね。食料も十分だし」
大内さんもそれに応じた。
それから下界から隔絶された窮屈な空間で、水揚げされたマグロのように体を並べジョークを言い合ったり吉田君の恋愛体験を聞き出したり私の品のないドイツ語?の詩を朗唱したりして時を過ごした。
朝起きると雪が・・・
異常気象に呆然とする一行
取り付きにも雪は積もっている 草の上の積雪は滑りやすい
午後、雪は緩んできた。取り付き付近を歩いて回り、下山できる確証を得た。一つ奇妙だったのは、取り付きまでアイゼンを付けた人がやってきて引き返したような足跡が付いていることだった。
「高敏さんが心配してきてくれたんだ」
皆はそう思った。成都広しと言えど、クライミングができるのは二人しかいないらしい。その一人が敏さんで、もう一人は彼のパートナーだ。
ツェルトを撤収し、取り付きにデポしてあったわずかな登山具を回収すると、私達は一路下降を始めた。雪の乗った草付きはよくスリップしたが、ルンゼまでくると大したことはなかった。
岩の割れ目のデポを回収 最高到達点のデポは残置することに
紅杉林に降り立つ ドライバーにタバコをもらう
ベースに向かう
ベースに戻って高敏さんに「取り付きまでアイゼンを着けて見に来てくれたのか」と聞くと、「そんなことはしてない」との返事が返ってきた。あの足跡は何だったのか、結局分からずじまいだった。
初登頂は逃したが、充実の笑顔
旅の終わり 8月12日〜14日
翌日もガスと小雨。牛心山には雲がかかっている。気温も低い。時折の雨の止み間に濡れた物を乾かす。昼の食堂テントでは柏瀬さんが玲さんに尋ねていた。
「山じゃなくて観光で訪ねるんだったら、四川にはどんなところがありますか。いつも山に入り込んでいるので、観光だったら山とは関係のないようなところがいいんだけどね」
シャングリラや、外敵に備えた八角形の建物のある地域とか、女人国、と玲さんは言ったが、通い婚の残る女系社会の地域について話が交わされた。
放牧された馬がテントまで寄ってきた。午後4時に来ることになっていたポーターが遅れているので、私達は高敏さんと荷物を残して先に下山した。
日中のメンバー 左より 大内 高敏 高玲 柏瀬 吉田 山崎 長友
紅杉林の手前でポーターとすれ違った。
荷物が降ろされるのを待って、車に乗り込んだ。
男性の低く響く歌声が一節流れ、それに呼応するように女性の高い声が調べを奏でた。それが私を目覚めに誘った。ここはリーロンの日月山荘だ。夕べは久しぶりにシャワーを浴びて柔らかなベッドで眠った。
朝食は例の味のない朝粥とゆで卵。それから車に乗って成都に向かった。途中で大内さんは何度も車を止めた。目に付いた花を撮影するためだ。これがまた長い。飽きることなくあちこち歩き回っては熱中して腰をかがめている。
「またゲンゴロウになってるな。いや、カメムシか」
柏瀬さんは愉快そうに笑った。しかしそのおかげで、「マボロシの」青い芥子を見ることが出来たし、さらに個体数が少ないという赤い芥子も拝めた。峠の辺りは、本当に一面の花畑だった。
四川観光定番のパンダ園では、玲さんをはじめ皆はしゃいだ。気づくと大内さんがいない。
「また花でも撮ってるんじゃないの」
「まさか、こんな所で」
そのまさかだった。
成都でラサグランドホテルに投宿の後、世界一の味とかいう陳麻婆豆腐で祝杯を挙げた。
陳麻婆豆腐にて
「ここの勘定は私が持ちます」
柏瀬さんは年長者らしさを発揮したが、カードも日本円も使えないと聞いて青くなった。「人民元を持ってる人は貸してくれ」
さらにホテルのバーで語らい、お互いがそれぞれのメンバーに、そして高敏さんや高玲さんに謝意を表し、旅を締め括った。
翌日は成都の古い町並みを観光し、市場で土産を買いハミウリや桃を食べ、本屋で時を過ごした。
成都 バックパッカー御用達の宿
中国の出版事情が珍しく長居をしすぎたため、ケンタッキーフライドチキンをテイクアウトして車中で頬張りながら空港に向かった。別れ際、玲さんの頬に涙が流れた。いつまでも手を振る敏さんと玲さんに、私たちも何度も振り返っては応えた。
私たちは高みを目指した果てに何を見るのだろうか。美しい光景だろうか。初登の栄誉を讃える人々の姿だろうか。満ち足りた自分自身の影だろうか。もちろんそれら全てを私は予想していた。しかし何にもまして、ふるいにかけられた土砂の中に光っていたものは、信頼できる人と人との絆だったように思われる。未知の景物と触ったことのない岩肌に会いに来たのだったが、同時に人と出会う旅でもあった。
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