唐沢岳幕岩 登攀報告


  期日:2002年8月28日〜9月1日
メンバー:長友敬一、池田祐司


行動概要:8月28日 入山、偵察。
     8月29日 畠山ルート。取り付き5:50〜終了11:55〜ベース15:00。
     8月30日 S字ルート。取り付き6:15〜終了13:00。
     8月31日 広島ルート。取り付き6:30〜終了14:30。
     9月1日  下山。

行動詳細:

8月28日 早朝入山。タクシーで高瀬ダム下まで。信濃大町駅の周辺のコンビニは無くなっているので、途中で朝食を買う。
 カラ沢を右に左に辿り、金時の滝は右岸のガレをフィックスを頼りに登る。ワシの滝は左岸から楽に巻ける。
金時の滝


 大町の宿に居を定める。誰もいないので虫除けと猿よけのためにテントを張った。水場があるので重宝する。
 その後、畠山ルート、S字ルートの取り付き偵察。畠山ルートは分かりやすかった。S字ルートは2ピッチ目終了点の「カニのハサミのピナクル」を目印に探したが見つからない。後で大町の宿から双眼鏡を覗いていた池田が言った。
「あれがそうでしょう。ピナクルというより、フレークですね。見つからないはずだ」
 S字ルートの取り付きは、情報通り、崩壊していた。池田はそこを直登しようと目論んでいる。恐るべし。
 早めにベースに戻って、ゆっくりと夕食をとる。池田持参の餃子は美味だった。彼はフライパンと油を染み込ませたキッチンペーパーも持ってきていた。用意のいい奴だ。

幕岩の顔 大洞穴ハング



8月29日 今回の山行の起床は毎日ほぼ4時半。食事をしてゆっくりコーヒーを飲み、畠山ルートに向かう。取り付きは5:50。今回のルートは全て、リードを交代しながら、つるべで登った。
 出だしの草付きは適当にピッチを切る。3ピッチで人工の赤茶けた垂壁に。一段上がって草付きを左へトラバースし、人工が始まる。ここの人工はちょっと手応えがあった。凹角に少し上がり込んだ所に残置シュリンゲがあったので、そこでピッチを切る。

人工終了


凹角へ


この凹角が核心部のVらしいが、乾いていることもあって、何と言うこともなく通過する。
核心?の凹角


後は大広間テラスまでどんどん登る。
三寸バンド下


そこで軽く食事。

 後半はクラックから始まる。灌木のテラスでピッチを切る。
「人工やっても面白くないから、左の大チムニーを行きましょう」
 池田のリクエストに賛成するが、チムニーへの取り付きが分からない。上の方に残置シュリンゲがあったので、それを使うことにした。少しフレークを登り、シュリンゲでA0をして、チムニーの下の立木にすがりつく。そこからフレークを豪快に登っていく。ロープが屈曲して重いのと、池田にリードを残しておきたいので、途中でピッチを切る。

チムニーに入る




そこからバックアンドフットのチムニー登りだった。少しぬめり気味で簡単とは言い難い。途中、小さめのカム類を幾つか用いた。


チムニーの上部


後は灌木帯や草付きを登り、小さなハングを左に巻き、露岩を草付きに沿って右上して小さなチムニーを登って、藪に突入。藪を抜けると赤布が目の前に揺れていた。ここがトラヴァースバンドだ。11:55終了。
「チムニーが一番充実しましたね」
「そうだね。あれは賢い選択だ」
 そんなことを言い合いながら再び軽く食事をして、赤布に導かれて右稜の頭を目指す。踏み跡が途中で結構登りになっているのには参った。ルンゼを下ってシュリンゲの付いている枯れ木が目に入った。
「これが下降点かな」
 私の言葉に池田は答えた。
「でも、このシュリンゲの巻き方は変ですよ、懸垂下降の支点にしては」
「しかし、他に何もないようだしね・・・」
「じゃあ、僕が先に降りてみましょうか」
 池田はそう言って浮き石で溢れかえっているルンゼの底に消えていった。
 しばらくして池田の叫ぶ声。
「あ、右側にもルートがある」
 上で待っていた私は、他に踏み跡がないか探してみた。すると、まだ下にそれらしきものが延びている。辿っていくと、顕著な下降支点の先が断崖となって切れていた。急いで戻ると、池田に向かって怒鳴った。 「そこは違う!」
「他に下降点があるんですか?」
 地の底から叫ぶ声。
「他にある!」
 何年も前に大凹角ルートを登った時の記憶が、遅ればせながら戻ってきた。
「そこは大凹角ルートの終了点だ」
 池田は「ひどい仕打ちだ・・・」と苦笑しながら、渋いルンゼを登り返してきた。「登りやすいルートがあったけど、ロープが延びている方に行かないといけなかったので、苦労しましたよ」
 ぜいぜいと息を荒げる彼に私はひたすら謝った。赤布がもっと続いていて欲しいところだった。
 50mロープのダブルで懸垂下降。先発の人間は、土が落ちてきたりロープがジャミングしたりしてやっかいだった。
「お先にどうぞ」
「いいえ、そちらこそ」 と、麗しい?譲り合いが毎度繰り返された。4回で右稜のコルに降り立つ。
 ベースに戻ると、関西からの二人組(ヨシダさんとドウグラさん)が私達のテントの横に佇んでいた。
「すぐに撤収します」
「すいませんね」
「もともとビバークサイトですから」
というやりとりをして、テントからポールを引き抜くと、岩屋の奥に敷いてごろ寝の態勢を作った。あちらも今夜は餃子だったので、フライパンを貸した。納豆を頂いたので、こちらは納豆カレーを食す。彼らは明日は松本ルートだか大町ルートだかを登るとか。
 寝袋に入っても視界を遮る物がないので、夜のとばりが次第に降りていく様がわかる。


8月30日 S字ルートに取り付く。6:15。池田は崩壊した正規の取り付きを物色していたが、そのうちあきらめて、右隣の明峰ルートから登ることになった。人工が2ピッチ。
取り付きの人工


昨日の二人が、洞窟ハングの左端の前傾壁に取り付いているのが見えた。カニのハサミのピナクル(やはりどう見てもフレークだ)の左側を抜け、草付きでピッチを切る。
正面がカニのハサミ


ちょっと右に移って、ルンゼ状スラブとトポにあるピッチを行く。別のトポではカンテ状ともなっているが、なに、狭いルンゼの右はカンテ状になっているだけの話。ピンも少なく、どっちを登っても大差ないようだった。
 さて、トラバースのピッチになった。しかし、ここもピンが少なく、どこをトラバースするのか判然としない。池田がとにかく右に進み、灌木でビレーを取って、ブッシュで切る(きちんとしたビレーピンを使ってないだけに、もうこのあたりから怪しい)。長友はさらに右に進むのか、斜上するのかわからない。水平方向にビレイポイントがあるが、雲峰ルートのものかもしれない。とりあず様子見に斜上したら、クラックに残置のカム(この位置にあるなんて、大いに怪しい)があったので、ランニングビレーをとった。それから更にどんどん斜上すると、被った渋い草付きが行く手を阻む。ピンもない。
「どうやら違うんじゃないかな。さっき見たビレーポイントが、どうやら正規ルートらしいよ」
「引き返せますか」
 かなりランナウトしている。
「もう難しいね」
 草付きを越えた先にリングボルト。雲峰ルートのものだろう。仕方ないので、クラックにカムを噛ませて、「えいやっ」と草付きを乗り越えた。そこから雲峰ルートに入る。人工になる。途中、渋いフリーのムーブも混じって、ピッチ終了。
抜け口


次は岩混じりの草付きを越え、再びS字ルートに戻った。
 次のピッチは緩いスラブの左上。



テラスで切って、更にスラブを緊張するフリーも交えつつ大岩テラスまで。
上方に大岩テラス


「上半はピンがないですよ」
と、リードした池田。確かにおっしゃるとおり。

 次はトポによると「凹角スラブを左上」となっている。しかしどこに「凹角スラブ」なるものがあるのだろう? ピンのない「草付き凹角」はあるが。トポが気持ち左上して書いてあったので、少し左にトラバースして様子を見るが、ピンが見あたらない。やはり「草付き凹角」だろうか。とにかく細い灌木やクラックにカムを噛ませてランニングビレーを取りつつそこを登る。抜けると古いピンを発見。どうやらここで良かったようだ。ロープ一杯、「快適なスラブ」なるものに突入する。  立木で適当にピッチを切り、更に登っていく。上部の凹状スラブはほとんどピンが見あたらず、精神的に参った。最後はブッシュに頼りつつ、被った凹角の下で灌木でビレーポイントを作って切る。この被った凹角は中央を登るのかもしれないが、ピンは見あたらない。左に古いハーケンの連打が見える。
「どっちだと思う?」
「どっちでしょうね?」
 結局、左を辿る。
「こっちはやっぱり違うようですよ」と池田の声が上から響いてきた。彼はとにかくそこを抜け、左にトラバースして被った岩を上がり込み、ブッシュの中でビレイしていた。後は藪を分けて適当に終了。13:00。トラバースバンドを捜すのに少し苦労した。
 下降点から登ってきたルートを振り返った。例の二人組が岩の途中にいるのが見えた。
 降りてくると、ココアを飲んだりしてくつろぐ。夕食は池田のキムチちぢみ。これは旨かった。お隣さんは食事が終わっても帰ってこない。暗くなってもまだ戻らない。
「彼らは、今日はビバークかな」
「だいぶ下にいましたからね」
 真っ暗になって彼らは戻ってきた。予定通り、明日下山するとのこと。


8月31日 朝食をとって出ようとすると、お隣さんも起き出した。取り付きへの道を尋ねた。大町の宿から大洞穴へ登る。最後はスラブに古いフィックスが下がっている。それを頼りに大洞穴の中に上がり込む。洞穴の天井はあまり距離は感じなかったが、あまりの見事な被りように少しひるんで、のろのろと準備に時間をかけてしまった。しかも天井の抜けは垂れ下がっていて、ドームの内側のようだ。広島ルートにだけ、古い残置シュリンゲが点々と下がっていた。取り付き6:30。1ピッチ目はA3-で、ドームの天井をひたすらアブミの掛け替え。



最頂部はピンが遠かった。抜けるところも遠く見える。
「これは遠い! 届かない!」
私は苦戦していたが、よく見るとすぐ上の横リスに黒くハーケンの影が。それに助けられて何とか抜けきる。



 ビレイをしていると、S字ルートを登っている3人組が見えた。
 2ピッチ目はフェイスの人工と草付きスラブ。
2ピッチ目


次はルンゼ状スラブのフリーだが、ピンの少なさに私は恐れをなし、腰が引けてしまった。メガネハングを抜けて少し行くと、安定した所に。そこからも私は脆そうでピンのないスラブにビビってしまい、横の草付きの方へと体が向かう。大テラスからの「快適なスラブ」も、ピンが見あたらず(1本だけ浅打ちのハーケンがあった)、左手の草付きの凹角へはまってしまった。そこにリングボルトがあったが、どうも正規ルートを逸れている。ビレイポイントがない! ロープが足りない! 池田にだいぶ登ってもらい、ブッシュを頼ったりしながらハーケンが3本打ってある所まで上がり込む。
「恐がりすぎですよ」
池田の言葉に、
「でも、脆そうだし、ピンはないし」
「フリーに慣れて、ピンがないと登れなくなったんじゃないですか」
たしかにそうかもしれない。
「でも、正規ルートに戻っただろう」
「ここは違うんじゃないですか?」
 トポの書き方に従えばここだと思うが、彼の言うとおりかもしれない。かなり脆そうだし。とにかくビレイポイントを一つパスして随分とよけいに登っていることは確かだ。
 正規ルートに戻るべく、池田が「脆いフェイス」の下の草付きをトラバースする。ピンが見つかった。
「ここでしょう」
「でも、そこは京都ルートじゃないか? まっすぐ登ればハングだろう?」
「でも、長友さんのいるところはルートじゃないと思いますよ」
 彼はとにかくそこをリード。トポではVのはずが、フリーではとても渋いようだ。すぐに人工になる。
松の木バンドを目指す


「やっぱり京都ルートだよ」
「そうかもしれません」
 とにかく松の木バンドに上がりこむ。
 次は前傾壁をアブミの掛け替え。ピンは近い。アスレチックな、というか、やたら疲れる単調なピッチ。


広島ルート後半の前傾壁の人工


前傾が終わるとリングボルトが3本固め打ちしてあったのでピッチを切る。
 S字ルートのパーティーは、まだ遙か下の方に見えた。
 次のピッチは傾斜は垂直になり、ピンも遠目になる。途中、渋いフリーで上がり込む所もあった。小ハングの下で終わる。


前傾壁を抜けて、垂壁の人工。この後、渋いフリーの1ムーブが交じる


そこから小ハングを抜けると、傾斜の緩い凹角とスラブが続く。スラブが終わったらトラバースバンドにいた。終了14:30。軽く食事をとって下降にかかる。
 懸垂下降の途中で、
「リス!」
と池田が叫んだ。何のことかと振り向くと、小さな生き物が枯れ木から草付きに飛び移って、土の所に着地してしまい、激しく足を動かしていたがすぐに落ちてきた。触っても全く動かない。ヤマネのようだった。
「擬態ですかね」
「うん、心だ振りかもしれないね」
「後の人に踏まれないように脇にどけといた方がいいですよ」
 池田の言葉に従って脇の草むらにそっと置いたが、まだピクリとも動かなかった。


 懸垂が終わると右稜のコルに見知らぬ二人組がくつろいでいた。どうやら大凹角ルートを登っていた人たちだ。池田の話では、もう1パーティー、登っている最中らしい。彼らを追い抜いてベースに戻ると、私達のシュラフの隣にツェルトが張ってあった。今追い抜いた二人のものかな、と思っていたら、違っていた。
 「僕たちはもう下山します」
 尼崎から来たというその二人組の一人が言った。九州から来たという話をすると、
「宮崎の比叡山とかにはよく行きますよ」
 そう言って、共通の知り合いである、比叡山や鉾岳の登山基地、庵・鹿川の面々の話に花が咲いた。
「九州にはいいルートがあるのに、なんでここまで来てるの?」
と聞かれて、
「まだ登ってませんから」
としか言えなかった。ここのフリーはスラブが多かったが、確かに鉾岳や比叡山の方が数段面白いと思った。それから、彼、ハシモトさんは、今まで登った面白い岩場やルートをいろいろと語ってくれた。
 私達も下山しても良かったが、連日の行動で疲れているので、明朝の下山とした。
 彼らが下山しても、隣のツェルトの住人は戻ってこなかった。夕食を終え、暗くなって寝袋に入り、池田がいびきをたてて眠った頃にやっと二人組が戻ってきた。多分、大凹角のもう一つのパーティーだろう。池田も起きて、挨拶を交わし、私と池田はすぐには寝付けないので、永井荷風や漫画について話した。


  9月1日 早朝、コーヒーと乾き物を食べて、荷物をまとめると、下山にかかった。ダム下でタクシーを待っていると、運良く一台客を乗せてダムの上に向かっているのがあった。その帰りの空車に乗って大町へ。
 旅館で風呂だけ借り、旅の垢を落とし、駅に荷物を置く。せっかくの機会だから、ということで、山岳博物館まで歩く。結構面白かった。池田は付属の動物園でカモシカやライチョウを見たいというので付き合う。
 帰りに、塩の博物館へ。入る前に、真向かいの蕎麦屋で腹ごしらえ。とても旨かった。おやきも美味。博物館では管理人の人と話し込む。


   というわけで、この夏の山行も終わりを告げた。私にしてみれば、かなり充実していたと言える五日間だった。






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