2005年 中国四川省 牛心山



南面からの牛心山 「夏の雪豹ルート」は北西面、左の稜線のすぐ向こう側



「夏の雪豹ルート」600m 16ピッチ 5.10c 開拓の経緯

2002年
8月2日:双橋溝の車道の終点、紅杉林にベースを張り、大内、吉田、長友で、麓からルートのラインを探り、渡渉点を確認。
8月3日:大内、吉田、長友で、高度4000m以上に広がる密集したシャクナゲの藪こぎの末、北西壁に取り付きを定め、大内リードで2ピッチ試登。帰路、北西面ルンゼからの最短のアプローチを確定。
8月5日:長友、山崎、柏瀬の順にリードして、3〜5ピッチ目まで伸ばす。
8月6日:大内、山崎、吉田で、6、7ピッチ(大内リード)、8ピッチ(山崎リード)と伸ばし、最高到達点にデポし、フィックスして降りる。翌日から連日の雨でベースで待機。
8月10日:雨が上がったので、柏瀬、大内、長友、山崎、吉田で、取り付きにビバークし、一気にラッシュを図るが、翌朝雪が積もり、タイムアウトで下山。
詳細

2003年
中国行きを計画するが、SARSの影響で断念。
2004年
8月21日:三沢氏率いる庵鹿川全国同人と関東のメンバーで、ピンプン溝から峠を越えて、双橋溝へ。24日、紅杉林にベースを張る。しかし滞在中はほとんど雨天だった。
8月21日:皆のサポートを受け、長友、石橋、川合で小雨の中「夏の雪豹ルート」を2ピッチ登り返す。30日、庵鹿川の前半参加隊と入れ替わりに、生田夫妻と池田が入山。
9月1日:大内、長友、生田夫妻、長塚、室屋、須貝で、北東面の偵察。生田真也リードで、生田愁子、長友と北東壁を小雨の中1ピッチ試登。
9月3日:長友リードで、室屋、須貝と共に、小雨の中、北東壁の2〜3ピッチ目のガレ場にルートを延ばす。
詳細

2005年
9月8日(木)
 福岡空港から中国国際航空で上海経由、成都に19時過ぎに着く。大内さんも成田──北京経由で同じ頃に到着。雪豹体育探検公司の李慶さんや高偉の出迎えを受ける。李慶さんの家に泊まる。大量の巨大な松茸の歓迎に会う。











牛心山周辺図


9月9日(金)
 成都を発ち、車で現地へ。高速に乗って世界遺産の都江堰を過ぎる。途中、いつもの市場で買い出し。活気に溢れている。去年建設中だった道路が今年は立派に完成している。相変わらず車が多く、えらく混雑している。山に入り、貝母坪(バイモヘ)で花の写真を撮る。17時ころ、巴朗山の4523mの峠に。ブルー・ポピーは僅かに咲き残っていた。大内さんは花の撮影。私は高度順応のため、しばらくジョギング。19時ころ、日隆鎮へ。ここは四姑娘山の登山基地でもあり、一年の間にホテルが建ち並び、すごい変わり様だ。21時ころにいつもの王さんの民宿へ。朝食:車内で揚げパンと豆乳。夕食:日隆でタンメン。



市場の光景
リンゴなどを売っている




バイモヘで花の写真を
お花畑が広がる




峠からの五色山(左)やプニュー(セレスチャル・ピーク、右のピラミッド)
大飛燕草の仲間。




まだ咲き残っていたブルー・ポピー




9月10日(土)
 車の終点の紅杉林(ホンシャンリン)へ。そこの林の中にテントを設営。今回のメンバーは、連絡官の李慶さん、コックをしてくれる黄さん、大内さん、長友の四人。大内さんと二人で、偵察を兼ねてクライミング・ギアをデポに行く。丸木橋を渡り、例のルンゼ沿いのアプローチを重荷と高度にあえぎながら登る。天気は最高で、向かいのアピ山や懸垂氷河が美しく輝く。3ピッチ登って「雪豹ピッチ」のフィックスロープを確認して降りる。昨年のギアの盗難に懲りて、目立たないようにシャクナゲの茂みにギアをデポ。19時に帰幕。朝食:四川風お粥。夕食:松茸。



紅杉林のベース
今回のメンバー・スタッフ




アピ山(未登)
その右手の山々(未登)


9月11日(日)
 ビバーク装備を背負って取り付きに。三年前に引いた1〜8ピッチを、何カ所か残っているフィックスロープを頼りに登る。フィックスがないピッチは長友リード。オール・ナチュプロのピッチも幾つかあり、自画自賛かもしれないが、ライン取りが素晴らしい。しかしギアやザックが重い。三年前の最高到達点である8ピッチ目の終了点に着き、デポしてあったギアを回収して、9ピッチ目のゆるいスラブを長友がリード。ギアを終了点の付近にデポして、7ピッチ目の終了点にあるテラスに降りる。ここは二人用のテントが張れた。シュラフカバーで快適なビバーク。朝食:四川風お粥。夕食:ジフィーズ。



「夏の雪豹ルート」へのアプローチ




アプローチの途中から
ルートは右の稜線あたり




取り付き(クラックの左)からルートを仰ぐ
2ピッチ目を登る大内さん




3ピッチ目
5ピッチ目(雪豹ピッチ)の大内さん


9月12日(月)
 今日中に抜けるつもりで、テントは残して、昨日の最高到達点へ。10ピッチ目は長友が、11〜13ピッチは大内がそれぞれリード。出来るだけカンテに沿って、時々左の凹角に逃げながら、ピッチを延ばす。今回は電動ドリルでボルトを打ち、時間を大幅に短縮できた。カムも有効に使えるが、ハーケンが不足しているので、フォローは回収しながら登る。13ピッチが終了して、ガレ場に飛び出す。ルートを、本峰直下にトラバースして本峰を目指すラインに採るか、直上してジャンクション・ピークに抜けるか、と迷いながら、ガレ場を登って偵察する。二人とも重荷と高度で疲労困憊。ガレ場を右に巻くと、眼下に右上する廊下のようなランペの先に、容易そうな凹角がジャンクション・ピークに延びているのを発見。時間が無くなってきたので、今日中に突っ込むか、大内さんが見つけたガレ場上部の岩陰でビバークするか、下のテントまで一旦引き返すか、思案する。ガスが出てきてガレ場からの降り口がわからなくなるといけないので、とりあえず13ピッチの終了点を明示するためのケルンを積みに少し下る。そこで足が伸ばせる岩陰を見つけたので、もう一夜ビバークをすることに決める。水は二人で400ccほど、食料もビスケット程度で、着の身着のままでロープをマット代わりに敷いて、4700mでの一夜を過ごす。寒さで眠れず、お互いに抱き合いながら朝を迎える。



9ピッチ目のスラブを登る大内さん
10ピッチ目




11ピッチ目をリードする大内さん
13ピッチを抜けて、ガレ場へ


9月13日(火)
 明け方少しうとうとする。ビスケットを口に入れ、乏しい水を分け合って、ガレ場を登り返す。ランペを少し登ってカムで確保点を作る。14ピッチ目は大内リードで、何メートルかトラバースして凹角に入り、直上していく。15ピッチ目も大内リードでさらに大石が重なる凹角を登る。若干ハング気味の稜線の壁に突き当たる。16ピッチ目はその壁を長友リードで左から巻き、ついに稜線に到達。「夏の雪豹ルート」全16ピッチの完成である。重い装備はそこにデポし、ロープと少しのギアで、裏側を歩いて、13:40に、4900m以上のジャンクション・ピークへ。振り返れば、一ヶ月ほど前に山野井泰史さんが登ったポタラ峰の北壁がその頂稜をガスの中に埋めて屹立していた。牛心山本峰の頂上は、さらにギャップや稜線上の岩塔を越えて、2ピッチほどの登攀の後に到達出来そうだった。しかし、そうするためにはもう1ビバークは覚悟しなければならず、ギアと水と食料と時間が不足している。ベースの李慶さんにも、「一泊程度で戻る」と言っておきながら既に二泊しているので、降りるべきだと判断した。14:10から、延々と懸垂下降。ロープ回収時に岩角に引っかからないかとひやひやしながらも、無事テントまでたどり着く。そこでデポしてあった水を思う存分流し込み、撤収してさらに下降を続ける。取り付きの草原に降り立った時には、二人とも疲れ果てると同時に、得も言われぬ開放感に包まれた。ほとんどの装備を茂みにデポして、とにかくベースまで下る。18:10に、李慶さんや黄さんに迎えられる。疲れた体に合うようにと、夕食はカレーとキュウリの酢の物が用意されていた。有り難いことだ。



中央やや右の壁からカンテラインへ





ギアの目安
ロープ:9mm 50m 2本、キャメロット:#4、#3.5、#3、各2、エイリアン:1セット、ハーケン:15本、ボルト:数本+ボルトキット、カラビナ:15枚、スリング:15本(うち、長め5本)、ビバーグ装備。なお、壁に取り付くと、水は得られない。



9月14日(水)
 登攀が終了した気安さで、朝はゆっくりくつろぐ。それから李慶さん、大内、長友で、昨日のデポを回収に取り付きへ。大内さんと李慶さんは花の写真を撮り、長友も景色を撮りながら、のんびり登る。無事デポを回収して、夕方降りてくる。朝食:パンケーキ。夕食:大内さんの松茸寿司、黄さんの豚汁。



巨大な松茸!
紅杉林のすぐ近くの岩




尖山子
すでに秋の気配。今はリンドウが主役


9月15日(木)
 ポタラ峰の隣の老鷹峰(ラオイーエン)の肩にある、標高3680mの白海子(パイハイツ)という湖を見に行く。現地の人くらいしか行ったことはなく、もちろん日本人では最初の訪問者になるようだ。紅杉林でバイクをチャーターして、ヤクの牧場まで道路を下る。丸木橋がなかなか見つからず、牧場の人に聴いてやっと渡渉。人跡のない森の斜面を延々登る。途中、李慶さんが「獣の臭いがする」と言うので辺りをよく見ると、巨大な獣の足跡や座った跡が。熊かもしれないので、笛を吹いたり棒で木を叩いたりして音を出しながら進む。森林限界を過ぎると、行く手に老鷹峰が圧倒的な姿を被せてくる。私たちの登った牛心山も違った角度からの眺めを見せている。例のごとく写真を撮ったりキノコを採りながらで、五時間くらいかけて湖に着く頃には小雨が。岩峰に囲まれた湖はとても透き通っていて、思わず声を失うほどの眺望だった。17時過ぎに出て、下りはガレ場をほぼ真っ直ぐに。下部で日が暮れ、暗闇の中で沢を下る。歩いて渡渉し、李慶さんが携帯で呼んだバイクに分乗してテントへ。朝食:粟粥。夕食:お汁粉、大内さんのスギタケ汁。



老鷹峰(ラオイーエン)
白海子(パイハイツ)




近くに老鷹峰、遠くにアピ山を望む
湖底が花崗岩のため、水が澄んでいる




湖から流れ出る水は幾つもの滝を作っている
さらに谷に合流し、ニンジン果坪へと流れていく


9月16日(金)
 時々雨が降るので、停滞日。たまにはお湿りもいいものだ。雨続きだった昨年とはうってかわった余裕を楽しむ。朝食:パンケーキ。夕食:隼人瓜の炒め物など。





9月17日(土)
 好天の中、テントを撤収し、午後から王さんの民宿まで移動。王さんの家の近くで、五色山(李慶さんが名付け親とのこと)を眺める。信じられないほど曲がりくねった巨大な褶曲が岩肌に記されている。



ポタラ峰。山野井さんは、右奥の壁の中央やや左の凹角を、下の雪の残る辺りから稜線に抜けた。




千メートルを超える垂壁。未登。








老鷹峰はポタラ峰のすぐ隣にある。嘴が天を衝く


9月18日(日)
 五色山を間近で眺めるため、王さん家の裏山に登る。裏山と言っても標高は4400m以上はあり、3350mの王さんの家から一気に1000m以上登る。向かいの家の楊さんにポーターになってもらう。下の方はサーチの林で、上に行くとヒイラギブナが多く生えている。点在するお花畑で写真を撮ったり、石を拾ったり、薬草を掘ったり、ヒイラギブナのドングリを食べたり(ちょっと渋い)と、皆思い思いに楽しみながらゆっくり登る。頂上周辺は森林限界を越え、草原上に。14時過ぎにシートを敷いて昼食をとり、それから更にお花畑を登ると、五色山の例の巨大な褶曲が目の前に広がる。一時間以上は飽きることなくその景色を眺めていた。帰りに、来るたびにポーターを勤めてもらっている週さんの家へ。李慶さんが週さんの娘さんの義理の父親に請われたとのことで、名付けを頼まれていたようだ。琴ちゃんというかわいらし名前を付けていた。家の壁も年期が入っていて、歴史のある家だった。夜、成都から高偉さんや通訳の史さんが来た。今日は中秋の名月ということで、ご馳走の後、月餅や果物の饗応にあずかる。



王さん家の向かいの山。かなり高い
王さん家の裏山。こちらも高い




五色山。この褶曲は凄い!








週さんの家。チベット風の古く大きな家
お茶をご馳走になる


9月19日(月)
 長友は、黄さんや史さんと共に成都に向かう。大内さんは更に踏査の旅へ。今回はほぼ晴天続きで、昨年ご一緒した庵鹿川の方々や関東の方々に、この景色を見せてあげたかったとつくづく思った。成都のラサホテルに投宿し、史さんと本屋に行ったりスーパーでお土産(食材)を買ったりして、横町の餃子屋さんで夕食をとる。

9月20日(火)
 早朝、高敏さんが迎えに来た。8:05の便で福岡へ。



帰りの峠の登りに見た四姑娘山



高山病対策:事前にランニングを行い、腹式呼吸を心がけた。入山前に越えた峠では、ランニングを行い、その夜は一気にベースには行かず、1000m降りた所で宿泊した。酢酸は血管を拡張し血圧を下げる効果があるとのことだったので、入山後は、ベースでは中国の黒酢を一日大さじ一杯以上、ビバーク中はクエン酸スティックを飲んでいた。また、血中の酸素を効果的に運ぶヘモグロビンの数を増加させるため、鉄分の補給も行った。これは空港で買った「マスチゲン」という薬を服用した。気休めだったのかもしれないが、今回は高所順応は割とうまくいった。


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