白海子・ワーグルセイ峰(5,300m)初登頂(後半)


2007年8月20日
 再び、白海子へ。私はこれで通算、6度目の往復になる。すでに懐かしい場所になってしまった。ベースには、チームメンバーは大内尚樹、大内和子、妹尾佳明、長友敬一が、中国人スタッフは李慶さん、姜峰さん、陳さん、清さんが上がった。李慶さんは、なにやらいいものを持ってあがって来ていた。ワイルド・ターキーのプラスチックボトル・・・に入ってたのは、結構旨いブランデー、医療用の、経口腸内洗浄剤の丈夫なプラスチックパック(医療関係の友人からもらったとか)に入っていた茶色い液体は・・・12年物の紹興酒、そして新潟の清酒も上げていた。清酒は「登頂記念に飲みましょう!」とのことだった。



ベースの荷揚げを手伝っていただいた村の人たち(撮影:妹尾佳明)。





湖越しにベースと岩峰を望む(撮影:大内尚樹)。





湖から流れる清流の畔でお昼寝?中の和子さん(撮影:大内尚樹)。



2007年8月21日
 2日分のビバーク準備をして、壁に取り付く。ビバークに適した9ピッチ目終了点までは荷揚げしたい、と思っていたが、各ピッチのリードは意外に手間取った。また、午後に雨も降ってきて、結局、前回ビバークした5ピッチ目の終了点にデポし、出だし2ピッチにフィックスして下降。

2007年8月22日
 5:00に朝食を採り、ガレ場を取り付きに向かう。途中で電動ドリルのバッテリーやカメラなどを忘れていたのに気付き、妹尾に取ってきてもらった。7:00過ぎに壁に取り付く。順調にピッチを辿る。ただ、途中、7ピッチ目を長友、妹尾でユマーリングしていると、突然、がくん、とロープもろとも落下した。支点のボルトが、打ってある岩肌が壊れて、抜けてしまったのだった。バックアップに打ってあったハーケンが効いていて、それで止まったのだが、冷や汗ものだった。以後、支点には気を遣うようになった。
 午後には前回の最高到達点の9ピッチ目を過ぎる。10ピッチ目の逆層のあるフェースをリードしていた大内が、「横の方にトラバースすると、いいビバークサイトがある!」ということで、11ピッチは下り気味のトラバースをして、18:00には、その岩が被っていて、三人が横になってもまだ十分に余裕のあるビバークサイトに、カムで支点を取ってツエルトを張る。かなり寒く、濡れたクライミングシューズなど凍ったりしたが、天気も好くて快適な避難所だった。ベースではこの日、水の流れが凍ったという。

2007年8月23日
 4:30に起き、ジフィーズや飲み物を作る。一段落してもまだ暗いので、もう一眠り。7:00過ぎに登攀再開! 12ピッチは斜上する凹角から小ハングを越え、快適なフェースに。13ピッチはクラックが続いていて楽しそうだったが、近づくとかなりワイドで、ジャミングもできないしカムも適正サイズがなかった。仕方なく、横のフェースを登って、肩に抜ける。14ピッチは被り気味のチムニーに岩が沢山挟まっていて、上部は大きな岩がハングして行く手を遮っている。ここを抜けて、15ピッチはダイクを斜上トラバースし、斜上・逆層気味の岩の積み重なった箇所をクラックを利用して登る。この終了点から、頂上らしいピラミッド型の岩が見えたが、「まだ2ピッチはありそうだ」と思われた。16ピッチ目はやはり岩の積み重なった斜上クラック。しかし高度を稼ぐにつれて、ピラミッドは間近に迫る。
 ピラミッドは思ったよりも大きくはなかった。それを巻くと、もうそれ以上上はなかった。頂上だ! 13:50、三人はついに登頂を果たした。頂上の岩は、細長い屋根形テント状で、私たちはそれに馬乗りになって、中国の国旗を掲げて写真を撮ったりした。好天の中、遥か下にはベースの白海子が見える。長坪溝や大溝の岩峰群も、素晴らしい高さの壁を誇っていた。そして彼方には、四姑娘峰や五色山も、雪をまとった姿を見せていた。
 さて、後は下降である。途中でビバークはごめんなので、今日中に降りようと、14:10にそそくさと懸垂下降を開始した。終了点にボルトが一本しかないピッチにはピンを打ち足し、短いピッチは新たな下降ラインを設置して一気に下り、途中のビバークサイトのデポを回収し、と手間を掛けたようだったが、結局、18:30過ぎには取り付きに降り立った。16ピッチを4時間少々で下降。これは記録か? 
 へろへろになった私たちの荷物運びのサポートに、陳さんが取り付きまで迎えに来てくれた。ベースに戻ると、李慶さんが昼から仕込んでくれていたカレーが待っていた。彼は言った。「カレーを作りながら、ルート名を考えてました。キョウサイはどうですか」。思い返せば、3年前、李慶さんと大内と長友で初めてこの白海子に登って以来の、三人の宿願の課題・・・「あの花崗岩のとんがりを登りたい」・・・が果たされたのだった。ルート名はそれで決まった。それから日本酒を開け、お祝いの乾杯! 





前年に開拓したロンゲサリ峰「沙棘(サージ)」ルート3ピッチ目取り付きからのワーグルセイ峰(右)と老鷹岩(左)。特に真ん中の岩峰は、思ったよりとんがっていた




ルート(赤線)






ルート(赤線)






トポ


中国横断山脈チョンライ山系・双橋溝白海子・ワーグルセイ峰(5,300m)
初登頂ルート「キョウサイ(Kyousai;四川省登山協会の李慶氏命名)」680m 16ピッチ A1・5.10c
登頂日 2007年8月23日 
チームメンバー:大内尚樹、大内和子、妹尾佳明、長友敬一、平山敏夫

1P 50m 5.10a スラブ〜クラック(大内リード)
2P 25m IV+ クラック〜バンド(大内)
3P 50m A1・V スラブ〜クラック(長友)
4P 50m A0・5.10a 逆層スラブ(大内)
5P 25m IV フレーク(大内)
6P 50m A0・V+ スラブ〜クラック(大内)
7P 50m A0・V- スラブ〜バンド(大内)
8P 30m A0・5.10a スラブ状フェース(大内)
9P 35m A0・5.10a フェース〜斜上バンド(長友)
10P 50m A1・5.9 逆層フェース(大内)
11P 25m III- トラバース(長友)
12P 50m A1・5.9 フェース(長友)
13P 50m A0・V フェース〜クラック(長友)
14P 50m 5.10c チムニー〜小ハング(大内)
15P 50m 5.10a ダイク〜斜上クラック(大内)
16P 50m 5.10b 斜上クラック(長友)




1P目、出だしの厳しいスラブをリードする大内尚樹(撮影:平山敏夫)。





1P後半はクラック(撮影:平山敏夫)。





1P全容(再登時)(撮影:平山敏夫)。





1P目をユマーリング(撮影:妹尾佳明)。
2P目終了点(撮影:妹尾佳明)。




3ピッチ目をリードする長友敬一(撮影:大内和子)。





3P目をリードする長友敬一(撮影:平山敏夫)。





3P目後半(撮影:平山敏夫)。





3P目の大内尚樹(再登時)(撮影:妹尾佳明)。





4P目をリードする大内尚樹(撮影:平山敏夫)。





4P目をリードする大内尚樹(撮影:妹尾佳明)。





4P目後半は逆層の段差を乗り越す(撮影:平山敏夫)。





白海子とベースを望む(撮影:妹尾佳明)。





ユマーリング中(撮影:妹尾佳明)。
ひたすらユマーリング中(撮影:妹尾佳明)。




7ピッチ目をリードする大内尚樹(撮影:大内和子)。





7ピッチ目をフォローする長友・妹尾(撮影:大内和子)。





9P目をリードする長友敬一(撮影:妹尾佳明)。




10P目をリードする大内尚樹(撮影:妹尾佳明)。





12P目をフォローする大内尚樹(撮影:妹尾佳明)。
大溝の巨大な岩壁群(撮影:妹尾佳明)。




13P目をリードする長友敬一(撮影:妹尾佳明)。





ワーグルセイ頂上付近(撮影:大内和子)。





登頂!(撮影:大内和子)。





頂上登頂拡大写真(撮影:大内和子)。





山頂で中国国旗を掲げる妹尾佳明(撮影:妹尾佳明)。




ワーグルセイ峰。





記念写真1(撮影:大内和子)。





記念写真2(撮影:大内和子)。



2007年8月24日
 遅い朝食を採り、ポーターの人たちを待ち、みんなで白海子を撤収して下山。疲労で足元が覚束ない。それでも途中のお花畑で写真を撮ったりして楽しく下った。
 麓の道路では、王さんの車が待っていた。しかししばらく行ったところでパンク。ジャッキを積んでないため、みんなで車を持ち上げて、下に岩を挟み込んでの修理。でも、このスペアタイヤは長年使ってなかったようで、泥だらけだった。「大丈夫か?」と思っていると、案の定、空気がほとんど入っていない。王さんは指を二本立てた。「二人なら何とか乗れる」という意味だった。大内さんと和子さんを乗せ、李慶さん、姜峰さん、妹尾、長友は歩いて王さんの宿に向かうことになった。「何時間かかりますかねぇ」などと言いつつも、気持ちのよい散歩だった。そのうち、陳さんのバイクがやってきた。妹尾、長友で三人乗りで宿に向かう。さらにバイクが何台か来て、みなそれに分乗した。
 宿では、何年にもわたってポーターを勤めてくださっている村の人たちの名前を覚えるため、名札を作っての撮影会。結構盛り上がった。その後、祝賀会を兼ねた夕食。以前から、みんなが「チャンユー、チャンユー」と私に向かって言っているので、何のことかと思ったら、「長友」の中国語の発音だった。すっかり馴染みになってしまっていた。それが終わってベッドに入っても、食堂の方からは歌声が聞こえていた。中国のスタッフや村の人たちが20数人くらい集まって、宴会はえんえんと続いていたようだった。



パンク修理(撮影:妹尾佳明)。
王さんの宿にもどる(撮影:妹尾佳明)。




「チャンユー、チャンユー!」私のことだったのか(撮影:妹尾佳明)。
雪豹体育探検公司の旗に、登頂の記念の寄せ書きをする(撮影:妹尾佳明)。




ポーターをしていただいた村の方々と(撮影:妹尾佳明)。





李慶さんと和子さん(撮影:大内尚樹)。
妹尾くん、姜峰さん、長友(撮影:大内和子)。




大内さんと王さん(撮影:大内和子)。
旗を前にみんなで(撮影:大内尚樹)。




村の方々と2(撮影:姜峰)。



エピローグへ続く。




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