台湾旅行 2008/08/22〜24
職場の旅行で台湾へ。
一日目:福岡空港〜台北〜高雄。澄清湖・蓮池潭・夜市など。
二日目:寿山公園・新幹線124号・台北へ。台湾民主記念館・龍山寺・台北101ビル展望台。
三日目:忠烈祠・故宮博物院。帰国。
高雄
澄清湖の九曲橋。高層マンション群が遠望される。
蓮池潭。竜虎塔へ。龍の口から入って、虎の口から出てくる。
竜虎塔の向かいには古そうなお寺も。
夜市の賑わい。
いろいろな屋台が。
ハンシェン(寒軒)・インターナショナル・ホテルの26階からの街並み。
寿山公園。
ここは、高雄の忠烈祠。
台湾高速鉄道に乗る。
「台湾高速鉄道は、中華民国の台湾島の台北と高雄とを結ぶ高速鉄道。略称は台湾高鉄、高鉄、HSR(Taiwan High Speed Rail)。台北市・南港駅から高雄市・高雄駅までの345kmを最高速度300km/h、ノンストップで所要時間90分で結ぶ。同区間は、最速の在来線特急自強号で所要時間3時間59分を要していた(2007年1月開業当時)。総事業費は4,806億台湾ドル(約1兆8千億円)。日本として新幹線の車両技術を輸出・現地導入した初めての事例である。当初の開業は2007年1月5日、板橋〜左営間で行われた。もともとの開業予定は2005年10月であったが、機電工程を巡る欧州理事の介入、韓国ゼネコンの手抜き工事の露見、日欧の混合としたシステムの混乱などが工期の遅れや相次ぐトラブルを招き、2006年10月31日に延期された。その後も最終審査の遅れから12月7日に、更に直前の11月29日になって安全上の理由により急遽2007年1月へ再三に渡り延期された。 車輌など日本の新幹線技術(JR東海・JR西日本共同)を投入したため、日本のみならず台湾においても「台湾新幹線」と呼ばれることもある。日本の新幹線とシステムは一部異なるが、全体的には一般利用者にとって最大の接点である車両自体が700系の改良型となる700T型である点を中心として、日本の新幹線とほとんど同じに見えるといえる。2007年1月5日現地時間7時、板橋駅からそれぞれ1番列車が出発し仮営業運転開始。同年3月2日に台北駅までの正式開業となった。」(Wikipedia より)
新幹線124号。
田圃や工業地帯などが広がっている。
車体も日本製、風景も日本的で、異国情緒は余り感じない。
台北駅。
台北
龍山寺。
1738年建立。
台北でも最も歴史がある「万華」地区にある。何度も戦禍に見舞われ、改修と再建を繰り返しながら、この地の信仰を一身に集めてきた。台北最古の仏教と道教のお寺。
台湾民主記念館(旧・中正紀念堂)。約25万㎡の広大な敷地に、巨大な「紀念館」と文化の殿堂「国家戯劇院」・「国家音楽廰」がある。2007年、「中正紀念堂」から「台湾民主紀念館」へと名称変更。
蒋介石の巨大な座像が。
蒋介石の使っていた車の一つ。
台北101ビル(台北国際金融ビル)。508m、101階。
現在世界一の高さ。しかし、2009年にはソウルのビルに、2010年にはドバイのビルに抜かれて三位になります、とガイドのコウさんが残念そうに言っていた。
101階・508mの「台北101」は、マレーシアの首都クアラルンプールの「ペトロナスツインタワー」(452m)を抜き世界一に。ニューヨークの世界貿易センタービル跡地に現在建設中の「フリーダム・タワー」はアメリカ独立の年にちなみ1776フィート(541m)、シカゴでも「シカゴ・スパイア」という609.6mのビルが建設中。ソウルでも、ロッテグループが2009年に200階建800mのビルの建築を計画中。しかし、アラブ首長国連邦のドバイで建設中の「バージュ・ドバイ(Burj Dubai)」は2008年の竣工を目指し800m以上の高さの予定だが正式には非公開。クウェートでも1000m超のビルの建設計画があるため世界一を狙っているらしい。過去の経過は、
1930年 クライスラービル ニューヨーク 319m
1931年 エンパイアステートビル ニューヨーク 381m
1974年 ワールドトレードセンター ニューヨーク 417m
1974年 シアーズ・タワー シカゴ 442m
1997年 ペトロナスツインタワー クアラルンプール 452m
2004年 台北国際金融センター 台北 508m
2008年頃 バージュ・ドバイ ドバイ 800m以上
ちなみに、2008年現在の日本一は295.8mの横浜ランドマークタワーだが、近鉄百貨店が入る阿部野橋ターミナルビルが地下5階・地上59階、高さ約300mで平成26年(2014年)春の完成の予定とか。でも、地震国日本ではあまり高いビルは建てられないらしい。
忠烈祠。辛亥革命や戦争の犠牲となった数十万人の将兵が祭られている。
毎時丁度には衛兵交代式が。
故宮博物館。世界四大博物館の一つ。一時間ちょっとの駆け足で、翠玉白菜・肉形石などを観る。ゆっくりと再訪すべき場所である。
街並み1。
「故宮博物院は、1924年に北洋軍閥の一人である馮玉祥が溥儀を紫禁城宮殿から退去させ、1925年10月10日に宮殿内で清朝が持っていた美術品などを一般公開したのが始まりである。1925年当時の所蔵品点検レポートによると所蔵品総数は117万件を超えており、博物院は古物館、図書館、文献館を設けて各種文物の整理をする一方で、宮殿内に展示室を開設して多様な陳列を行なっていた。 その後、満州に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきた為、蒋介石の国民政府(1948年からは中華民国政府)は博物院の所蔵品を戦火や日本軍から守るべく重要文物を南方へ疎開させ、1933年2月から5月までの間に1万3,427箱と64包に及ぶ所蔵品が上海経由で南京市に運ばれた。国民政府は南京市内に所蔵倉庫を建てて故宮博物院南京分院を設立したが、1937年に日本軍が南京に向けて進軍してきた為に、所蔵品は再び運び出されて四川省の巴県、峨嵋山、楽山の三箇所に避難させられた。 第二次世界大戦後、運び出された所蔵品は重慶を経て再び南京・北京に戻されたが、国共内戦が激化するにつれて中華民国政府の形勢が不利になった為、1948年の秋に中華民国政府は故宮博物院から2,972箱に及ぶ所蔵品を精選して台北へと運んだ。これによって誕生したのが台北市の國立故宮博物院であり、現在故宮博物院の所蔵品は北京と台北の二箇所に別れて展示されている。なお、これとは別に所蔵品の一部は国共内戦後の中華人民共和国建国後の混乱のため北京に戻すことができず、現在も南京博物院の管轄の下南京に保管されている。 なお、瀋陽の故宮博物院は、元々が後金の小規模な宮城であった瀋陽故宮に置かれており、主に後金・清時代の文物・美術品が展示されている。 台北の故宮博物院は、収蔵品の数が合計60万8985 件冊にも及ぶことから世界四大博物館のひとつに数えられている。博物院では3カ月に1回の割合で展示品の入れ替えがあるが、膨大な所蔵量の為に、全ての所蔵品を見るためには8年余りもかかると言われている。なお、現在では台湾南部の嘉義県にある台湾高速鉄道嘉義駅の隣にアジア文化をテーマとした南部分院が設立されており、博物院の機能の分散化が図られている。」(Wikipedia より)
館内はもちろん、撮影禁止。写真はネットから。
代表的な収蔵品の翠玉白菜。
街並み2。
街並み3。
おもしろい看板も。
台湾の街中ではバイクがとても多く使われている。4人乗りのバイクも。
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