2008年9月 甲府幕岩





甲府幕岩クライミング行
 9月のとある夜、多くの獣たちが唸りをあげ徘徊する地域(多摩動物公園と呼ばれている)に聳えるO内邸に私は迷い込んだ(予約はしていたが)。ここにも、ひと癖もふた癖もある生き物たちが参集していた。数々の著書や『山の本』のスーパーエッセイなる文章によって、世の純情なる岳人を虚実混沌たる世界に引き込む「詐話師」ことK瀬祐之氏、日本一の「秘境者(K瀬氏命名)」として名高いO内尚樹氏、その奥方で、世界中の辺境の地を訪れては洗濯をして自らの足跡を記しているO内和子氏といった面々である。私たちは中国での旧交を温め(人肌くらいに)、O内氏の手作りの秋刀魚の押し寿司や麻婆豆腐をビールで流し込みながら、O内夫妻が、店子で早稲田の学生のS尾君を連れて、Y野井夫妻と挑んだ、トルキスタンはパミール・アライのカラフシン谷の、高差1000mを超える岩峰登攀のスライド・ショウを堪能し、秋の夜の更けるに任せたのであった。
 翌日は、客人の私にとって、何よりのもてなしを受けた。甲府幕岩なる岩場に案内してくださるというのだ。早朝に発ち、中央道を経て(途中のコンビニで、K瀬氏が買い物袋を提げたまま、よその車をジャックしようとしたことはヒミツである)、有名な太刀岡山の岩場の下を過ぎて、一行は無事に(O内氏の運転であるにもかかわらず)、甲府幕岩に着いたのであった。
甲府幕岩にうちそろった三人衆。

 ここは『日本の岩場』に「正しい日本の岩場である」とうたわれている通り、木立に囲まれた居心地のよい場所であった。私たちは「アコナ5.10a」や「ドラエモン5.10c」で軽やかにアップの後、「深海の幻想5.11a」をなんなくマスター・オンサイトし、庵鹿川メンバーの心意気を甲州の地にアピールしたのであった。
 「次は「スパイラル・リーフ5.11b」だ」と、K瀬氏は颯爽とマスター・オンサイトを狙った。しかし、あと一手、昨夜の酒がその一手に待ったをかけたのか、ロープは終了点間際でテンションがかかってしまった。私はK瀬氏よりももっと下であえなく返される始末。クールダウンに取り付いた「Wild Wood 5.10c」でさえも、もはや厳しく立ちはだかる壁となった。


「アコナ5.10a」のK瀬氏。
「ドラエモン5.10c」のO内氏。




「深海の幻想5.11a」の私。
「スパイラル・リーフ5.11b」のK瀬氏。


 しかし、転んでもタダでは起きないのが庵魂(そんなものがあったのだろうか?)である。我々は終了点にトップロープをかけ、新しいルートのラインを見いだし、次はドリル持参で舞い戻ってくることにしたのだった(いつのことかはわからないが)。
 帰りの中央道は30Kmの渋滞。下道を延々走り、途中でK瀬氏に再会を期して別れを告げ、O内邸で奥様、山登魂のY崎君、早稲田のS尾君に迎えられた(皆、中国で苦楽を共にしたメンバーである)。翌日、神田でスキーを誂えて羽田空港に着くと、厳かな後光とついでに黄色いザックを背負って、庵の本官氏が歩いているのに出くわした。「どちらへ?」と伺うと、言葉を濁された。推察するに、特命を帯びて、極秘の捜査(主に岩場を中心とした)を終えたところだったのであろう。既に我が機は搭乗が始まっていたため、詮索もそこそこに熊本へ向かったのであった。



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