訃報






訃報:串田孫一さん89歳=哲学者、随筆家

 山や音楽をめぐるエッセーで知られた哲学者で随筆家、詩人の串田孫一(くしだ・まごいち)さんが8日午前5時半、東京都小金井市緑町1の4の34の自宅で老衰のため死去した。89歳。葬儀は10日午後1時、台東区西浅草1の7の19の清光寺。喪主は妻美枝子(みえこ)さん。
 東京都生まれ。東京大文学部卒業後、上智大などで教べんをとり、65年東京外語大教授を最後に退官して文筆業に専念。平易で端正な語り口で、学生時代から始めた登山や音楽、西洋哲学など幅広い分野の随筆や評論を数多く手掛けた。代表作に「山のパンセ」「博物誌」など。
 58年には山の月刊誌「アルプ」を創刊。山の文芸誌として読者を集め、廃刊まで300号を数えた。また、65年に始まったFM東京の音楽番組「音楽の絵本」は、94年まで1500回続いた長寿番組となった。長男は演出家の串田和美さん。
 (2005年7月8日 19時20分  毎日新聞)



随筆家の串田孫一さん死去 深い思索の山岳紀行が有名

 「山のパンセ」をはじめ、深い思索に支えられた山岳紀行で知られる随筆家で詩人、哲学者の串田孫一(くしだ・まごいち)さんが8日午前5時30分、老衰のため死去した。89歳だった。通夜は9日午後6時、葬儀は10日午後1時から東京都台東区西浅草1の7の19の清光寺で。喪主は妻美枝子さん。自宅は小金井市緑町1の4の34。
 東京生まれ。東大哲学科卒。暁星中学時代から登山を始め、自然と対話を重ねた。モンテーニュらフランスのモラリストに傾倒し、散文詩的エッセーとも言うべき独自のスタイルを生み出した。
 戦前は上智大、戦後は旧制東京高校などで教え、65年に東京外国語大教授を退官。55年に最初の山の本「若き日の山」を出した。58年には尾崎喜八らと山の文芸誌「アルプ」を創刊し、83年に300号で終刊するまで編集責任者を務めた。65年から94年までパーソナリティーを務めたFMラジオ番組「音楽の絵本」は1500回を数えた。
 著作は山岳文学のほか詩集や画集、小説、人生論、哲学書の翻訳など多岐にわたり、400点を超える。主著は「串田孫一集」全8巻(筑摩書房)に収められている。長男は俳優・演出家の和美(かずよし)さん、次男はグラフィックデザイナーの光弘さん。
 (2005年07月08日20時15分 朝日新聞)



「山のパンセ」哲学者の串田孫一氏死去

 哲学者で詩人、随想家、日本を代表する教養人の串田孫一(くしだ・まごいち)氏が8日午前5時30分、老衰で死去した。89歳。
 告別式は10日午後1時、東京都台東区西浅草1の7の19清光寺。自宅は小金井市緑町1の4の34。喪主は妻、美枝子さん。
 東京生まれ。東大哲学科卒。山と音楽を愛し、「山のパンセ」など平易で含蓄のある詩的なエッセーをはじめ詩、小説、人生論、哲学書など著書は300冊以上。名文は教科書でも親しまれた。1958年に詩人尾崎喜八と山岳雑誌「アルプ」を創刊、編集した。65年、東京外語大教授を定年前に辞め、同年始めたラジオ番組「音楽の絵本」は94年まで1500回続いた。長男は演出家の和美(かずよし)さん。
(2005年7月9日0時52分  読売新聞)



串田孫一さん 死去

エッセー集「山のパンセ」などの作品で知られる詩人で哲学者の串田孫一さんが8日、老衰のため東京都内の自宅で亡くなりました。89歳でした。串田さんは、大正4年に東京で生まれ、東京大学在学中から山の雑誌に文章を寄せ、文筆活動を始めました。東京外国語大学などで倫理学を教えながら紀行文やエッセー、詩、評論など幅広い分野で活躍し、山をめぐるエッセーを集めた「山のパンセ」や詩集「羊飼の時計」、豊富な植物の知識を生かした「博物誌」など数多くの著作を発表しました。
(07/08 21:16 NHKニュース)


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