[台湾紀行]
八重山の先(平成17年3月)
英語科 望月浩平
1. 3月のツツジ
今年の夏は暑いらしいが、3月24日になっても庭のモクレンのつぼみは膨らまずまだまだ朝は肌寒い。これから南に出かけるにしてももう少し着込んでおいてもよいだろう。上下とも1枚ずつ追加し身体を膨らませて出発。美山台の実家の梅もまだ少し花が少ない。実家で朝食中に佑滋(2歳)にどこへ行くか訊くと「たいわん」と答えるので一応行先の自覚はあるようだがうちのVivioで行くと思っていて外国旅行の意識はないようだ。8:17発の日生エクスプレス梅田行き直通特急乗車。始発駅で先頭車座席は2人掛けで迷惑はかけにくい。梅田から大阪駅中央口に2階北側から向かうと人通りが少なくベビーカーが動かしやすい。今回はチケット屋でばら売りの関西空港までのJR回数券を見つけ購入。定価1160円が1080円。新今宮で南海線乗り換えがまだ20円安いが、新今宮の乗り換え階段にはエスカレーターもエレベーターもなく佑滋の移動が面倒で関空快速で楽をする。駅に入って階段下ではUSJパスを販売し実際に買っている人もいて春休みムード。9:15頃エスカレーターで環状線ホームに上がり待ち合わせ場所で同行する妻の母と合流。佑滋は次々に入線する列車を眺めるのに忙しい。特に向こう側の3番線から出る「スーパーはくと」鳥取行きに満足。9:35発は8両編成で前5両関空快速、後3両は紀州路快速和歌山行きで分岐駅の日根野切り離しなので2両目乗車。途中駅で乗車の韓国に行く女性2人のスーツケースが減速時の反動で走り出すがけが人なし。アクシデントはいつ起こるかがわからない。佑滋は母のケーキをもらって食べたり水を飲んだり対向列車を見たり元気。10:40に関西空港到着。関西空港ではいつものように4階に上がり北側HISカウンターで航空券受領、全日空カウンターで台北行きエバー航空BR2131便の搭乗券に交換。往復航空券45,000円,航空保険料等3000円,関西国際空港施設使用料2650円,台湾出入国税等1060円で1人あたり51,710円。2歳になった佑滋も同様に負担。佑滋のベビーカーは手荷物では持ち込めず預けることになるが、関西空港では搭乗口までANAのベビーカーを借り、台北では飛行機を降りた所で受け取れるように手配してもらう。座席も壁際の前が広く開いている所を確保。X線検査では胸ポケットのフィルムが反応。入国審査ではベビーカーを押して佑滋と2人一度に通過。終了後トイレから戻ると母がスターバックスコーヒーとケーキを買っていたので一緒に食べる。北ウィング8番ゲート集合時刻12:25まで1時間ほどあり妻と母は免税店へ。こちらはベビーカーを押して最初はゲート方面へ滑走路が見える所まで行き、続いて戻って南ウィングの方へ進む。20?ほどの幼児室を見つけて入ると係の人の指示でまず手の消毒。奥は授乳とおむつ交換可能、手前はおもちゃと絵本・食品類の販売もしている。佑滋の好きな乗りもの絵本はないが動物と昆虫絵本を読み、続いておもちゃで遊ぶ。ノートが置いてあり英語と日本語のコメントを読むと「今まで知りませんでした」「こんな施設があって助かりました」という内容が多い。実際今回7回目で初めて知って利用するのだから同じ立場か。犬も歩けば棒にあたり、うろうろするとまた新たな発見がある。帰りに紙おむつを1つもらい免税店前ベンチに戻る。シャトル方面へ進み、発着表示板前で恒例の記念撮影。佑滋はシャトルに満足して乗り込む。出発時に駆け込み乗車の人がいる。無人運転で融通が利かず1人はドアに挟まれながら乗車、1人が取り残される。偶然いた業務員が電話し後続シャトルに乗るように連絡。何事も余裕が大切か。中間駅から2階ゲートに降りるとEVA AIR長栄航空と緑色で描かれた機体が見える。隣は大韓航空、佑滋は様々な空港作業車を観察。ベビーカーを係員に返却し搭乗。台北でのベビーカー受け取りについて聞こうとしたが乗務員は台湾人がほとんどで話が通じない。座席では早速乗務員が注文済の子供用食事の確認に来ておもちゃも持ってくる。12:55離陸後シートベルトを外すとすぐ子供用食事が来るが佑滋はなかなかじっと食べない。交替で食事、入国書類を記入し機内をうろつく佑滋に付き合う。満席でないのが幸いだが乱気流が怖い。妻は座席毎の画面でMr. Incredible(超人特攻隊)、こちらは台湾歌謡を鑑賞。台北中正国際空港には順調に15:15着陸。飛行時間は3時間弱だが時差がマイナス1時間、着陸直前に佑滋がウンチを始め、足元にオムツからはみ出た茶色いものが落ちる。何てことだ!母がティッシュで片付け。着陸後すぐトイレを使用しズボンを履き替え、最後に機外に。ベビーカーに早速乗せて入国審査へ。「外国人入境(入国)」は日本人の長い行列で待たされる。手荷物はなし申告なしで税関を通過し中国国際商業銀行で両替。¥40,000→台湾元$11,504(手数料20)なので1元が3.47円の交換比率になる。
中正国際空港は台北から東に50km離れた桃園市にある。台北市内へは高速道路を走る空港バスを利用。16時の大有客運(バス)が出たところで16:15の国光客運の台北行き乗車@120元。運転手にチケットを渡すと上半をちぎり乗車証明になる下半部を返却。道路は韓国と同じ右側通行。「徐行」の代わりに「慢」の字が路面に白い。バスは到着の第2ターミナル始発だが次の第1ターミナルで満員。ベビーカーも座席下の荷物置場に移す。佑滋は先頭座席で快調に外を眺め、隣で妻がビデオ撮影。途中2回建設中の台湾高速鉄道(新幹線)の高架をくぐる。台湾高鉄は最初ヨーロッパ式だったが、1999年中部大地震後に日本式に仕様変更。完全に在来線と分れて建設され路盤やトンネルは完成しているが架線はまだ張られていない。2005年秋に台北⇔高雄間完成予定で試運転が南部で始まっている。車体はTVのCMで頻繁に登場しJRの700系に似てオレンジのストライプが入り。天気は曇、気温19℃。周囲の緑の山並みにツツジの花が帯状に広がる。平地では2期作の田植えが終わり水が張られている。自動車は日本車が多いがBMW・Mercedes・Fordなども多い。淡水河を渡ると台北市内。重慶北路に入り停車、続いて保安宮前を通る。「汽車美容室」の看板があるがそれは洗車場。市内北側にある国内線専用の松山空港へ降りる飛行機が頭上を過ぎる。台北捷運(市内鉄道)MRT(Mass Rapid Transit)淡水線、高架の圓山駅をくぐり中山北路を南下。街路は緑が深く季節と場所の違いを感じる。日本で買ったガイドブックではそのまま重慶北路南下でルートが違うが、国賓大飯店(Ambassador)・晶華酒店(Grand Formosa Regent, DFS台北あり)・老爺大酒店(Hotel Royal,日航系)と高級ホテル前を通り便利になっている。もともと国営企業だった国光客運は台北車站(駅)が終点。市内を東西に貫き、地下にMRT板南線が通る忠孝西路の南側は51階の新光摩天大楼で下部が新光三越百貨店、道路は渡らないほうがよいので車站から地下街に入る。セブンイレブンで水18元と交通部台湾鉄路管理局発行の『台湾鉄路旅客列車時刻表』25元を購入17:26。「部」は日本の「省」に該当し、「交通部」は日本風だと「国土交通省」か。台湾では消費税(5%内税)徴収促進のためレシートはどの店でも同じ形状で抽選番号がついたくじ形式になっている。目的地の華華大飯店(Hotel Flowers)に近い出口から地上へ。忠孝西路から食堂街の懐寧街へ入る。
2. 饒河街観光夜市
懐寧街の歩道は庇になった屋根がつくが、建物が変わると歩道形状が変わり段差が生じる。歩道整備も個人負担で公的援助はないらしい。歩く分には影響がなくてもベビーカーがつかえるので要注意。各店舗には扉がなく料理が並ぶのがよく見える。奥に座席が見える店も。炙った肉饅頭「生煎包」の店に行列。漢口街との角に立つのが華華大飯店。60年の歴史がある老舗ホテルで日系資本の経営。HISの予約票を出しチェックイン。部屋は4階413号室、シングル2つに追加ベッド。早速バスで汚れた佑滋ズボンの洗濯。思ったより暑くなく、持参の衣類を全部着ると佑滋のズボンが1枚不足。どこかで買う必要が出る。
今後の予定は、明日25日は礁渓温泉へ移動だが、27日朝のフライトで戻るので明後日の26日は台北宿泊、従って26日分の予約が必要。日本で予約できたが、台北で考えることにしていた。ここなら便利で日本語も通じる。せっかく勉強した台湾語が使えないとか使ってみようとは考えない。フロントで訊くと今の部屋は予約済みだが、グレードが上がるダブルベッド2つの部屋ならあり、1泊3500元を30%の1050元割引きにサービス料350元加算で2800元の条件で了解して予約。朝食つきだが、5:30出発だと説明するとコンビニで弁当を用意するらしい。これで問題が片付き夕食と買物を兼ね台鉄で東に1駅行った松山車站前の饒河街観光夜市を目指す。台北車站までさっきの懐寧街を戻る。行列の生煎包を試食。1個10元で3個購入。外皮も内の肉も野菜も美味。
正方形ビルで地上6階地下4階の台北車站は6〜3階が台鉄本社、2階が食堂、1階が切符売場。台湾鉄路は列車種別により運賃が異なり等級順に?自強号,?_光号,?復興号/電車/冷気柴客,?快車/普通車の4種類、電車・冷気柴客・快車・普通車は自由席。ただし時刻表によると台北には快車・普通車は入線しない。快車は快速列車で通過駅がある。電車と普通車の違いは普通車には冷房なし。冷気柴客とは「柴」が石油を示すので「冷房つきディーゼルカーで各駅停車」。自強号・_光号・復興号は全席座席指定だが、満席時は座席指定がない「無座」乗車券が発券され空席があれば着席可能。
自強号は1978年登場の特急電車、最速なら台北→高雄375.6kmを3時間59分で走破。自強の意味は1971年「中華民国」政府国連脱退の際のスローガン「荘敬自強(礼儀正しく自分自身を強く)」に由来。_光号は1970年登場の急行列車で台北→高雄は同じく最速で5時間45分。_光の意味も政治的で、領地を奪われた戦国時代の斉が、山東省の_州で踏み止まり挽回した故事に由来し1964年福建省アモイ対岸の金門島(ここは今も台湾が実効支配、かつて激しい上陸戦と砲撃戦が共産軍とで行われる)で行われた「毋忘在_運動(_に在るを忘れるなかれ運動)」に由来。復興号は1981年登場で_光号より車内設備は劣るが割安料金の準急列車で台北→高雄は最速6時間13分。ただし本数が少ない。島内を一周する台鉄は電化が進み、非電化区間は東海岸の「花蓮」と高雄南方の「屏東」間と支線のみ)、近距離乗客は復興号と同運賃で本数が多い冷房つきの電車利用が進む。台鉄では冷気(冷房)つきが運賃基準の1つで、冷気故障時は運賃の「百分之二十」を払い戻す規定が『時刻表』の「客運業務摘要」に掲載。
台北周辺の「板橋⇔台北⇔松山」間はどの等級でも18元均一料金。自動販売機で購入。剪票(改札)口は地下1階で自動改札、月台(プラットホーム)は地下2階。台湾鉄路は韓国国鉄と同じ日本由来の左側通行だが、軌道幅が1067mmと韓国の1435mmの大陸風よりJRに近い。台北市内の台鉄は交通渋滞解消のため1989年地下化。島式ホームの第二月台両側のAB番線に同じ青とクリーム塗り分けの復興号が入線、どちらか迷い人が並ぶ方にするがこれは失敗、先発は人の少ない方で先発19:03「ニ水発松山行」復興号。次が終着だから誰も並んでいない。並んでいる方は次発19:07「高雄発基隆行」復興号、列車が止まるとそれは列でなく下りる人を先に通すわけでなくデッキからどんどん乗客が車内に入るが強引ではない。このあたりが台湾ペース。電気機関車牽引で窓は開かないが、2段のデッキがあり扉が手動式の客車が地下線を走るのはちょっと不思議。地下にある台北は車庫や列車引き上げ線などがなく高雄に南下する列車は松山が始発駅、北廻りで基隆から花蓮や台東へ向かう列車は板橋の先の樹林が始発駅。このため均一区間では列車数が電車を含めかなり多い。
松山には19:16到着、松山車站は地上にあり跨線橋を渡り改札は2階、階段を降りると通りの向こうが饒河街観光夜市の入口。道は1本で両側と中央部左右に出店しているので800m往復すると全ての店の前を通る。といってもベビーカーがあるので人通りが少ないほうを選びジグザグに進む。まず佑滋のズボンを1着購入、韓国製で100元、最初は男性店主が妻と母に応対するが直ぐに奥さんに代わる。母は全て日本語で佑滋を指差しながら「この子のズボンが欲しい」と言うとなんだか通じている。灰色と濃紺のどちらがよいか妻に聞かれ汚れの目立たない濃紺を勧める。途中で佑滋は「歩く」と要求し、ベビーカーを降りて勝手に進む。鯛焼き・お好み焼き・たこ焼きにジュース、パンにアクセサリーや仏像も売っている。母はお土産にアクセサリーと佑滋にジュースを購入。佑滋はゲームセンターの奥まで入り込んで出ない。1回10元で説明が日本語のママの「太鼓の達人」をしている子供。端まで行って戻りつつまず店に入って臭豆腐60元2つ、豆腐を発酵させ辛いスープにつけて独特の臭い、これが台湾の夜市の臭いだが豆腐自体には臭いが少ない。1つは佑滋を指差し辛くないようにと指示するとちょっと辛くない。食べると意外にあっさり。続いて道路の屋台で薬膳排骨50元2つ、排骨は骨付き豚肉というより豚肉のついた骨で漢方系スープの中に山盛り。肉を外すと佑滋はどんどん食べ最後はスープも啜る。母も温まり体調が快復したと後で言っていた。炭火焼の香腸(ソーセージ)30元、豚肉の甘味が広がる。出口近くに長い行列の台湾海峡対岸の福州料理でスパイスの効いた大きな肉饅頭の胡椒餅@40元2つ、ただしこれは妻が並びその間、近くの全家便利商店Family Martで九州岩焼海苔チップス20元、エビせん20元、木瓜牛乳(パパイアミルク)500cc・30元、台湾ビール500cc・41元2本、アスパラジュース330cc・15元を購入21:45。母は佑滋におもちゃを買おうとするが、気に入らないと本人が嫌がる。結局もう1回入って店内を回り、消防車が3台入ったセット150元。夜市はさらに人通りが増え2:00頃まで続くようだが、疲れないように松山21:59の基隆発新竹行きの電車で帰る@18元、身長145cm以上が大人料金、145〜115cmが子供料金、115cm以下の幼児は大人と同行すれば無料、駅や車内の扉に基準線が引かれている。そういえばマニラの動物園も同じ方式だった。電車は韓国大宇製で日本製とは外観が異なる。台北22:08到着で華華大飯店へもどる。部屋であっさり味の台湾ビールを飲んで就寝。佑滋はいつも禁止のお菓子ばかり食べている。
3. 基隆から礁渓へ
3月25日は6時過ぎに起きると、まだ佑滋が寝ているので母に任せて妻と2人で駅の反対方向へ出発。天気は晴、200mで緑深い二二八和平公園、入った所に台湾鉄道の創世期の蒸気機関車が2両、屋根とガラスの壁に囲まれて保存され、隣には清朝時代から1895年日清戦争、1905年日露戦争期と続く古い大砲が8門野外展示。向かい側が1915年日本統治時代に建った国立台湾博物館、かつての日本統治時代(1895〜1945)の台湾は台湾本島と澎湖諸島で、今台湾(中華民国)が統治する台湾省の地域で、重ならないのは大陸に近い福建省に属する金門島と馬祖島。日本統治後の台湾で新たに支配者になり大陸から渡海した外省人(国民党)とその統治に抗議する在来の台湾人(本省人)が台北での闇タバコ販売をめぐるトラブルから衝突し、大陸から導入された国民党軍に3万人の台湾人が殺された二二八事件(1947)は台湾現代史にとって決定的な意味があり戒厳令布告(1949)と50年代政府批判者迫害と流刑の「白色テロ」、高雄で発生した言論集会弾圧の美麗島事件(1979)、美麗島事件では陳水扁が弁護士を務める。戒厳令下での野党民主進歩党結成(1986)と戒厳令解除(1987)、初の直接選挙による李登輝総統公選(総統は任期4年で再選まで)と大陸による台湾海峡ミサイル発射(1996)、民主進歩党陳水扁総統当選に伴う政権交代(2000)と再選(2004)、現在の与野党対立に繋がっていく。紀念碑や和平紀念館が建ち、早朝からダンスや気功・太極拳をしている市民や掃除をしている係員がいる。紀念館向かいに石が突き出て足裏を刺激する舗道が整備。
公園の先が凱達格蘭大道という10車線の大通り、両側には国旗が下がる。西側突き当りは総統府、1919年建築の日本統治時代の旧台湾総督府、ルネサンス様式で高い塔が中央に聳える。今も現役で金泳三政権により取り壊された韓国ソウルの旧朝鮮総督府と対照的。ただ同じ総督でも内閣総理大臣や陸海軍大臣級の大物ポストだった朝鮮総督と師団長(陸軍中将)・次官・貴族院議員級のポストだった台湾総督の間には格差があり、それは権限差にも反映。反対の東側突き当りは東門で、その先は国民党党章の青天白日が埋め込まれた中国国民党本部が総統府と対面。韓国には国民党にあたる政党は存在せずこれも対照的。現在与党の民主進歩党本部はどこだろう?それはガイドブックではわからない。
そろいの上着を着た女子高生が登校するなかで通りを横断。台湾の横断歩道は「あと何秒」と時間を示すだけでなく「緑」信号の歩行者が動画で歩く。総統府前を通り台湾銀行前を西に、地下のMRT西門駅を横切り西門町へ。歩道に出ている屋台で、中華粥と蒸したもち米におかずを巻き込んだ飯タ゛ン(タ゛ンは米偏に團)80元、椅子に座り試食すると美味でもう1セット買い、西門駅からMRT板南線で台北車站まで1駅@20元。MRTは米国製アルミ車体で、?運賃選択?人数選択?運賃投入(硬貨のみで紙幣は両替機使用)?カード状乗車券発券。自動改札機は切符を入れると韓国同様の棒を回す方式。?乗車券は下車時に回収され再使用。台北車站の地下4階がMRTホームで地下3階は地下鉄コンコース。地下街を通り8時頃華華大飯店へもどり佑滋と母の朝食。9時チェックアウト時に不要荷物をフロントに預ける。
今日は基隆経由で礁渓温泉を目指す。礁渓温泉は先日自宅で見たTVでTOKIOの2人が電車に乗り駅弁を食べつつ向かった温泉で、ここにしようと安易に決めて調べたが『地球の歩き方』以外に余り資料がなく行ってみないとわからない。その前に「八重山の先」にあたりかつて台湾の入口で1945年に20万人の日本人引き揚げの出口になった基隆港へ行ってみよう。今でも那覇から石垣島経由の国際航路が通っている。
台北車站前には台北西站と台北東站の国光客運バスターミナルが並ぶ。東站の方が小さく中正国際空港と基隆行きのバスが発車。基隆まで@45元。9:15の中興号乗車。市内を東西に横断する高架の快速道路・市民大道に乗る。ちょうど高架の地下が昨日乗車した台鉄の地下線にあたる。市外では高速道路を快調に飛ばす。入口ではなく途中に大きな料金所が設置され、中央分離帯がなく簡単な区分だけの場所が有時の航空機滑走路らしい。このアイデアは帰国後にテレビで見た映画版の『名探偵コナンム銀幕の奇術師?』でも出たが日本にはこういう非常設備はなく、代わりに室蘭埠頭に緊急着陸する話だった。50分で人口40万の基隆へ。下車するとちょうど港に面し天気もよい。「雨の基隆」が有名で台北は晴でも雨具を忘れるなと言われるが今回は運がよい。15分ほどで丘の上にある中正公園入口到着。ここの階段が余りにも急で別の道を探したのが失敗。結局同じ道を戻り階段を上る。高度を稼ぐとまず戦没兵士を祀る忠烈祠。向かい合う場所に低く1975年まで国民政府を率いた_介石の銅像。いつまでも領袖と共にいることが忠烈祠の精神的意味なのだろう。トイレを使い続いて2段目の坂を登り楼閣状の民俗文物館。ここからは狭い市街地と港がよく見える。日本歌謡の旋律に台湾語歌詞の音楽が聞こえる。妻と母はお疲れの模様だが佑滋は元気で会心の微笑みの写真が撮れる。家では普段食べられないお菓子とジュースの自由飲食もあるが、基本的に台湾に適合しているからか。更に一段高く観音像のある大仏禅院までさらに進む。観音像前には狛犬ではない金色の動物像があり足元を佑滋が登る。唯一の高級ホテル緑色の長栄桂冠酒店以外に眺望を遮るものもなく市街地と港が一望。このまま引き返し下るのは時間がかかり辛そうで、駐車場そばで客待ちしている黄色いタクシーに日本のインターネットで見つけたお菓子屋の名刺を見せると「仁三路90号」と目的地を復唱して出発。ベビーカーと荷物はハッチバック収納。台湾タクシーは基本料金1.5kmまで70元、以降300m毎に5元ずつ加算。公園を下り90元で12:00に清朝光緒8年西暦1882年創業の100年老店「李鵠餅店」到着。韓国には120年続いた菓子屋があるのだろうか。まず一通り買って試食。やはり噂の鳳梨酥(パイナップルケーキ)がすばらしい。1個10元で10個入りを8パック購入すると荷物がまた重くなる。近くの廟口夜市で昼食。昨日の饒河街観光夜市と同じ形状だが通路の一方を機車(スクーター)が頻繁に通り注意が必要。台湾は韓国と違いスクーターが多く歩道と車道の間にも入り込み、ベビーカーを押さなくても始終左右確認が必要。豚肉入りの排骨麺50元、日本のものより細かい米粉炒35元、汁気のある豚肉そぼろをご飯にかけた魯肉飯15元。ここの夜市は海鮮料理や魚のすり身の天ぷらが名物らしい。各店舗には一連番号と英語と日本語の料理内容表示があるが、注文できる内容と表示が完全に合致しているとはいえない。一通り食べると佑滋を連れて一回り。おもちゃ屋を見つけると中に入って出ようとしない。無理やり出すと泣くのでまた入れて時間がかかる。ようやく連れ出すと母が迎えに来ていた。
南営路まで500mほど歩いて基隆客運バス停で瑞芳行きの公車(バス)がある事を確認し窓口で切符を買おうとするとおばさんが筆談で「上車(乗車)」時に運賃を支払うのだと説明。料金を聞くと35元、お釣が出ない台湾バスなので3人分105元を確認。通りに音楽が聞こえるので何事かと見ると軽トラックを連ねたお葬式の行列が進む。こちらでは葬儀に楽隊を呼ぶらしく、後で通った会場前には楽器を持ちお揃いの服を着た若い女性まで並んでいた。13:30バスが来ると周囲から乗客が集まる。前乗りで料金を払い佑滋の席がないと思うと若い女性が譲ってくれて母の膝に佑滋が座る。バスは台北を経て高雄に向かう複線電化の台湾鉄路縦貫線(西部幹線)に並行。北廻りで瑞芳・礁渓・宜蘭・花蓮・台東と続く同じく複線電化の東部幹線分岐駅の八堵からは、基隆へ流れ込まず台北で淡水河に合流する基隆河に沿い、バスは瑞芳に向きを変える。車内には非常脱出用に金槌が側面に固定。映画「悲情城市」に登場する金鉱山で有名な九_と金瓜石の入口である瑞芳までは10km30分で到着。佑滋は眠り込んでいた。
瑞芳で礁渓まで次の14:22発_光号の乗車券を購入。最初時刻表のローマ字表記通りにJiaosiと発音すると通じない。仕方なく時刻表で礁渓を指差すと駅員はJokheと発音。こう言わないと通じないということだろう。@97元で座席なしを示す「無座」発券。「14時22分2番線」と駅員が日本語で教示。剪票口は地下道を進みちょうど階段を上った第二月台(ホーム)にある。問題は島式ホームが2つあり、階段からは改札が見えないことにある。どちらを上ったらよいのだろう?こういうときは先人を探し表示がしっかりしている方を選ぶと正解。直ぐに14:16発「山経由」高雄行き自強号が入線、汽車好き佑滋のためにビデオ撮影。「山経由」とは西部幹線は台湾中部の竹南・彰化間で、1908年開通の第3都市台中を経由する勾配のある山線と、1922年開通で短距離かつ勾配の少ない海線に分岐し経由線を表示。電化区間の自強号は南アフリカ製動力車を両端に配置し中間車の客車が韓国現代製のプッシュプル編成。列車が入線発車時にはベルが鳴る。今の日本よりホームが低く車内には2段ステップを登るが車輪が見えた韓国よりは高い。剪票口近くは乗客が溜まり着席可能性を求め工事中のホーム前方に進む。またベルが鳴って後続の14:22発台北経由楊梅行電車が入線。車掌が最後部の自動ドアから乗客同様にホームに乗降するのが興味深い。少し遅れて反対側に入る14:22発台東行き_光号は、米国GM製ディーゼル機関車に台湾製客車を連ねる。日本では少ない電気式ディーゼル機関車は塗装こそ違うが韓国で乗ったムグンファ号を思い出す。ちょうど降りた乗客の代わりに2人掛けが2つ並んだ席を確保。基隆河沿いに京都の保津川に似た山岳風景を遡る。閉山した瑞三炭坑の跡が斜面に大きく残る次の侯ト゛ン(石偏に同)で、かつて運炭路線の平渓線に使用するディーゼルカーを車上から撮影。台湾鉄路の車両は電車を除き先頭がオレンジや黄色と黒色の縞模様の警戒色塗装が多い。非電化単線の平渓線は次の三貂嶺で基隆河に沿って分岐。長いトンネル入口にはかつて戒厳令下で軍人が詰めた監視所が残る。車掌が検札に通る。乗車券があれば「無座」でも着席で問題なし。日本だと指定席券を払うところ。しばらく山岳地帯が続くが海水浴場がある福隆からは太平洋を車窓から望む。福隆は駅弁が名物で女性販売員がホームを歩くが、この時間の成果はなさそう。海上に形どおりの亀山島が見え、その向こうは100kmで日本西端の与那国島へ続き天気次第で見えることもあるらしい。だんだん平地が広がり宜蘭平野に入り15:25礁渓到着。ところで到着時の車内放送はJokheでなくJiaosiと発音。そういえば台湾観光協会大阪事務所から妻が頼んで送ってもらったパンフレットにも「ジャオシー」と表記。実際にはここは何と言うのか?
_光号の車両は下半部が朱色で白帯が通り、上半部がクリーム色の塗り分け。中央部に「台」の字の中にレールを示す「I」を入れて図案化した台鉄マークが描かれる。扉は手動式で開いたまま発車する車両を見送る。
後半へ続く |
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