8. 北投温泉から大阪へ

 

 41日も晴れ。6時に起床後まず大浴場で朝風呂。今日のフライトは165分中正国際空港離陸のCX564便で逆算すると、空港に14時チェックイン、台北車站を12時過ぎに出る国光客運の空港バスに乗る必要がある。前回のエバー航空は830分離陸で、最終日は朝5時過ぎのバスに乗るため極めて慌しかったのと比べると半日以上の余裕がある。今日も朝からよい天気。窓から正面の北投公園を眺めると、何人かで集まり運動している人もいる。730分から母と駅と反対方向の上流へ左岸沿いに散歩に出かける。

 隣が日本時代から続く「瀧之湯」で宿泊なしの公衆浴場。続いて「熱海ホテル」を過ぎ、谷が狭まると日本時代は地獄谷といった源泉地の地熱谷が近づく。幾つか温泉ホテルが並び、値段表示も出ている。「龍泉温泉」の横から地熱谷に入る所がゲートになり閉って入れない。この辺りまで5分程度。上から地熱谷を俯瞰できる所はないかと、谷から離れ斜面を巻いて上る車道に沿ってもう少し進む。温泉地といいながら日本のように旅館が建て込むイメージはなく、温泉旅館は点在。11つの建物には良いものがあっても、間には朽ちた日本時代の家屋や、途中で建築が中断した建物のコンクリートが雨水に晒され景観を損ねる。日本時代から続く「逸邨大飯店(星の湯)」と「吟松閣温泉旅館」を過ぎて高級ホテル「春天酒店」まで上がり815分に引き返す。帰りは道路から斜面を石段で登り日本時代建立の「普済寺」へ。賑やかな台湾の寺廟と対照的な静かな和風寺院を見ると、ここはどこなのか一瞬わからなくなる。帰りも地熱谷に寄るが相変わらずゲートが閉り、帰りは右岸沿いの道を戻る。台北市営の「北投公共露店浴池」は公共の露天風呂で水着着用。続いて防空壕を右に見て北投温泉博物館入口、少し下ると広場越しに歴史的価値を持つ建物がよく見える。1階がレンガ造りで2階が木造、大正13(1923)年には皇太子時代の昭和天皇も訪問。広場の縁に沿って進み川を渡り8時に帰着。

 フロントでサンドイッチを受け取り部屋で830分朝食。妻はNHK朝の連続ドラマを見ようとするが時差1時間のため見逃す。佑滋は部屋で入浴。930分チェックアウトで10時に新北投からMRT乗車35元×3。北投1015分で淡水線に乗り換え1045分台北車站到着。地下街にある誠品書店で絵葉書100元とLonely PlanetJapan 9th edition(2005)を見つけ1015元で購入。台湾は封書は出すが絵はがきを出す習慣がなく、デザイン的にはもう1つ。用があればすぐ電話するのが心のこもる対応らしい。佑滋にはペンギンの絵本を199元で購入。母は大阪の甥姪に原子筆(ボールペン)80元を2本買うが、実は日本製。

 地上に出て、新光三越の南西角から館前路の先に二二八和平公園北側にある台湾国立博物館のドームが見える。1115分、30日の夜に行った漢口街の「王記府城肉粽」で昼食。今度は奥の席で肉粽50×3、麺線40×2、魚丸湯35の合計265元。笹の葉をむいた肉粽は皿にのり、とろみのあるたれがかかる。各自ピーナツの粉をかけて食べる。麺線は茶色い素麺がとろみのあるカツオだしのスープに入り、大腸が具になり香菜がかかる。魚丸湯は魚のすり身団子と大根の入ったあっさり味スープ。大根の味が染みたスープと大根が美味。こういう普通の食堂には何回も行きたい。

 2日間宿泊した華華大飯店別館前で記念撮影後、重慶南路を北上し忠孝西路との交差点にある横断歩道を渡る。忠孝西路の西側先に上半がレンガ色の北門が見える。清国時代の1879年に建立され、当時の台北を囲んだ城壁には計5つの門があったが、この門だけが日本統治時代に取り壊されず現在は保存対象。韓国ソウルの南大門や東大門と違ってそれほど目立つ存在感はなく、人口264万になった大都市の過去を示している。

 重慶北路(ここから道の名称が変わる)と忠孝西路の角が国光客運の台北西站で中南部行きバスが発着。隣が小さな台北東站で基隆と中正機場行きバスのみが発着。東站で妻と母がトイレを探し、西站に戻り待ち時間に空港までの切符を購入125元×3。先客は「機場」と北京語で言ったので発音を真似る。バス座席下の荷物置場は、行先別に第1と第2ターミナルに分かれ、第1の方に荷物を入れる。空港側からは台北車站にホテル名とがもう少し細かく示される。前乗りバスの最後部にトイレが設置。12時にバスは発車。空港行きはホテルには停まらず、すぐに淡水河を渡り川向こうの三重市のバスターミナルを経由(乗客なく通過)し、後は高速道路を飛ばし1240分第1ターミナル到着。

キャセイ航空カウンターでチェックイン。パイナップルケーキを入れた登山用のダックス・アタックザックを機内預け手荷物、ベビーカーのゲート預け手荷物手続きを済ませ、チャイルドミール確認。航空時刻表を見つける。このあと3階に上がり出国審査。そのあとゲート方向に進みセキュリティーチェックを済ますと1530B6ゲートに集合までは特にすることもなく、妻と母は免税店、こちらは佑滋と2人でゲート周辺や免税店をあちこちうろうろ。本を読んだりパンやお菓子を食べたり、お茶を飲んでバスや飛行機を見たり時間をつぶす。時間前になるとゲート入口で係員が立ちパスポートと搭乗券確認。免税店の販売員の声かけが少ないのが韓国と違う。そういえば航空時刻表によると韓国ソウルの漢字表記は従来の「漢城」でなく「首爾」だった。これは韓国の改正表記と合致するが北京ではどのように示されているのだろうか。

帰りの飛行機CX564便は定刻の165分に離陸。日本入国時の記入書類を配布するが不要になって有難い。徳島から鳴門海峡・淡路島・明石海峡・神戸空港・大阪湾と回りこみ1915分に関西空港着陸。ベビーカーは出口で受け取れ、シャトルの先の入国審査こそ、日本人向けゲート縮小の影響で待ち時間があったが、預けた荷物もすぐに回収、税関を「何も申告するものはありません」ですぐ通過。2012分の関空快速京橋行きにすんなり乗れる。自動改札機が故障で久しぶりにスタンプを押印。大阪駅で京橋まで行く母と別れ、2129分の快速篠山口行きに乗り換え。川西池田でも自動改札機に切符が通らず係員に関西空港→大阪と大阪→川西池田の2枚の回数券を渡す。ベビーカーに佑滋を乗せて長い歩道橋を川西能勢口駅へ。駅の自動券売機に使用済定期券を入れ、43日から使用する「日生中央⇔岡町」の1ヶ月通勤定期券を18450円で購入。先行の妻と佑滋にはエレベーター出口付近で合流。2157分の日生中央行きに間に合う。山下で乗り換えがないとかなり楽。2230分に美山台に着くと、ちょうど東京から来ていた佑滋の従兄の喬碩(たかひろ)君がいて早速佑滋は遊んで大満足。その間に丸山台へ原付で上がり、車(ヴィヴィオ)を取りに行く。3人で2315分ようやく帰宅。

今回は佑滋が成長した分、目が離せなくなり、精神面以外にも荷物が増え逆に行動範囲が狭まったが、ベビーカー利用で行程が進み無事に帰ってくることができた。外国へ出かけると元気になる佑滋には驚きだが、妻と母には負担をかけた面など反省すべき点も多い。ただ佑滋は「今度は韓国」などと元気な発言を繰り返し、「より台湾らしい」南部や開通間近の台湾新幹線など、まだ見るべきものもありそうで、もう少し探求する機会をもちたいものだ。



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