夏目漱石 『吾輩は猫である』 の一節


文中の「庚申山」は立田山が、「東嶺寺」は泰勝寺がモデルになっているとのこと。

「まあ聞いてたまい。ようやくの事草履を見つけて、表へ出ると星月夜に柿落葉、赤毛布にヴァイオリン。右へ右へと爪先上りに庚申山へ差しかかってくると、東嶺寺の鐘がボーンと毛布を通して、耳を通して、頭の中へ響き渡った。何時だと思う、君」
「知らないね」
「九時だよ。これから秋の夜長をたった一人、山道八丁を大平と云う所まで登るのだが、平生なら臆病な僕の事だから、恐しくってたまらないところだけれども、一心不乱となると不思議なもので、怖いにも怖くないにも、毛頭そんな念はてんで心の中に起らないよ。ただヴァイオリンが弾きたいばかりで胸が一杯になってるんだから妙なものさ。この大平と云う所は庚申山の南側で天気のいい日に登って見ると赤松の間から城下が一目に見下せる眺望佳絶の平地で――そうさ広さはまあ百坪もあろうかね、真中に八畳敷ほどな一枚岩があって、北側は鵜の沼と云う池つづきで、池のまわりは三抱えもあろうと云う樟(くすのき)ばかりだ。山のなかだから、人の住んでる所は樟脳を採る小屋が一軒あるばかり、池の近辺は昼でもあまり心持ちのいい場所じゃない。幸い工兵が演習のため道を切り開いてくれたから、登るのに骨は折れない。ようやく一枚岩の上へ来て、毛布を敷いて、ともかくもその上へ坐った。こんな寒い晩に登ったのは始めてなんだから、岩の上へ坐って少し落ち着くと、あたりの淋しさが次第次第に腹の底へ沁み渡る。こう云う場合に人の心を乱すものはただ怖いと云う感じばかりだから、この感じさえ引き抜くと、余るところは皎々冽々たる空霊の気だけになる。二十分ほど茫然としているうちに何だか水晶で造った御殿のなかに、たった一人住んでるような気になった。しかもその一人住んでる僕のからだが――いやからだばかりじゃない、心も魂もことごとく寒天か何かで製造されたごとく、不思議に透き徹ってしまって、自分が水晶の御殿の中にいるのだか、自分の腹の中に水晶の御殿があるのだか、わからなくなって来た……」
「飛んだ事になって来たね」と迷亭君が真面目にからかうあとに付いて、独仙君が「面白い境界だ」と少しく感心したようすに見えた。
「もしこの状態が長くつづいたら、私はあすの朝まで、せっかくのヴァイオリンも弾かずに、茫やり一枚岩の上に坐ってたかも知れないです……」
「狐でもいる所かい」と東風君がきいた。
「こう云う具合で、自他の区別もなくなって、生きているか死んでいるか方角のつかない時に、突然後ろの古沼の奥でギャーと云う声がした。……」
「いよいよ出たね」
「その声が遠く反響を起して満山の秋の梢を、野分と共に渡ったと思ったら、はっと我に帰った……」 「やっと安心した」と迷亭君が胸を撫でおろす真似をする。 「大死一番乾坤新なり」と独仙君は目くばせをする。寒月君にはちっとも通じない。
「それから、我に帰ってあたりを見廻わすと、庚申山一面はしんとして、雨垂れほどの音もしない。はてな今の音は何だろうと考えた。人の声にしては鋭すぎるし、鳥の声にしては大き過ぎるし、猿の声にしては――この辺によもや猿はおるまい。何だろう? 何だろうと云う問題が頭のなかに起ると、これを解釈しようと云うので今まで静まり返っていたやからが、紛然雑然糅然としてあたかもコンノート殿下歓迎の当時における都人士狂乱の態度を以て脳裏をかけ廻る。そのうちに総身の毛穴が急にあいて、焼酎を吹きかけた毛脛のように、勇気、胆力、分別、沈着などと号するお客様がすうすうと蒸発して行く。心臓が肋骨の下でステテコを踊り出す。両足が紙鳶のうなりのように震動をはじめる。これはたまらん。いきなり、毛布を頭からかぶって、ヴァイオリンを小脇に掻い込んでひょろひょろと一枚岩を飛び下りて、一目散に山道八丁を麓の方へかけ下りて、宿へ帰って布団へくるまって寝てしまった。今考えてもあんな気味のわるかった事はないよ、東風君」
「それから」
「それでおしまいさ」
「ヴァイオリンは弾かないのかい」
「弾きたくっても、弾かれないじゃないか。ギャーだもの。君だってきっと弾かれないよ」
「何だか君の話は物足りないような気がする」
「気がしても事実だよ。どうです先生」と寒月君は一座を見廻わして大得意のようすである。
「ハハハハこれは上出来。そこまで持って行くにはだいぶ苦心惨憺たるものがあったのだろう。僕は男子のサンドラ・ベロニが東方君子の邦に出現するところかと思って、今が今まで真面目に拝聴していたんだよ」と云った迷亭君は誰かサンドラ・ベロニの講釈でも聞くかと思のほか、何にも質問が出ないので「サンドラ・ベロニが月下に竪琴を弾いて、以太利亜風の歌を森の中でうたってるところは、君の庚申山へヴァイオリンをかかえて上るところと同曲にして異巧なるものだね。惜しい事に向うは月中の嫦娥を驚ろかし、君は古沼の怪狸におどろかされたので、際どいところで滑稽と崇高の大差を来たした。さぞ遺憾だろう」と一人で説明すると、
「そんなに遺憾ではありません」と寒月君は存外平気である。
「全体山の上でヴァイオリンを弾こうなんて、ハイカラをやるから、おどかされるんだ」と今度は主人が酷評を加えると、
「好漢この鬼窟裏に向って生計を営む。惜しい事だ」と独仙君は嘆息した。すべて独仙君の云う事は決して寒月君にわかったためしがない。寒月君ばかりではない、おそらく誰にでもわからないだろう。




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