2000年8月
 マッターホルンとりあえず登攀記


ツェルマットの町から仰ぐマッターホルン

 今年(2000年)は、お盆休みが長く取れたので、知人(山崎夫妻)の立案したマッターホルンのガイド登山に一枚乗ることにした。とにかく付いていけばいつの間にか頂上に立ってるだろう、という甘い考えだった。ところが、間際になって立案者が行けなくなり、結局は自分が頼りの旅行になった。それはそれで楽しい経験だったが。航空チケットとホテルは山崎さんによって既に手配済み。ゴールデンウイークの北アルプス登山の装備(靴、靴下、アイゼン、ウールの下着、防寒防風のパーカ、ピッケル、寝袋、ハーネス、キャップランプ、手袋)と、普段のスポーツクライミングの装備(当初はツェルマット周辺のショートルートも攀ろうという予定だった)と、着替えをザックに詰め込んで(100リットルザック一杯になった)、いざ出発。

  8月14日:
 8:30 に福岡空港に集合。登山メンバーは長友敬一、原口政則(岩場で知り合った人で、国体の元山岳競技選手)、野口和子(今回始めて会った人で、定年の記念に行くとのこと)の三人、観光メンバーは山口さんと前田さん(共に小学校で教えておられる、笑顔の素敵な、しかも世慣れたお嬢さん方)など三人。
 10:00、キャセイ機で福岡発、台北、香港、フランクフルトを経て、チューリッヒへ。エコノミーの窮屈な座席に縛られての一晩はきつかった。

8月15日:
 8:00頃、チューリッヒ着。空港の案内所で、観光チームはスイスパスを、登山チームはスイスカードを購入。前者はほとんどの乗り物が無料で、登山電車やロープウェイは25%OFF。山に登らない人向き。後者は登山電車やロープウェイを含めてほとんど全て半額。これにツェルマットまでの往復分を組み込んでもらうと、切符を買う手間が省けて便利である。カウンターのおじさんは親切にもツェルマットまでのタイムテーブルをプリントアウトしてくれた。
 15:00頃ツェルマット着。


ツェルマット駅


タンネンホフホテル(Hotel Tannenhof, 3920 Zermatt, tel. 027-967-31-88)にチェックインして、ガイドの予約のためにガイドセンター(Zermatt Alpin Center, Tel. 027/966 24 60, Fax. 027/966 24 69, E-mail: alpincenter@zermatt.ch)へ。
「マッターホルンへ登りたい。ガイドを頼む」
と言うと、
「クランポン(アイゼン)を付けた登山の経験は?」
と訊かれた。
「問題ない。三人とも経験者だ」
と答えると、
「では、4000m以上の山は、何に登ったことがあるのか」
ときた。
「日本国内の3000mの山には幾つも登ったが、4000mはまだ一つも登ったことはない」
と正直に言うと、
「そうか、ではとにかく、まず明日にでもテストを受けてくれ」
との返事。
 しかし明日は観光チームと一緒にクラインマッターホルンまで登り、登山チームは高度順化のためブライトホルン(Breithorn, 4164m)に行く予定だったので、結局、明後日にポリュックス(Pollux, 4092m)にガイド登山ということにした。高度順化になって、まあいいか、という感じである。ガイドはわが登山チーム三人に一人つく予定。ガイド料は頭割りで一人が一万数千円くらいをスイスフランで払った。このジャコメッティやル・コルビジェなどのスイスの偉人が印刷されたスイスフランのお札はカラフルで小振りでなんだかおもちゃのお札みたいで、割り勘の時などはままごと遊びみたいな感覚になった。
 ところで、ガイドは日本から予約しておくのが、トラブルもなくテストも省けてよいかもしれない。しかし日本にいるときから日程を決めるよりも、現地で天気を確認してから決めよう、というつもりで我々は敢えて予約を入れなかった。テストを受けるのは高度順化のためにいいし、実際面白かったので、無駄ではなかった。
 この日は皆でチーズフォンデュを食べに行った。

  8月16日:
 朝食の時にミネラルウォーターを頼んだら、炭酸入りだった。「No gas.」と言わないと、普通の水は手に入らないようだ。しかしスイスではたいがい水道の水が飲めるので、それを水筒に詰めた。


ロープウェイからのツェルマット



 晴天。昼前に、みんなでロープウェイの終点、クラインマッターホルン駅(3884m)へ。いきなりの高度変化に、既に胃がむかつく。他の人々は平気な様子。どうも風邪気味なのがたたったようだ。観光チームはロープウェイで下山、適当な駅からハイキングに。登山チームはブライトホルンへ。アイゼンを装着して雪のプラトーの踏み跡をたどり、雪のなだらかな斜面を登って頂上へ。
ブライトホルンの山腹からのマッターホルン

しかし私だけ呼吸が苦しく、5歩歩いては立ち止まり、3歩登ってはあえぎで、50mごとにザックを下ろして休む羽目に。何とか登頂したものの、この日が一番苦しく、死ぬかと思った。帰ったら案の定、熱が出た。日本で買っていったパブロンを飲んで昼寝。夕食の頃には熱も引いていたので、皆で中華を食べに行き、帰ったら再びパブロンを飲んで寝る。

8月17日:
 晴天。6:45にロープウェイの起点駅へ。そこでガイドのハンネスと会う。昨日と同様、クラインマッターホルン駅へ。調子が悪ければ、途中で引き返して、マッターホルンも諦めてハイキングに転じようと思っていたが、何とか復調したようす。ただし呼吸はやはり苦しい。雪原を二時間えんえんと歩き、ポリュックスの岩のリッジの取り付きへ。




ハンネスはアイゼン歩行の基礎や、クレバスの隠れた雪原の歩き方、アルプスでの水分補給の心得(体温保持のため水分は極力採らない方がいいらしい。実際彼は我々が勧めた水をちょっと飲んだだけで、ほとんど飲んでいなかった。ひょっとしたら水筒も持ってないのでは? と思ったほどだ)などを教えつつ進んでくれた。笑顔の似合ういい男だった。
 岩のリッジの基部に着く。同行の野口さんは調子は良かったのだが歩くスピードが不安なため、気の毒ながら、ハンネスが下に残っておくよう指示。「午後には雪が柔らかくなって足を取られるし、雷も来るから、スピードが大切だ」といったことを彼は言っていた。長友、原口がハンネスに連れられて一時間くらいリッジを攀る。I〜II級程度で、途中にIII級程度の鎖場があった。そこを抜けるとマリア像のある肩に出て、そこから雪のリッジをアイゼンを付けて登る。
 下りは速攻で他のパーティーを抜きつつ雪原まで。足を取られがちな雪原を再び引き返すが、幾つかクレバスが開き始めていた。途中、遠くの方、たぶんロッチャ・ネーラ(Roccia Nera, 4075m)の中腹あたりに、クレバスに落ちたパートナーを確保しているらしき人影が見えた。ハンネスは他のガイドと相談していたが、救援の要請もしていないようなので、そのまま行軍を続けた。ロープウェイの駅に着く直前に一天にわかにかき曇り、強風と雷が襲ってきた。激しい雷鳴が轟き、ロープウェイが止まり、二時間近く足止めを喰う。クライマーで立て込んだ喫茶店で、ホットドッグとコーヒーをすすりながら、別パーティーで同じ山に登ったジェノバ出身のイタリア人と話し込む。彼は前日はカストール(ポリュックスの双子峰)に登ったとのことだった。
「今日のポリュックスは岩があったが、カストールは雪ばっかりだったよ」
と言っていた。スント社製の時計をしていたので
「いい時計だ」
と誉めると、内蔵の高度計や気圧計の使い方など見せてくれた。
 やっと動き出したロープウェイに向かいながら、
「マッターホルンもあなたがガイドしてくれるといいんだが」
とハンネスに言うと、
「僕は足が悪いんだ。だからマッターホルンのガイドはできない。今日の下りもショックが応えたよ」
と踵を振りながら、
「でも君とならいいチームが組めそうだよ」
と答えてくれた。ガイドという職業はかなりのハードワークであると改めて認識した。
 下山後、この日は寿司を食いに行ったが、待ち時間が長い上にあまり旨くなかった。ちなみに寿司定食を頼んだのだが、ここでは定食のことを「メニュー」と言うようだ。いわゆるお品書きのメニューは、「カルテ」である。

8月18日:
 ガイドセンターへ。野口さんはスピードの問題で登頂はあきらめ、原口さんも体調その他の問題で登らない、しかし二人とも小屋までは見に行こう、とのことで、結局私一人がアタックすることになり、ガイドとヘルンリ小屋を予約した。ガイド料は770スイスフラン(1フランが約66円くらいだった)で、40フランだけ前払い、残りはガイドに直接支払うことになる。山岳保険にも入っておいた。こちらは20スイスフラン。その他、ヘルンリ小屋での自分とガイドの食事込み一泊の料金144スイスフランも小屋で払うことになる。後で、ガイドへのチップの相場が70スイスフランだ、とツェルマット在住の日本人の若者が言っていたので、これも下山時に上乗せした。結構物いりである。
ロープウェイの終点






 9:30、登山チームはヘルンリ小屋(3260m)へ向かう。ロープウェイの終点シュヴァルツゼー駅から、いかにもアルプスのハイキングといった2時間の登り。




 マッターホルンが次第に近づく。降りてくる人に様子を聞くと、
「登頂はしたが、もう二度と登らん。天気が悪くて、二時間半でソルベイ小屋に到達できなかった人は引き返させられたようだ」
と言っていた。
ヘルンリ小屋へ向かう

昼過ぎに小屋に到着。


ヘルンリ小屋


同行の二人は、天気が崩れるのを懸念して早々に下山。受け付けのお姉さんに、
「チェックインは15時、ガイドとのミーティングは18時、夕飯は19時、朝飯は4時だ」
とてきぱき言われて、ご飯のチケットを貰う。


ヘルンリ小屋のテラス



 チェックインまでの暇つぶしに取り付きを見に行く。III級程度の低い壁に黄色いフィックスロープが下がっていた。大学で経済を教えているというドイツ人と、今まで登った山のことやマッターホルンについて2時間ばかり話し込む。
「この山はポウプも登ったんだ。その時は大騒ぎだったらしいよ」
と彼が言うので、
「ポウプって誰だ」
と聞くと、
「カトリックの坊さんだ。ガイドを二人も連れて登ったんだ」。
 しばらくしてやっとローマ法王のことだとわかった。
「一人が上から引っ張り上げて、もう一人は」
「下から押し上げて?」
「そう、そう」。
 私たちはひとしきり笑い合った。それは冗談にしても、大したもんだと思った。よもやま話の後で別れ際に名刺を渡すと、
「Eメールを送るよ」
と彼は言った。
 私の泊まる部屋は20人くらい収容の二段になった蚕棚で、毛布と枕は備え付けだった。
 ミーティングでは、十数人の客と、それとほぼ同数のガイドが集まって、和気藹々のうちに、誰がどのガイドと組むのかが割り振られた。私のガイドはハーラルトという若いオーストリア人だった。
 夕食の席では、ツェルマットで働いている二十歳そこそこのスキーウェア店員の日本人の兄ちゃんと、香港で添乗員をしているワシントン出身のアメリカ人と一緒になった。日本人の兄ちゃんは
「登頂に三時間を切らないと社長に怒られる」
と冗談混じりに言っていた。アメリカ人は私の読んでいた「アルプス4000m峰登山ガイド」を訳してくれと頼み、お返しにドイツ語の新聞を読みながら世間のニュースを解説してくれた。窓の外は次第にガスが下り、雨も降ってきた。
 夕食は、スープ、ステーキとマカロニと野菜の付け合わせ、アイスクリーム。飲み物は出なかったが、とりあえずコースになっていた。食後、ハーラルトと装備の点検。アイゼンとキャップランプとヘルメットと防寒具は必携。ピッケルはいらないと言われた。明日の天気を聞くと、「いいはずだ」とのことで安心する。
 すぐに床についたが、なかなか寝付けなかった。暖房は暑いくらいで、誰かがついに窓を開けっ放しにしてしまった。吹き込む風はかなり冷たい。野口さんから頂いた睡眠薬を飲むと、やっと夢の中へ。目覚ましとライトの付いた腕時計は非常に役に立った。


ヘルンリ稜

8月19日:
 3:30 起床。真っ先にトイレへ。
 4:00 朝食。前日、「四時よりも前には朝食は出来ないから、そのつもりで」と小屋のお姉さんに念を押されていたので、起床も食事も出発もこの時間に合わせざるをえなかった。パンとコーヒーの質素な食事(本当はもっと何か出たのかもしれないが、混雑を避けて早く取り付きたかったので、すぐに席を立った)。食事中、同席の男が私の鼻に貼った鼻孔を拡げるテープを見て、
「んなもん、10分でダメになるさ」
と言い、テーブルがドッと湧いたが、こっちは気休めでやってんだ、大きなお世話だ、と思った。たぶん緊張をほぐそうとして言ったのだとは思うが。食後、ガイドのハーラルトを捜すと、
「準備オーケーだ」
と言って出発した。
ヘルンリ稜の最初の一歩

 4:10 取り付き。キャップランプの光で足下を照らしつつ、最初の固定ロープへ。


このロープから取り付く 横を登ってもいい


一番乗りかと思ったら、既に二〜三パーティーが取り付いていた。二つ三つクーロワールを越えて、稜線よりも若干左寄りを登る。それから稜に出て、また左よりを登る。




しかし私のガイドは経験が浅いのか、やたらルートから逸れたところを登っている。ときどき、
「あ、こっちじゃない」
とか言って引き返すし、浮き石のひどいところは通らせるしで、余計な体力を使わせられる。相変わらず息は苦しいので、「グリ・コラミン」という高山病のための呼吸を楽にするトローチ(実際はキャラメル状。ツェルマットの薬局で購入)を舐めながら登る。
 6:10頃 ソルベイ小屋(4003m)着。


ソルベイ小屋にて


あたりはもうすっかり明るい。本当にここにしか建てるスペースが無かった、というようなところにこの小さな避難小屋は建っている。板は真新しく、建て直したようだった。小屋の前のベンチでひと休みして、息を整えた。
途中のソルベイ小屋からの登攀

ソルベイ小屋を過ぎて朝日が射してきた。ガイドは立ち止まって、
「写真を撮るといい。楽しみながら行こう」
と促した。優しいところは評価できる奴であった。
 ソルベイ小屋の左の壁を抜けると、ほぼ稜線沿いに進む。やたらとフィックスロープが多くなる。ガイド達は「アイリッシュロープ」と呼んでいた。綱引きの綱のような太いロープだ。しばらく登ってアイゼン着用。キャップランプを落としてしまった。気が付くと、既に降りてきているパーティーがいた。昨日の日本人の兄ちゃんだ。
「三時間を切ったかい?」
と聞くと、
「なんとかね」
と嬉しそうに下っていった。


ヘルンリ稜


 更にフィックスのある岩壁、雪田が続き、未体験の高度に息も切れ切れになる。時々立ち止まらないと、立ち眩みのような感じでぼーっとしそうになる。ガイドは
「ゆっくりでいいから、立ち止まるな」
と言うが、そうもいかない。
 8:10 丁度四時間で登頂(4478m)。
マッターホルン頂上


快晴。雪の頂上は狭いが、三百六十度、はっきりとした視界が開けている。すぐそこに十字架の立っているイタリア側の頂上もあった。昨日のアメリカ人が先に着いていた。記念撮影をして、少し飲み食いする。それほど感激はなかった。苦しかったせいだろうか。
 8:30 下山開始。登ってくるパーティーと何度もすれ違うのが煩わしい。向こうもきっとそう思っていることだろう。フィックスの箇所は、ガイドがロワーダウンしてくれた。しかし下りもやたら長い。アメリカ人のパーティと前後しつつ下る。
 11:30頃、ヘルンリ小屋帰還。ベンチに座り込んでしまう。
「登ってきたのか?」
とそばにいた御婦人に聞かれ、
「イエス、イエス」
と息も絶え絶えに答えるのが精一杯だった。昨日下山していた人の「もう二度と登らん」という言葉に今更ながら納得した。落ちついたところで、ハーラルトに例のアメリカ人とそのガイドも交え、とりあえず乾杯。アルコールが入ると下山できないので、ガイドにはビールをおごり、自分はソフトドリンクで。
 昼食を済ませると、ツェルマットまで下山にかかった。




振り返ると、既にマッターホルンは雲に覆われていた。しかし前方には遠くモンテローサやリスカムが美しく輝いていた。途中でドイツ系らしい一家を追い抜くとき、おじさんが
「サロモン! サロモン!」
と私のサロモン社製のシングルシューズを指さして叫んだ。
「いい靴をはいてるね」
と言うので、
「うん、とてもいい靴だよ。実は今朝、この靴をはいて、あの頂上にいたんだ」
と答えると、
「そいつはおめでとう」
と握手を求めてきた。





 下山後、夕食までの時間をツェルマットの町なかををぶらついて過ごしていると、例のアメリカ人にばったり会った。彼の指さす先にはサンダルから靴擦れの跡がのぞき、痛々しかった。
「今はツェルマットで勤務している」とのこと。
「またいつか、どこかで」と、笑顔を残してお互いに別れた。  夜はみんながステーキハウスでお祝いしてくれた。ソースが塩辛すぎたが、水とワインは美味だった。その晩はぐっすりと眠った。

 8月20日:
 ホテルのフロントの兄ちゃん(愛想のいい、感じの良い人だった。みんなにさよならを言ったとき、私をさして「でもお前はまた来るだろう」と笑っていた)に電気自動車で荷物を駅まで運んでもらい、9:10発の列車でチューリッヒに移動。
チューリッヒ

 リマトホフホテル(Hotel Limmathof, Limmatqual 142, tel:01-261-42-20)にチェックインの後、市内を観光。時計塔のある聖堂が多い。シャガールやジャコメッティらのステンドグラスを鑑賞した。裏通りのレストランのラクレット(溶かしたチーズをじゃがいもにかけて食べる)は旨かった。
チューリッヒの裏通り


 8月21日:
 この日もチューリッヒ観光の後、午後の便で日本へ向かう。
チューリッヒの街角


チューリッヒ駅では、飛行機の搭乗手続きと荷物の積み込みが出来るので、朝から手続きを済ませて、身軽な身体で市内を廻り、そのまま空港の搭乗ゲートまで行けた。便利なシステムである。しかしエコノミーの長時間の拘束が待っていた。香港でちょっと観光して、台北でトランジットして福岡空港へ。

 附記:
 帰国して荷物の片づけの傍らEメールを確認していると、マッターホルンの取り付きで会った例のドイツ人からメールが届いていた。名前はヴァルターさんといって、以下のような内容だった。

「長友さんへ。君がマッターホルンに登る前日の8月18日に、名刺をくれたあのヘルンリ小屋で僕たちは会いましたね。その翌日、君がアタックした日は、天気が良かったので、たぶん登頂を果たしたんだと思います。おめでとう! 天気のいい日がそのまま続くことを見込んで、僕は8月23日のアタックの予約を22日に変えたんだけど、残念ながら前日に一晩中雨が降り続き、水が氷に変わってしまいました。それにもめげずに僕とあと四人がガイドを伴ってアタックをかけました。ヘルンリ小屋から既にアイゼンの装着を余儀なくされました。でもその日は氷に鎧われた山をだれ一人としてソルベイ小屋までさえもたどり着けませんでした。八時半にはみんな山を下りました。だから僕は来年もう一度トライするつもりです。個人的な生活でも日本でのクライミングでも、そして新学期にも、全てがうまくいきますように祈っています。では」

 昨年ガイド登山をした知り合い(主婦)は
「宝満山の百段ガンギの石段を延々と登るようなものだったわ」
と言っていたので、少々なめてかかっていたが、やはり4000m峰であり、マッターホルンであったのだ。私自身きつかったけど、状況によってはもっと険悪にもなるのであった。そういえば9月2日発で知人が二人、ガイドなしで登る予定なのだが、心配になった。ともかく、私は上記のメールに次のような返事を返した。

「ヴァルターさんへ。メールをありがとう。私はちょっと高山病にかかったけど、天気に助けられて、あなたと会った次の日に登頂しました(実際はただガイドの後についてっただけだけど)。氷も雪も雨もないよい状態だったので危険は小さいものでした。ところで、あなたの場合はとてもシビアな登山だったようで、お気の毒でした。全行程をアイゼンで登るのはとてもきついことです。でもきっと来年は大丈夫でしょう。アルプスの近くにいるあなたがうらやましいです。私もまたいつか4000m峰を登りたいと思っています。では、すべてが上々でありますように」

 こうして私の夏の山旅は終わりを告げたが、福岡はまだまだ残暑が厳しかった。


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