Interlude2


9月8日(金)
 ベースを撤収。雪の積もった上を歩くのはどうかと思われたが、ほんの数十メートル下には全く雪がなかった。ポーターをしてくれた人たちと前後しながら、12時に双橋渡暇村へ。下は晴れ渡って別世界のようだった。宿では子羊の丸焼きの準備が進んでいた。濡れた装備を庭中に広げて乾かした。深田さんは下に居た間、村の人と観光に出かけたりしていて、「世界うるるん滞在記」の気分だったようだ。楊さんの息子のヤン・サンワくんと、今年も遊ぶ。でも一度相手をし始めると、なかなか解放してくれない。
 夕食後、庭で子羊の丸焼きを囲んで、村中の人たちと大宴会。民族衣装を着せられ、飲んで歌って踊って、夜は更けていった。一昨年もこうしていたことを思い出した。
 
下山の途中、放牧小屋で。左から、楊さん、鐘さん、姜さん
近くに転がっている平たい岩で屋根を巧みに葺いている
ヒイラギブナの灌木の茂る草の斜面を下っていった
ポーターをしてくださった村の方々と休憩中
岩小屋は各所に点在していた
茎に雨水を貯めておく機能があるウォーター・カップ植物
双橋渡暇村の周辺を遠望
麓は名産の沙棘(サージ)の林
双橋渡暇村
トラクターの荷台にヤクの肉を積んで売りに来ていた
楊さんの息子のヤン・サンワくん(4歳)。毎年会うのが楽しみだ
子羊の丸焼きが始まる
村の人たちも集まってきて、賑やかだ
民族衣装に着替えて踊るメンバーその1
民族衣装に着替えて踊るメンバーその2
民族衣装に着替えて踊るメンバーその3
民族衣装に着替えて踊るメンバーその4
メンバーそろって記念写真
お酒と料理と踊りと歌で場は盛り上がる
幼いお友達も踊る。若者たちのノリのよさには驚かされた



9月9日(土)
 再びポーターをお願いして、車で双橋溝の一番奥の紅杉林まで移動し、そこから4,768mの峠を越えて、ピンプン溝に向かう。一昨年のベース地を過ぎると、思い出が蘇って懐かしかった。しかし、3,800mを過ぎた辺りから、雪が。しんしんと降り積もり、行く手はガスに。村人たちを代表して王さんが、「岩に雪が載って滑るし、ガスで道もわからなくなる」というので、戻ることに。紅杉林で水晶を買い、再び双橋渡暇村へ引き返してもう一泊した。晴れれば雪も溶け、何とか峠は越せそうなのだが、夜になっても天気は回復しなかった。
 双橋渡暇村では、溝渕さんの楽しいお話しも伺った。だいぶ前に、三人でアメリカに渡り、中古のシボレーを購入して、約一年かけて北米〜南米大陸を縦断した話。ヨセミテに寄ったり、南米で、6,000m峰からスキーで発滑降した時は、登山靴で足首が安定しないので、ポリバケツを切って靴に差し込んだとのことだった。高原地帯でクラッチがすり減り、溝渕さん一人でクラッチを手にぶらぶらさせながら300km先の町を目指したこともあった。クスコの町中では、プラグの点火のタイミングを高所に合わせる処置がずれて、ボンネットから煙が出始め、開けてみると猛烈な炎が上がり、急いでボンネットを下ろして、必死で消化器の横文字を読んで消したが、その間、大勢の人が遠巻きに取り囲み、警官も怖くて近寄ってこなかったらしい。また、その間に、6,000mの壁の初登ルートも開拓している。洞窟の話も、狭い穴にどのように入ったかとか、身振り手振りで爆笑ものだった。日本の洞窟や南米の洞窟など、精力的に探検されている。「もっと多くの人に聞かせてあげないともったいないですね。本を出されたら、絶対に売れますよ」と持ちかけたが、今はその気は持たれてないようだった。こんな面白い冒険が僅かな人にしか伝わっていないなんて、山好きの人にとっても、そうでない人にとっても、本当にもったいない話だ。後で知ったが、溝渕さんは、「小川山レイバック」や「マラ岩」の開拓者だった。大内さんや柏瀬さんと並んで、日本のクライミングの立て役者なのだった。ミゾーの社長として様々なクライミング製品を開発しているばかりでなく、(帰国してネットで知ったが)5.12台をフラッシングしていらっしゃるようで、アイスクライミングだけでなくフリークライミングの能力もかなりのもののようだ。

紅杉林を過ぎ、一行は峠を目指すが・・・
この雪には本当にまいった



9月10日(日)
 結局天候が回復しなかったので、姜さんが村の車をチャーターして、大回りでピンプン溝に行くことに。急な予定変更に対応できるフットワークの良さは、雪豹体育探検公司ならではのものだ。日隆〜ブンセン〜理県を通って行くのが距離的には近いのだが、すぐ近くの日隆までがすごい渋滞だということで、逆回りで、小金〜マルカン経由で行くことになった。「五時間くらいで着くよ」などど姜さんは言っていたが、結局十時間、車に揺られた。途中、パンクを修理して時間を費やす。昼食は瑪嘉溝で。ここも渓谷の観光地で、姜さんはここの開発に一役買っているらしい。屋外の装飾を凝らしたテントでお茶を飲みながら待ち、建物の中で、地元の有力者で議員をやっているという方も交えて、料理をいただいた。従業員をしている子どもたちが、歌を何曲か歌ってくれたりした。
 マルカンの3,900mの峠を越え、古いチベット風の建物を見たりして、ピンプン溝の分岐へ。ここで9月9日に日本を発った後発隊を待っていたが、来ないので、管理ゲートで「日本人の一行は入渓しなかっただろうか」と尋ねると、どうやら先行していたことがわかった。22時に3,400mのピンプン溝の入り口へ。ここは一昨年入山した場所で、招待所があり、昼間なら出店も出ている。後発隊の車が駐車してあったので、ヘッドランプで招待状など辺りを探し回る。やっと小さな小屋に泊まっているのを発見。
 ここで、山崎くん、小川くん、佐野さん、船山さん、川野さんと合流。
様々な風景を楽しみながら、遠回りのドライブに
しかし10時間もかかるとは・・・
瑪嘉溝に一軒しかないという飯店へ
ご飯が出来るまで、1時間くらい外の極彩色のテントでお茶
王侯貴族?にしてはみすぼらしい?!
昼食時、歌の歓迎。一曲終わるたびにお酒を注いで勧めてくれたのには、有り難かったが参った


チベット風の美しい村




観光名所にもなっているらしい


ピンプン溝への道路の分岐。結構遅くなって通過
ピンプン溝からの一行と小屋で合流



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