ネパール ランタン谷




キャンジン・ゴンパから見るランタン・リルン氷河


2003年12月28日(日)
 熊本空港から関空への空路の景色は最高だ。雪を被った山や鳴門海峡や淡路島の輪郭が青い海にくっきりと描かれている。雲にかかると、飛行機の影が七彩のブロッケンを映している。

(たぶん)四国の上空
飛行機の影のブロッケン現象



 関空で宮崎から来たイシイ氏と合流する。
 ロイヤル・ネパール航空機が動き出した。シンヤ氏が
「この間、滑走路に出たロイヤル・ネパール機が、故障した、といって戻ってきたことがあったらしい」
と笑いながら言った。はっは、何事もビスターリ(ゆっくり)だなあ、と思いつつうとうとしていると機は滑走路に滑り出した。まどろみから覚めると、一周して元の場所に戻ってきていた。
「故障箇所が見つかりましたのでしばらくお待ち下さい」
嗚呼!

 機は大幅に遅れ、上海で一服して、12時間かかってカトマンズに着いた。
 現地エージェントのプルバさんが迎えに来ていた。Harati Hotelに投宿し、イシイ氏の宮崎地鶏を肴に、シンヤ氏が免税店で買ったレミーを飲みながら、明日からのトレッキングに想いを馳せる。



Langtang Trekking Map




Langtang Trekking Map 2




ランタン・リルン その麓を、写真ほぼ中央から右の方に続いているのがランタン谷




12月29日(月)
 カトマンズ空港でヘリを待つ。この時期は朝霧がもの凄く、何時間も待たないとヘリが飛ばない。ようやくヘリに乗り込むと、ゴラ・タベラへ向かう。霧の上に出ると、行く手には既に白く輝くランタンII(Langtang II 6581m)やランタン・リルン(Lanrtang Lirung 7246m)が現れ、徐々に近づいてくる。足下の山並みには、高いところにまで段々畑やカルカ(放牧地)が作られている。今回は尾根を越えるときにも機体があまり揺れなかった。

ランタン・リルン
ランタン・リルン



 ゴラ・タベラ(Ghora Tabera 3000m程)のチェックポストで手続きを済ませ、ガイドのソナム、サブガイドのタシ、ポーター達と顔合わせをする。
「よろしくお願いします」
「どうぞ、よろしく」
 日に焼けた笑顔が頼もしく映る。
 途中で昼食を食べる頃から、僕は気分が悪くなってきた。軽い高山病だ。ダル・スープ(豆のスープ)が喉を通らない。

ゴラ・タベラ(Ghora Tabera 3000m程)
トレッキング開始!




左手には岩壁が。その上にランタン・リルンがある
右手にはナヤ・カンガ(5846m)の山並み



 更に歩くと、正面にツェルコ・リ、左手の岩山の奥にランタン・リルンが見えて、ランタン村(Langtang 3500m)に入る。草原に水車があったりゴンパ(お寺)が望めたりと、いい雰囲気だ。足下の地面も地衣類に似た何かの植物で絨毯のように覆われている。
「こりゃ、コケモモの一種じゃないか?」
 シンヤ氏が呟いている。
 花の季節は、さぞや美しいに違いない。
 シャングリラ・ロッジに宿を定める。
 背後には岩山が立ちはだかり、その上にランタン・リルンが覗いている。岩山には、ランタン・リルンへのアプローチがあり、旗が幾つか立っている。とても急な岩のアプローチだ。かなり厳しい山である。
 それからすぐに高度順応のために、近くの丘に登った。高度差200mくらいはあったろうか。

 夜はとても風が強かった。



正面にはツェルコ・リが顔をのぞかせる


ランタン村。ここまで来ると、ガンチェンポ(6387m)も見えてくる




ランタン村に入る。
水車




12月30日(火)
 朝起きると、同宿のテツジ氏が、
「胃がむかつく。これ以上は登れない」
と言っている。ひとまず下って登り返すことを勧める。僕が一緒に降りてもよかったが、シンヤ氏が
「私が一緒にゴラ・タベラあたりまで降りる」
と言っているので、お願いする。二人はポーターを一人伴って下り、その夜はゴラ・タベラに宿をとり、周辺を散策したようだ。

 僕とシュウコさんとイシイ氏は、予定通りキャンジン・ゴンパを目指した。
「今日はキャンジン・ゴンパまで行って、キャンジン・リ(4773m)に登ろう。明日はツェルコ・リ(ほぼ5000m)だ」
 ガイドのソナムはそう言って白い歯を見せた。
 小高い丘に上がると、マニ石の列が続く。行く手の遙か向こうには左にツェルコ・リ、右に峻険なガンチェンポ(6387m)の白い頂きが聳えている。

ランタン村を振り返る
マニ石を右手に過ぎてゆく




途中の村
古い石積みの家が建ち並ぶ




村の子ども達
Laja カルカ の付近。道の中央にあるのはマニ石



 ムンドゥー、シンダム、といった村を過ぎてゆく。左の方はずっと岩山が続いている。その上に、ランタン・リルンのリッジの一部が、真っ白な輝きを覗かせている。
 その手前の岩山を指して、
「これはホーリー・マウンテンだ」
とソナムが言う。
「どういう由来があるんだい?」
「冬になって他の山が全部雪に覆われても、不思議とこの岩山だけは雪が全く付かない」
 たしかに彼の言うとおりだった。
「だから僕たちは、この山をホーリー・マウンテンとして崇めてるんだ」

 ヤンブーを過ぎると、天空から溢れた水がそのまま蒼く凍り付いたように見えるのがランタン氷河だった。ランタン・リとキムシュン(6745m)の間に静かに光っている。

Langtang Trekking Map3




キャンジン・ゴンパが次第に近づく
ランタン谷の上流



 ランタン氷河を仰ぎながら橋を渡り少し登ると、岩の庭園のようなたたずまいになってくる。ゴンパのチョルテンがたなびいている。お昼にキャンジン・ゴンパ(3800m)に着いた。ガンチェンポを背景に、十数軒の真新しいロッジが建ち並んでいる。その一つのマウンテン・ビュー・ロッジの中庭で、陽に当たりながら、ヤクのチーズのかかった大量のジャガイモをたいらげる。カラスのような黒い鳥が多い。ロッジの屋根の上には、ランタン・リルンの白い頂が顔を覗かせている。

キャンジン・ゴンパ
キャンジン・リの前衛峰(4520m)



 食後、僕たちはキャンジン・リを目指した。しかし時間が足りないので、前衛峰(4520m)まででやめることにした。日本人のツアーの一行や、これも日本人の女の子が、それぞれガイドを伴って登っている。道は草の斜面をだらだらと続いている。途中で僕たちもポーター達も歌を歌ったりした。
 前衛峰の頂上は岩がごつごつして、チョルテンがはためいていた。ランタン・リルン、ランタン氷河、ヤラ・ピーク(5033m)、ナヤ・カンガ(5846m)、ガンチェンポ(6387m)、ツェルコ・リ・・・。風の中で周囲の景色に目を奪われながら、僕たちはひとときを過ごした。

キャンジン・リの前衛峰の登り
ピークにて



 山を降りると、僕たちはゴンパに立ち寄った。鍵が掛かっていた。
「僧たちは村にいて、時間になるとゴンパに通うんだ」
ソナムはそう言った。すぐ傍のマニ石を、タシが読み上げて解説してくれた。
「タシは7年間、僧をしていたことがあるんだよ」

 この頃から僕は頭痛と悪寒を感じていた。ロッジに戻ると倦怠感が襲ってきた。一眠りしようと思ったが、3年前にアイランドピークのベースで高山病になり、500m下ったチュクンで三日間過ごして回復しなかったことを思い出し、一気に1000m下った方が後々良策だと考えた。
「僕はすぐに下るよ。ランタンまで下れば、さっきのピークから1000m下ったことになる。それが一番いい。たぶんこのキャンジン・ゴンパでは、今夜は寝るのは無理だ」
 薄暮の迫るロッジでソナムに告げた。
「今日、今から下るのか」
「そうだ」
ソナムはしばらく考えていたが、
「じゃあ、今すぐ出られるか? ポーターを一人付ける。ヘッドランプは持ってるか?」
「大丈夫だ」
 こうして、シュウコさんやイシイ氏と別れの握手を交わして、僕はポーターのチョアムを伴って、暮れかかった山道をランタン村へと下っていった。途中で日が暮れたが、空にかかった半月は十分に足下を照らしてくれた。随分下って振り返ると、ガンチェンポの上空に、恐ろしいくらいに輝いている星座が見えた。
「あの星を知ってるか? 四角にあれとあれと・・・それから真ん中に縦に三つ、あれとあれが・・・」
「知らない」とチョアムは言った。
「あれはオリオン座と言うんだ」

 ランタン村のシャングリラ・ロッジで部屋を貰って荷物を置くと、痛む頭を抱えてダイニングルームに行った。ストーブの周囲には、西洋人の女性二人連れ、それとは別にニューヨークから来たという女性、そして彼女達のガイドやポーターが椅子にかけて、話に興じていた。
「どうしたの?」
「高山病でね。さっきキャンジンから降りてきた」
「頭は痛む?」
「ああ」
「アスピリンはどう?」
僕はアスピリンを貰うと、ミルクティーで飲み下した。
 この夜も、風はとても強かった。

12月31日(水)
 起きると高山病はけろっと治っていた。高度を一気に下げたのは正解だったようだ。
 ダイニングルームでニューヨークの例の女性が聞いた。
「よくなった?」
「高度を下げたのと、アスピリンと、みんなの親切のおかげで」
「それはよかった」
「ネパールは何度目?」
「これが初めてよ。ここはとてもいい所ね。ネパールの人たちはとても寛容で、争い事をしてるのを今まで目にしてないわ」
「それは同感だ」
「日本からは何時間で来るの?」
「だいたい9時間くらいかな。ニューヨークからは?」
「バンクーバーに寄って、バンコクに寄って、それから・・・」
「そりゃ大変だ」

 この日は、下にいるテツジ氏とシンヤ氏が上がって来れば、それに合流して、キャンジン・ゴンパまで行く予定だった。もし彼らがランタンで止まれば、僕はここを動かない。彼らがゴラ・タベラに泊まったままなら、僕は下まで降りなければならない。チョアムを伝令として下に向かわせていた。とにかく、12時になったら、僕も下に向かって降りてゆこう。
 それまでの間、ロッジに荷物を預けて、ランタン村の周囲を散策して回った。小高い丘にチョルテンがあったので、もし彼らが登ってくればすぐにわかるだろうと、そこに登ってみた。その丘は、ランタン・リルンで遭難した韓国隊の碑だった。
 そこからしばらく村の様子を眺めた。ゆっくりと眺めると、村の生活も少しは伝わってくる。斜面のカルカからヤクを追っている人々、流れで洗濯をしている女性、荷物を運んでいく人々、畑を見回る赤い服・・・。
 ぼんやりしていると、下の方から街道沿いを、白い馬と黒い馬に乗ってとことこ上がってくる二人連れがいた。偉そうな、しかしどことなく危なっかしげでユーモラスな様子は、見ていて笑いを誘った。更に近づいてくると、どこかで見たような服装をしている。
「おーい!」
手を振ると、こちらに気づいて、応えてきた。
「ほっほーい!」
 シンヤ氏とテツジ氏であった。僕もロッジまで馬に乗ってみたが、なかなか難しかった。

馬で登場!
暮れゆくガンチェンポ



 シャングリラ・ロッジでボイルド・ポテトとゆで卵に塩を付けて食べた。これが一番、喉を通る。ジャガイモはほんとに旨い。それから例のごとく、ミルクティー。
 午後、僕たちはキャンジン・ゴンパに向かった。
 
 夕方、陽が傾きかけた頃に、ロッジに着いた。シュウコさんとイシイ氏は、予定通り、ツェルコ・リに登って、降りてきていた。みんなの正月用の食料を持ち寄って、ガイドやポーター達と、貸し切りになったロッジのダイニングで年越しをした。といっても、これは僕たちの新年であって、彼らの新年は何ヶ月か先なのだが。僕はキッチンを借りて年越し蕎麦をゆがいたが、湯に対して麺が多すぎたのと気圧の関係から、べちょべちょになってしまった。
「この仕事が終わったら、どうするんだい?」
ミルクティーを飲みながらポーター達に聞くと、
「何日か次の仕事までの間、カトマンズに出るんだ」
と彼らはうれしそうに口をそろえて答えた。
 キャンジン・ゴンパの夜は、不思議と、ランタン村よりも暖かかった。



蕎麦をゆがく
夕暮れのキャンジン・ゴンパ




2004年1月1日(木)
 ソナムは、ヘリをここまで呼んであげると言って電話していたが、結局、ランタンでピックアップしてもらうことになった。ランタン村に下る道すがら、僕はたくさん転がっている岩でボルダーのまねごとをしてはタシに写真を撮って貰いながら、一行と前後しつつゆっくりと降りた。
 昼頃にヘリが来た。後で聞いたところでは、人間5人と荷物を積んだ場合、キャンジン・ゴンパまでヘリで飛ぶのは空気の関係で厳しいらしく、ランタン谷が限界だったらしい。
 ともかく、穏やかなランタン谷と気さくなガイド、ポーター達に別れを告げて、僕たちはカトマンズに向かった。
 
ランタン・ボルダー?

カトマンズ観光2004年版



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