Part2 白海子・ロンゲサリ峰
双橋溝周辺図
8月30日(水)
早朝、双橋渡暇村のトイレで大きい方をしていると、地元の人たちが何人も横に並んで用を足し始めた。ポーターをお願いしている村人たちが集まってきたのだ。この個室になってないトイレの仕方は慣れるまで時間がかかった。部屋に戻って荷造りをしていると、柏瀬さんがやってきて、「これでリタイアです」と言った。チェックアウトをリタイアというのは変だな、と思っていると、「体調不良で帰国します」とのことだった。皆残念がり、ひととき、別れを惜しんだ。
朝食後、車で大牧場まで30分ほど谷の観光道路を遡る。10時頃、晴天の下、ベースとなる白海子(パイ・ハイツ。海子とは湖の意味)へと向かう。ポーターをしてくださる村人20人ほどに、重い荷物をお願いする。丸木橋の所在をしばらく尋ねてうろうろした後、橋を渡って登りにかかる。昨年は踏み跡がわからず、雪豹体育探検公司の李慶さん、大内さん、長友で藪こぎをして登ったが、今回は地元の楊(ヤン)さんや王さんを先頭に、踏み跡をたどって(途中で途切れたところもあったが)順調に登ることが出来た。湖から流れ出る水は何段もの滝をなして高差900mを流れ落ち、「冬にはアイスも」と大内さんは目を輝かせて、米子不動などの名瀑を初登してきた溝渕さんを誘っていた。老鷹岩が圧迫感をもって迫り、向かいの連山がカールを見せる。
樹林帯を抜けて灌木帯に入ると、ポーターの人たちが荷物を下ろし始めた。どうやらここでベースを張ると思っているようだった。「白海子!」と叫びながらもっと上の方を指さしても、動こうとしない。楊さんに「ベースの白海子はもっと上だ」という意味のことを伝えると、「上の水は飲めない。おなかを壊す」といったことを言っている。それでもなんとか湖まで上がってもらう。
岩石帯、草付き、再び岩石帯と、標高差900mの高度を稼ぎ、白海子に出た。三方を尖った岩峰に囲まれた透き通った湖に再会したとたん、あまりの美しさに涙が出た。遠くにはアピ山の懸垂氷河が白く輝いている。「またここへ来たんだ」という熱い思いがこみ上げてくる。
村の人たちのほとんども、実はどうやらここに来るのは初めてだったようだ。みんなとても喜んで、湖に石を投げて水切りをしたり、記念写真を撮ったりしてはしゃいでいた。これで、彼らが下にベースを張ると勘違いしていたことも納得できた。彼らは私たちに、知っている日本語で「マツタケ! ジャガイモ!」と喜びの声をかけてくれた。他に声のかけようが・・・、と言っても、私たちだって「ニイハオ!」や「テンチー・ハオ(天気がいい)」くらいしか知らないのだから、お互い様だ。
被ったボルダーが点在し二筋の清流が湖に流れ込む理想的な草原にテントを設営し、大内さん、溝渕さん、長友で、老鷹岩方面の三つの尖った岩峰の取り付きを偵察した。このうち一番左の標高5,300m、高度差700mの老鷹岩は、昨年夏、私たちがここに来た少し後に、スイスの、Swiss Qonglai Expedition 2005 の Christof Looser、Martin Ruggli、Lukas Durr らが9月25日〜10月31日の期間で、7日の登攀で21ピッチで登頂している。グレードは 7a/A3 とのことだ。ただ、姜さんは、「スイス隊はおそらく中国政府に無許可で登っており、四川省登山協会としてはその記録は認めない」とコメントしていた。
左も、真ん中も、右も、どれも手応えのある美しいとんがりで、私たちは「どれにしようか」と迷いつつ、ガレ場をさまよった。右のピークのスラブかクラックがよさそうだったが、スラブは結構立っていて、クラックも近くで見るとチムニーよりも更に広い超ワイドだった。湖の向かいの岩峰は、この三つのとんがりよりも易しそうだ。「あの向かいの峰は、ルンゼに沿ってラインが引けそうですね」などと話しつつ、それぞれがそれぞれの思いを胸にベースに戻った。
鐘さんの美味しい夕食後、目標を話し合った。溝渕さんの提案は向かいの岩峰、長友の提案は三つのとんがりの右端のスラブ。結局、成功の可能性を考えて、向かいの岩峰を目指すことになった。姜さんの通訳で楊さんに聞くと、この岩峰は、チベット語で「ロン・ゲ・サ・リ(long ge sa li)」、中国語で「磐羊聚合 パンヤンジュフィ(pan yan ju hui)」、意味はどちらも「岩山羊が集まる所という意味です」とのことだった。2パーティーに分かれて、日替わりでルートを延ばすか、全員で取り付いて翌日は休養にしてその翌日に再び全員でビバーク覚悟でラッシュをかけるかも迷ったが、後者の案で行くことにした。
大牧場まで車で
村の人たちにポーターをお願いし、出発!
最初の難関?丸木橋
樹林の中で一休み(実は頻繁に休みをとっていた)
向かいの山も素晴らしい眺め
樹林帯から灌木帯へ。急斜面の登り
向かいの尖山子。5,472m
行く手左には5,428mの老鷹岩が被さるように聳えている
右手がロンゲサリ峰。五千数百メートル。中央のコルに白海子が
老鷹岩の末端。手前の岩石帯をひたすら登る
高度を稼ぐと、遠く、懸垂氷河の上にアピ山(右端)が。私たちと入れ替わりに、青木さん率いる山梨大隊が行くらしい
白海子に到着! この辺りはヤクもいないので、草原も水も澄みきっている
老鷹岩(左)と、二つの岩峰。この三つのトンガリは凄い!
老鷹岩の向かいの、ロンゲサリ峰(磐羊聚合峰 パンヤンジュフィ峰)
早速、ベースキャンプ設営。ベースの標高は4,200m以上
反対側から見たベースキャンプ。草地、湖、清流、そして岩峰と、理想的な場所
ガレ場を登って偵察に向かう。まずは三つのトンガリから
対岸のロンゲサリ峰も入念に伺う
私たちの登ったルート(中央から右上する。下記のルート図参照)。後に「沙棘(サージ)」と命名
老鷹岩も、初登ではないとはいえ、まだまだ魅力的なラインが引けそうだった
8月31日(木)
8時に、大内さん、溝渕さん、長友、須貝くんのパーティーで出発。楊さん、鐘さんに取り付きまでのボッカをお願いし、湖を回り込んで、ガレ場を登り、雪渓の取り付きへ。アイゼンは民宿に置いてきていたので、雪渓の上端をトラバースしてルンゼの下へ。
5ピッチまではルンゼを登り、そこからフェースに変わる。
15時ころ、8ピッチ延ばしたあたりで小雨になったため、8ピッチ目の終了点と7ピッチ目の終了点にギアをデポして、下降した。8ピッチ目の終了点は砂が載っているものの、ちょっとしたバンドになっていた。
天気は良好。遠い山並みが美しい
1ピッチ目をフォローする溝渕さん
1ピッチ目は最後がちょっといやらしい
2ピッチ目の出だしの溝渕さん。ルンゼを辿る
2ピッチ目終了点。ここから少し歩いて、3ピッチ目に
歩きで3ピッチ目の取り付きへ
3ピッチ目取り付きからの老鷹岩。特に真ん中の岩峰は、思ったよりとんがっていた
見下ろすと、遥か下にベースキャンプ(中央)が
5ピッチ目をフォローする溝渕さん
大内さん、須貝くんも続く
6ピッチ目をリードする溝渕さん
6ピッチ目は手がかりの多いフェース状
天気も良好で、快適にピッチを延ばしていく
6ピッチ目終了点
眺めも素晴らしい
アピ山が遠く望まれる
空気が薄いので、ギアや荷物の重さにあえぎながらの登攀
ベースは遥か下だ
8ピッチ目をリードする大内さん
8ピッチでデポして、下降。降りると夕方に
9月1日(金)
今日は休養日。外で車座になってくつろいだ。王さん夫婦が昼過ぎに食料の追加を担いで来てくれた。フットボールのようなものを持ってきてくれていたが、姜さんが、「ハミウリと間違えてカボチャを持ってきてしまったようです」と笑っていた。更にみんなで歓談して、ボルダリングなどで遊んだ。15時頃、大雨が降り始め、それが霰に変わった。雷も轟き、近くにも落雷したようだった。夜になっても激しく降った。夜、ミーティング。岩峰に雪が付着し、クライミングどころではないので、明日も雪解けを待つための休養日としようということになった。
ボルダーで遊ぶ
被った手頃なボルダーが沢山!
アプローチが近ければ、ボルダラーで賑わうことだろう
溝渕さんはさすがに身が軽い
山の天候は変わりやすい。あっという間に雪景色
岩にもうっすら雪が
昨日のルートにも雪が付着。溶けるまで待つことに
9月2日(土)
長友は高度障害が抜けきれず、少し頭が痛いので、休養日を利用して一気に下ることにした。午前中、2時間ちょっとで、900mを下って、下の観光道路に。牧場ではヤクのシシカバブーを売っていたが、財布やパスポートなどの貴重品は姜さんに預けっぱなしだったので、草原で行動食を食べ、読書してから再び900mを登り返した。途中、自然に包まれた中で、心が開けていくのがわかった。
麓に降りて、昨年登った牛心山を仰ぐ
麓からの老鷹岩
くつろぎながら登り返した
登り途中からの老鷹岩
向かいの山並み
老鷹岩の下部
老鷹岩の下部岸壁。ここだけでも素晴らしいルートが引ける
ロンゲサリを遠望
老鷹岩下部岸壁
高山植物。薬草として売っている。この大きさになるまでに、何十年もかかっているとか
登りの途中に点在するハイ・ボルダーの一つ
9月3日(日)
雪も溶けたようなので、アタックを開始。5時半に大内さん、溝渕さん、長友、須貝くんで取り付きの雪渓へ向かう。長友リードで最高到達点まで登り返し、12時に到着。「今日中に稜線に抜けて、下降して、少なくともこのバンドまで降りてこれる。ここならビバークも可能だ」という判断で、デポの中からギアを選定し、軽量化でピッチを延ばすことに。この判断が、後で厳しい状況を生むことになる。
バンドから右上する凹角状を登り、稜線直下に左右に延びる垂壁帯に。溝渕さんが最終トライで稜線に抜けるかと思えた瞬間、稜線にあと少しで突然、霰がものすごい勢いで岩肌を叩き始めた。溝渕さんは霰で真っ白になりながら、稜線下のバンドにビレー点を作り、ピッチを切った。長友が追いつくと、溝渕さんは下の須貝くんに「雨具を上げてくれ!」と叫んだが、雨具は下のバンドにデポしていた。ほとんど稜線に達したと思い、溝渕さんと長友が「降りましょう!」と下の大内さんに叫ぶが、「雪が付着して滑るので、斜めに懸垂下降は出来ない! 登り切れ!」という大内さんの判断に従うことにした。大内さんが上がってきたところで長友が数メートル上がり、マッチ箱の下をトラバースして、4,875mの稜線に抜けた。
稜線はノコギリの歯のように鋭く、横になれる場所もない。ビバークのためのガスも食料も下にデポしている。ザックを探るとツエルトが一張りだけあった。ハーケンやカムでセルフビレイを確保し、傾いた岩の上に四人が横一列に並んで座り、ツエルトを被って一夜を過ごすことになった。足下は数百メートル切れ落ちている。特に溝渕さんは濡れたままで、「これは今までで最悪のビバークだ」とつぶやいた。その夜は皆、空気の薄さと寒さと体勢のきつさにほとんど一睡も出来ず、時計ばかり見ながら、時間の経過の遅いのを実感した。
9月4日(月)
天気は持ち直し、朝の空は明るかった。大内さんが窮屈なセルフを外して用を足そうとした瞬間、傾いた岩で頭を下にして転んだ。それを須貝くんがとっさに押さえ込んだ。みんなふらふらだった。8時に下降を開始。長友が先頭で懸垂の作業を行った。途中のデポを回収し、延々と下降を繰り返した。6時間かけて、ようやく取り付きの雪渓の下端に降り立った。
ベースに戻ると、食事を掻き込んですぐに睡眠をとった。夕食の頃起きだし、やっと人心地になった。
四人が登っている間、ベースの和子さんと深田さんは、「湖の流れ出る所で髪を洗ったり洗濯したりして、楽しかった」と言っていた。おそらく彼女たちは、白海子で髪を洗った最初の人間だろう、と笑い合った。姜さんの話では、「観光会社がこの白海子にロープウェイを架ける計画をしてます」とのことだった。こんな楽しみも、あと何年かしたら出来なくなるかもしれないようだ。
9月5日(火)
白海子のベースを撤収し、900m下の観光道路へ。天気は良好。ポーターの人たちが下ろしてくれた荷物は王さんが車で双橋渡暇村へ運び、私たちとポーターの人たちはフリーパスを使って観光シャトルバスで双橋渡暇村へと向かう。双橋渡暇村ではパラソルの下、ビールとナッツやお菓子でくつろぐ。シャワーを浴びて、クライミングの垢を落とした。活躍してくれたドリルはバッテリーの不調で、充電もできず、以後は使用できなくなった。
夜、深田さんのスケッチをもとに、ルート図を作成。ルート名「沙棘(サージ)」。沙棘とは、この辺りの特産の木で、黄色くてとても酸っぱい実に砂糖を配合したりして、沙棘茶を作っている。このお茶はダイエットにいい、とかいうことで、日本の雑誌にも広告が出ている。沙棘という名にしたのは、開拓が「酸っぱかった」こと、終了点のマッチ箱が黄色い岩で沙棘の色に似ていたこと、そして地元にちなんだ名前を付けようということからだ。スタート地点は約4,480m、終了点は4,875m、高度差400m、13ピッチ、IV級とした(ルートの詳細はトポ参照)。
「沙棘(サージ)」400m、13ピッチ、IV級(赤線)
トポ
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