6. 北投温泉から基隆へ

 

 331日は8時起床、なぜかNHK衛星第1放送が入りにくい。代わりに見た台湾語(閩南語)放送には漢字字幕が入り、今まで学習した単語の発音を確認。歌謡ショーでは台湾語歌謡が日本の歌謡曲・演歌に極めて近い旋律で歌われると何か不思議な気分になる。歌詞の意味内容も共通する部分があり、日本語で歌えば十分歌謡曲として通用するだろう。9時にドトールコーヒーで同様に朝食。その後部屋に戻るとカードキーが開かず困ったが、その時ちょうど客室係の人が来て助かった。10時に台北車站から北上する淡水線に乗り新北投まで35元×3。板南線の下にある地下駅から、台湾海峡に臨む淡水河河口の町・淡水と台北市内の中正紀念堂を結ぶ淡水線は全長22.8km。市内中央部の中正紀念堂から先の南へは、新店線と名前を変え新店まで直通運転。新店から市街地の民権西路までが地下鉄で、その後円山から淡水までは地上を走る。地上区間は日本統治時代・明治34(1901)年開業で1988年廃止の台湾鉄路淡水線の跡地を利用し19973月開業で淡水まで所要時間は30分。台北の地下鉄は『鉄道ジャーナルNO.430』鉄道ジャーナル社2002所収の「台北のメトロ」秋山芳弘に詳しい。

円山からは高架線で基隆河を渡り、東側は日本時代の台湾神社の跡地に聳える円山大飯店。次の剣潭では西側に台北最大規模の士林夜市・美食広場の建物を見下ろす。車内放送は女性音声自動で北京語・台湾語・客家語・英語の4言語。前回は台湾語を閩南語と表記したが、まず17世紀以降に福建省南部の閩南系男子が移住し、台湾で原住民女子と混血が進み、その上閩南語各方言が混じり形成された経緯を考えると台湾語(あるいはホーロー語)といってもよいだろう。因みに「ホーロー」は漢字表記が困難でカタカナで示す。その後に客家系が同様に移住。日本人が1945年に撤収した後に入ったのも客家人が多いと言われる。

1025分に北投で新北投支線乗り換え。北投は新北投支線の他、市内南部の古亭で、新店線から分岐する中和線終点の南勢角行き列車の折り返し駅で、3面のホームに4線の線路の大規模駅。支線開業は日本時代・大正5(1916)年に遡る長い歴史があるが一駅だけの短路線。淡水線が6両に対し半分3両の短編成で川崎重工製。女性運転士が乗務し出発進行!線路は複線分あるが、実際は一方だけ使用の単線折返しでゆっくり進む。1035分、新北投で下りると地上出口へ。出口の案内所で妻が日文版(日本語版)の観光案内図や地下鉄パンフレットなどをもらい大変役に立つ。

新北投駅には中国風の大きな門があり記念撮影。台湾には建設時期の違いにより様々な形の建築があり、中国色の強いのが剣潭駅・円山大飯店・中正紀念堂に代表される、巨大で中華風モニュメントを感じる建築。ただ台湾全体の景観に調和するかと言えば、台湾の森林の濃さと大きさに比べると逆に人間の意志の儚さと空しさを感じさせる点で議論の余地があるだろう。

駅正面から細長く続く北投公園南側の縁に延びる光明路に沿って最初のホテルが頂好スーパーマーケット2階の泉都温泉。続いてガイドブック掲載の高級ホテル水美温泉会館。3番目が嘉宝閣。その次がネットの「旅々台北」で見つけた新秀閣大飯店。白温泉と青温泉という2つの泉質を同時に体験可能。1045分、階段を上ったフロントはほとんど日本語が通じないが部屋を見せてもらう。まず64500元の部屋に行くと大きなベッド2つに大きなテーブルとカラオケ装置。続いて34000元の部屋はベッド3つで中央に広い空間があり、窓からは北投温泉博物館が正面に見える。最後に入った隣の3000元の部屋はベッドが2つだが部屋が小さく息苦しい。のんびりする意味で4000元の部屋に決めパスポートを出し現金払い。

部屋に冷蔵庫がないのに気づくが、気温が高くないので気にならない。部屋の浴槽には白温泉が入るが大浴場の様子を見に、階段で上がると3階の上は5階で4階がない。大浴場は1つで白温泉。戻ってもう1つの通路を進むと個室浴場形式の小さな浴槽が青温泉。北投を象徴する青温泉だが高温でこのままつかれるかはかなり疑問。

荷物を置いて1145分に出発。出たところでゴミ出しの住民が収集車を待ち構えている。収集車が日本同様の音楽を鳴らして接近すると、住民達がめいめいゴミを後ろのゴミ受けに放り込むのが日本と違う。確かにこうすると人件費は節約になるが、日本なら危険性が指摘される。新北投駅へ戻り12時にMRT乗車。北投で乗り換えドイツ・シーメンス製の車両に乗り1230分に台北車站到着35元×3。新光三越の隣の店でバッグを見たいとのリクエストで台鉄の基隆行き電車の時刻を調べて出発。お目当ての店は昼休みか何かで閉まり、妻と母は隣の店へ。ベビーカーに乗った佑滋と2人で店の様子を見ながら時間待ち。台湾の警官はカブでなく機車(スクーター)に乗っている。最初の店は結局開くが、一種のブランドで値段が高くパス。

1325分の基隆行き電車で台北発43元×3。両開きドアでステップを一段登るとロングシート座席。隣に座った女性が早速弁当を食べる。MRTでの飲食喫煙等は1500元の罰金だが長距離列車の多い台鉄には弁当の車内販売もあり対照的。電車は各駅停車で車内放送なし。放送がある自強号などの優等列車と違う。途中で乗務員が車内巡回。以前は松山にあった車両基地は東部幹線(宜蘭線)分岐駅の八堵に移転。基隆到着が145分。地下道を通って出口へ。現在の駅舎は特に歴史的意義はないが、建替え前の日本時代駅舎は多くの歴史的事実を見届けた貴重な存在だったに違いない。基隆は雨の街、駅前に立つレインコートを着た蔣介石像は風景に隠れて目立たない。『観光コースでない台湾』片倉佳史、高文研2005によると、台座は日本統治時代のもので、かつては初代台湾総督・樺山資紀の銅像だった。樺山資紀は18744月、陸軍中将・西郷従道に率いられた3650名の台湾出兵の際、北京で大久保利通が行った外交交渉において、台湾の現地連絡係も務める。この本は日本と台湾の関係について、写真を多く使った実証的描写が続き非常に参考になる良著。基隆港の向かいの高台に昨年行った中正公園と観音像が見える。

1858年の天津条約で基隆開港が決まったが正式開港は1863年。1869年にそれまでの鶏龍(ケーラン)の名称が「基地隆昌」から取った基隆に改称。開港地としてKeelungと表記され、日本時代も「きいるん」と呼ばれる。『台湾-四百年の歴史と展望』伊藤潔、中公新書1993によると、日清戦争後の明治28(1895)62日、基隆から東南東に30km離れた三貂角沖の横浜丸で樺山資紀が清国全権・李経芳(李鴻章の息子)から台湾を授受し日本統治時代を迎える。三貂角の北にある澳底から上陸した日本軍は66日に基隆を占領し樺山総督も基隆上陸。67日先遣隊が台北無血入城。清国の台湾放棄に伴い523日に独立宣言を布告した「台湾民主国」の運命は風前の灯と化していた。伊藤潔は諸般の事情で日本に帰化したが、元来は台湾生まれで台湾名を持ち台湾への愛情を的確な日本語で表現し参考になることが多い。まず駅のトイレに行き、1415分黄色いタクシーで仁三路の李鵠餅店へ。ベビーカーをトランクに入れたので使用料が10元かかり80元。

お土産の鳳梨酥(パイナップルケーキ)10個入りパックを12箱買い1200元。(「台北ナビ」によると現在120)その上で沙琪瑪(小麦粉・卵・粉ミルク・麦芽・砂糖・サラダ油を使った軽い菓子で「台北ナビ」によると「おこしの柔らかい感じ」と表現)8個入り120(同じく128)購入。『新個人旅行台湾』の記載と違いクレジットカード不可。現金で支払うと台湾元の手持ちが不足。明日は土曜日、免税店やホテル以外の両替が難しい。何とかなるかもしれないが、後で困ると嫌なので銀行を探す。見つけた彰化銀行では台湾銀行へ行くよう英語で指示され地図をもらう。港に沿って進み、交差点を地下道でくぐり、昨年同様に中正公園方向へ進み、基隆市政府(市役所)の正面が台湾銀行基隆分行(支店)2階の外貨両替は人だかりで戸惑うが、並べた申請用紙順に手続きしていることがわかり、早速パスポートを出して作成し順番を待つ。空港では2686元に手数料20元だが、ここでは1万円が2679元。日によってレートが違うが、空港では4万円換えたので今回はわずかに率が悪い。レシートを見ると1518分手続きで項目「観光収入」、台湾の外貨獲得に貢献。

ただ両替について付け加えると、クレジットカードで支払えばレート自体がよい。華華大飯店のカード払い交換レートは、帰国後届いた明細票によると1万円が3/29分が2718.3元で3/30分が2718.7元。従って1万円あたり40元ほどレートがよい。勿論台湾では現金払いの箇所が多くどこでもカードが使えるわけではないのは日本と似ている。

これで明日の出国まで何とか間に合い、銀行前で記念撮影後、去年も行った廟口夜市へ。豆簽「火庚」は『B級グルメが見た台湾』(文藝春秋編,1989)によると、「豆の粉を細い麺に打った汁そばで独特な風味がある」と記され50元×3、花枝(イカ)蝦仁(エビ)(カキ)入り。肉「火庚」40元は大豆の代わりに豚肉が入る。肉「火庚」米粉50元は米粉入り。「火庚」はパソコンの辞書に該当字がないために合成したが、台湾人の好きな食感の「とろみのついたスープ状態」を指す。Lonely PlanetTaiwan 6th edition(2004)によるとpotageとフランス語を使って説明。隣の美味しそうな猪脚(豚足)100元分買って持ち帰り。佑滋にはコンビニ萊爾富便利商店でおにぎり28元と玩具85元を購入。

B級グルメが見た台湾』は1987年に戒厳令が解除され、19881月に蔣経国が急死し副総統の李登輝が総統に昇格後の出版。今と違ってMRT未開通、ヘルメット未着用のスクーター運転者写真が見える街の風景。食材名称には基本的に北京語使用。1610分に歩いて基隆駅に戻る。士林方面行きのバス乗り場を探すが『個人旅行台湾』の記載位置と違うので駅周辺を探す。駅前にある国光客運のターミナルは大きいが、それ以外の路線バスは探すのが難しい。駅舎を横切り憲兵隊分駐署を越え、出がけに行ったトイレの先に発見。

 

7. 北投の夜

 

 バス時刻表がないといつ来るのか少し不安だが、だんだん行列ができ1630分に基隆客運の士林行きバス到着。バスは前乗りで料金47元×3を最初に運賃箱に投入。狭い市内をすぐに抜けトンネルを抜けると高速道路に入り、快調に台北へ向かう。高速道路といえば前回行った礁渓と台北を雪山トンネルで貫き1時間で結ぶ北宜公路(高速道路)616日開通。海岸沿いに走る台鉄は自強号でも1時間半でかなりのショートカット。台北への道路は市内北側、基隆河に沿って走る。台北101背後の山並みの先が台北動物園。空港からのバスと同じインターを反対側から降りてMRT円山駅を過ぎ、中山北路を左折北上。1710分に剣潭駅前で下車。   

MRTで帰ってもよかったが、士林夜市美食広場前のバス停で北投温泉へ向かう大南巴士218番のバス停を見つけ1730分乗車。台湾のバス停はとにかく人込みで、目当ての確認が必要。最初は空いていて市内の優良バスコンテストでの優勝実績を示す案内字幕が後部座席から読めたが、MRT北投駅から急に乗客が増え満員。新北投での4人下車が大変。18時到着で15元×3

 夕闇迫る北投温泉、台湾最大の温泉で勿論四大温泉(北投・関子嶺・四重渓・礁渓)の筆頭。前回行った礁渓温泉も入る四大温泉だが、どうやら4つ目が礁渓らしく、その証拠に4つ目を礁渓でなく北投温泉より山側の陽明山(日本時代は草山)にする記述も見かける。何回か出かけた韓国釜山の東萊温泉と共通点もありそうだが、大都会に近く山麓で鉄道の便があり、日本統治時代に栄えた点以外には相違点も多い。

 1つ目は歴史で北投の地名は非山地系原住民で、大陸からの移住者と混血して拡散した平埔族の1つケタガラン族に由来。原住民は元々温泉に入る習慣がなく温泉開発が1896年と近代以降となること。2つ目は文化的背景で、温泉浴に興味の薄い大陸渡来の外省人支配の国民政府統治下で1945年以降は積極的に開発されず、観光客の日本人歓楽街としての位置付けこそ韓国と共通するが、韓国人の温泉好きと比べ、台湾では温泉文化が大きな娯楽とならなかったこと。これに変化が生じるのは台湾で週休2日が普及する1990年代以降。3つ目は現実の風景で、平日のせいか温泉街の雰囲気は何か静かでもの悲しく、夕闇迫る北投公園の渓流と緑濃き木陰は人影もまばらで落ち着いている。

 1810分に新秀閣大飯店に戻る。今日の相客は台北市内・師範大学に留学中の日本人学生の一行だけらしい。早速大浴場の白温泉に。入口の札は「男湯」だが裏返すと「女湯」表示。弱酸性単純泉で若干白濁し硫黄の香り。『観光コースでない台湾』によると、北投は元々ドイツ籍の商人が火薬に使う硫黄採掘地として着目。続いて個室方式の青温泉へ。強酸性硫鉱線でラジウムを含み青みを帯びた泉質で療養効果も高く、日本時代は日露戦争の傷痍軍人が多く湯治にやって来たと言われる。ここで発見された北投石は、後に岩盤浴で名高い秋田県玉川温泉で再発見。北投石は現在でも温泉浴・健康志向の象徴となり、例えば文部科学省検定済教科書高等学校地理歴史科用『新詳高等地図初訂版』帝国書院,2001にも八幡平東側に記載。

畳一畳ほどの小さな浴槽に、一杯に青温泉が入るが如何せん入浴には熱すぎる。たくさん水で埋めれば入れたかもしれないが、かけ湯程度にしておく。301号室へ戻り妻と母に状況を説明すると、1つしかない大浴場を使いたい。フロントで日本語交じりに交渉すると「大丈夫」と言うことで、佑滋を加えた3名で出かけていく。佑滋もたっぷり白温泉で遊び満足そうに帰ってくる。

 1930分に買物に妻と外出。北投温泉博物館はライトアップ。駅近くの食堂「24小吃」で切仔麺35、魷(イカ)魚「火庚」45元。持ち帰り用にビニール袋に入れてプラ製の器も別にくれる。続いて全家便利商店で佑滋用おにぎり25元×2。台湾のファーストフード「頂呱呱」でフライドチキンセット209元とピザあん入り揚げドーナツ258元で267元。「頂呱呱」も『B級グルメが見た台湾』では「たっぷりと黒コショウがきいているし、衣もカラッとしているし、“ケンタッキー”より肉もたっぷりしていて、おすすめ品」と紹介。

最後に「頂好Wellcome」スーパーマーケット。買物の動線が一方通行で、入口にバーがついた回転ドアが設置。逆には進めずレジ方向へ。台湾のスーパーは初めて、新光三越やコンビニとの比較になるが、台湾ビール37×4、牛乳プリン23、ドリトス22、ヨーグルト26×3、台湾バナナ49、黒胡麻油99419元。同じ物だとコンビニより1割安い。品揃えは豊富で24時間営業は魅力的だが、台北駅のすぐ近くには見当たらず残念。

 2030分に戻って夕食。その間佑滋は自強号の玩具を走らせ、パパの地図を広げ母とお話し。外国へ出ると快調になるのが佑滋の不思議でどう間違っても「丸山台に帰る」とは言わない。自宅に帰っても「次はどこ行く?」と発言。自宅は単なる休息・通過点にすぎない。一体誰に似たのだろうか?

 買ってきた食品と基隆の猪脚(豚足)をテーブルに並べる。切仔麺は少し太い麺だが甘みがあって口当たりがよい。日本好きの台湾人による日本紹介が目的の諸著作の日本語訳『哈日杏子のニッポン中毒』哈日杏子、小学館2001によると「日本のラーメンのスープはどれも塩っ辛いの」ということに。逆もまた真。何か物足りない台湾の麺類というケチのつけ方は可能だが、物事は良い方に考えるのが建設的。素材の味を生かすのが台湾風。魷魚「火庚」はスルメイカを使うとろみスープでカツオ風味。「頂呱呱」のセット類は鶏肉の美味しい台湾らしく、甘いケチャップをつける。そういえば鳥インフルエンザ未発生の台湾は、発生源の大陸と同色で地図表記されWHOに抗議。そのWHOへの台湾加盟を阻むのが他ならぬ中国。更に言うと2003年のSARS騒動の由来も中国。

猪脚(豚足)もスライスされ食べやすい。食事が済むとドリトスをつまみにビール。台湾では日本のビールの人気が高くコンビニでも買えるが、飲みやすい「台湾ビール」は風土に適合。台湾製の煙草は不味くて輸入品に駆逐されたが、おいしい台湾啤酒はちゃんと生き残っているという記述も『B級グルメが見た台湾』にある。ただ非喫煙者の筆者には真偽不明。「台湾ビール」は大麦芽・蓬莱米・啤酒花(ホップ)が原料でアルコール度数4.5度。蓬莱米は『台湾好吃大全』によると、「1926年に台湾総督府は日本のイネを改良して作った新種に『蓬莱米』と名前を付け、インディカ種の在来米と区別することにした」と記載。頂好には様々な台湾の酒があり、今後の研究課題としよう。3日目で色々と疲れて2230分に就寝。

 



後半へ続く |


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