白海子・ワーグルセイ峰(5,300m)初登頂(前半)


ダイジェスト


 三年前、私たちは初めて、その青く輝く湖を目の当たりにした。そんな高みに湖などあるのだろうか、と地元の人たちも半信半疑の、鋭い岩峰に挟まれた稜線を目指し、樹林帯を藪こぎし、道のない岩稜や草付きやガレ場を詰めた。最後の岩場を乗り越えた時、一方が開けた擂り鉢の底に、草原の湖が現れた。私は涙を抑えられなかった。その畔に屹立する固く締まった花崗岩の岩峰群は、左手に鋭く天を衝くとんがりが三つ並び、正面には素晴らしいカンテ、右手には大きな壁が立ちはだかっている。
 私たち、大内尚樹、長友敬一、李慶の三人は、いつかそのとんがりの一つを登りたいと思った。
 翌年、私たちはその湖、白海子の畔の草原にベースを張り、大きな壁の方を登った。しかし、頭の片隅には、その対岸の見事なとんがりが、いつも青空に向かって突き上げているのだった。
 そして今回、私たちはようやく、そのとんがりの一つに取り付くことになった。



2007年8月1日
 福岡空港から上海へ。昨年までは成都への直行便が出ていたのだが、今年は乗り換えで。福岡を10:00に発ち、成都に着いたのは16:00頃。大内尚樹、大内和子、平山敏夫、妹尾佳明の成田からのメンバーもほぼ同じ時刻に到着。雪豹体育探検公司のスタッフ、李慶さん、社長のトウさん、通訳の夏さんに迎えられ、まずはいつもの定宿、ラサホテルに荷物を置く。私たちの遠征は荷物の先送りなどせず、各自ギアとジフィーズなど現地で入手しにくいものを20kg程度に抑えて持参し、現地調達やエージェントで用意できる物(食料、テント、シュラフなど)はスタッフに任せている。身軽な隊である。落ち着いたところで、地元の人が行く水餃子の店で夕食。成都の餃子は種類が多く、この日も20数種類の餃子を堪能した。



福岡空港にて。
一路、中国へ。




上海空港。
上海空港内部。




成都空港。
成都の街中。




成都の下町の水餃子の店にて
大内さんのお土産の法被を着てご機嫌の李慶さん




成都の街を歩く
先発隊メンバーと社長のトウさん(撮影:平山敏夫)。




2007年8月2日
 早朝6:00に成都を車で発つ。いたるところで工事が行われていて、毎年行くたびにその変化の早さに驚かされる。海抜4523mの巴朗(バーロー)山の峠は霰が降っていたが、高度順応のため、少しジョギングをする。ブルーポピーも咲いていた。パンダで有名な臥龍(この辺りは昨年から世界遺産に登録された)、四姑娘(スークーニャン)山の登山基地である日隆を経て、双橋溝へ。王さんの宿、双橋渡暇村に着いたのは21:00頃だった。先客の韓国とオレゴンから来たペアが、「明日、猟人峰を登るんだ」と言っていた。



途中の道には立派なダムが。それに伴い、山の中腹に高速道路も建設中。
地震がない、ということで、橋桁も心なしか細め。




今、中国は、至る所で建設ラッシュ。何度、道路工事で足止めされたことか。
パンダ保護区の臥龍。昨年、世界遺産にも登録された。ここで昼ご飯。




王さんの家に、ネズミを捕るためにあげるんだ、と同行している金目銀目の猫ちゃん。
お花畑やすばらしい谷を見ながら、巴朗山の峠をめざす。




巴朗山の峠。4,000mを遙かに越える。
峠にはチョルテン(チベット仏教の経文を記した旗)がたなびく。




来し方の臥龍方面。
行く手の小金県方面。




今年も出会えた、青い芥子(ブルーポピー)。





霰の中、けなげに咲いていた。





よく見ると、種類が違う花が咲いていたりする。





学名の Meconopusis は、mecon(芥子)にopusis(見える)という意味らしい。ケシ属の花とは異なり、この花からはアヘンは採れないとのこと。





実は、青い芥子よりも珍しい(植物の専門家・大内氏談)赤い芥子。





峠を下ると、四姑娘山の登山基地、日隆の町。一年見ない間にまたホテルが増えている。
日隆の食べ物屋さん。




以前泊まったこともある、日隆の日月山荘。




王さんの宿の食堂。
寝室。






中国横断山脈。横断山脈研究会のサイト(http://www.hengduan.jp/)より。私たちが行ったチョンライ山系は右端。






双橋溝周辺図


2007年8月3日
 王さんの宿から車で30分ほど、大草坪牧場の辺りへ。9:20頃から、丸木橋を渡り、海抜約4,400mの白海子への登りを開始。村の人たちにポーターをお願いして、すでにお馴染みの山道を辿る。樹林帯、草付きの急登、岩稜、お花畑、ガレ場と続く、900mの登り。高度に慣れるようにゆっくりと写真を撮ったり休んだりして、17:00頃に目指す湖、白海子へ到着。昨年登ったロンゲサリ峰、老鷹岩や、今回の目標のとんがった花崗岩の岩峰。そして青く澄んだ湖が、変わらない姿でそこにあった。既にスタッフやポーターの方々が炊事テントや個人テントを張ってくれていた。後頭部がズキズキするので、テントに転がり込んで少し寝た。
 「夕食ですよ〜」の声でテントを這い出したが、気分が悪い。食事の匂いを嗅いだだけで、吐いてしまった。明らかに高山病だ。
 「下ります」。私はそう宣言した。この高度にとどまっていても何もいいことはない。すぐに1,000m以上下りるに限る。そうすれば、数時間でケロリと回復するはずだ。
 「今から?」 もう19:00だ。麓までは900m。途中で真っ暗になるのはわかっている。しかし、早ければ早いほど、次の日程への対応はスムーズに行く。まだ20数日あるのだ。道も十分に分かっている。
 19:20頃、身の回りのものをサブザックに詰め込んで、下山開始。現地スタッフの陳さんも付いてきてくれることに。凄い勢いで下り、最後の樹林帯でしばらくヘッドランプの厄介になった。麓に着いたのは21:00前。牧場の車で王さんの宿に送っていただき、そこで泊まることに。中国語が通じないで困っていると、成都の高校へ行っている娘さんが、英語で通訳してくれた。食欲がないので宿の娘さんが麺をこしらえてくれたが、ほとんど入らなかった。しかしベッドに横たわっているうちに、次第に気分がすっきりしてきた。



すっかり懐かしい場所となった、王さんの宿「双橋渡暇村」。
白海子の麓、大草坪の牧場。




尖山子・猟人峰。韓国・オレゴンペアはこれに挑んでいる。
さあ、川を渡るぞ。




何度渡っても緊張する丸木橋。去年の橋よりはましだったが。
樹林を抜けると急な草付きの登り。




尖山子・猟人峰の頂上(撮影:妹尾佳明)。
夏の空!(撮影:妹尾佳明)。




登りの途中で、背後左手、尖山子方面を望む。





背後正面に広がるパノラマ。





背後右手、左がアピ山、右端が2005年にルートを拓いた牛心山。





行く手の白海子の右側。盤羊聚会(パンヤンジュフイ・ロンゲサリ)峰。こちらは2006年にルートを拓いた。





行く手左側。老鷹岩。この奥に、目指す花崗岩のとんがりがある。





途中、岩稜帯を過ぎる。
真ん中のコルが、目指す白海子。




中央の、岩とシャクナゲの林の切れ目を通過する。
上部の壁際のお花畑。




老鷹岩下部。
花の季節だ。




下部岩壁はクラックが発達している。ここだけでも素晴らしいルートがひける。
老鷹岩が近づく。奥が目指すとんがり。




壁にも美しい花が
ベースキャンプにて。






青く澄んだ水をたたえる、美しい白海子。




 白海子へのアプローチ:大草坪牧場までは、双橋溝入り口から車で50分程度。車道の終点の紅杉林までは更に10分程度。牧場の少し上流の丸木橋(時期によって流出したり場所が変わっていたりする)を渡り、老鷹岩と磐羊聚会峰に挟まれた斜面を、900m程登る。




白海子アプローチ(写真)






白海子アプローチ(図)







白海子鳥瞰図




2007年8月4日
 起きると、頭痛は治っていた。お腹は少し不調。朝食をはさんで、下の娘さんが日本語の五十音図を持ってきて、発音の仕方を教えてくれと請われるままに、ひらがなのお勉強。その後、再び車で牧場まで送っていただく。途中、猟人峰の下を通った時、王さんが、「彼らが登っている!」といった意味のことを言って、指さした。例のペアだ。車は牧場に着き、9:20に登り始める。14:00頃に白海子に着くと、大内、平山、妹尾で、ルートを2ピッチ試登している最中だった。ライン取りは、私が想像していたのと全く同じだった。「いい線をついてるなぁ」と感心する。1ピッチ目はスラブからクラックにつなげるのだが、このスラブがつるつるに磨かれていて、このルートでもかなり厳しいムーブを要求するものだった。2ピッチ目は、出だしの被り気味のクラック状が少し厄介だったが、そこを抜けるとゆるい傾斜で、バンドにいたる。三人はそこにデポして来たのだった。
 暗くなる頃ベースに戻ってきた彼らに聞くと、「午前中は高度障害で頭が痛かったんですが、昼から行こうということで・・・」とのことだった。



老鷹岩(左:2005年にスイス隊が登った)、無名ピーク(中:未踏)、私たちの目指すワーグルセイ峰(右:未踏)。





更に接近。





三つのとんがりと磐羊聚会峰の間の峰。これも素敵なカンテを見せている。





盤羊聚会(パンヤンジュフイ・ロンゲサリ)峰。





ベースキャンプと三峰。





白海子左手。
白海子正面。




白海子右手。
ベース。









ベースの草地のクッション植物。ここまで大きくなるのに何百年?




エーデルワイスの一種。
クッション植物が多い。


2007年8月5〜7日
 雨のため、停滞。ボルダリングをしたり、王さんが若者とスイカを持ってきてくれたり、雪豚という、ベースの周囲の草原に穴を掘って暮らしている動物を捕まえに駆け回ったり(結局捕まらなかったが)。私たちの目標の、三つ並んだ尖った岩峰の右端は、「ワーグルセイ(Wagrusei)峰」だと王さんに教わった。雄大で尖った峰という意味らしい。左の「老鷹岩」は、中国側スタッフの話だと、2005年にスイス隊が、道路側、つまりここ白海子の裏側から成功している(と、ポーターを勤めた地元の人も言っている、とのことだが、でも彼らのルートを示す写真が、白海子側からのものであるのはどういうわけだろう? Lukas Durrの記録ーJapanese Alpine News Vol.7 May 2006, p.230−では、south faceとなっていて、それだとやはり白海子側からでいいような気もするのだが)。真ん中の無名峰も「ワーグルセイ(Wagrusei)峰」と並んで未踏である。湖の反対側の磐羊聚会(Pan yan ju hui)峰、チベット名ロンゲサリ(Long ge sa li)峰は、頂上は未踏だが、昨年私たちが稜線に抜ける「沙棘(サージ)」ルートを拓いた。



ベース風景。
雨の合間は外で食事・お茶。




周囲には、ボルダリングに手頃な岩がたくさん。
ハングした岩で雨を避けて歓談。




ベースとワーグルセイ峰(撮影:妹尾佳明)。
スラブのボルダー課題(撮影:妹尾佳明)。


2007年8月8日
 早朝から、一時間以上ガレ場を登って、「ワーグルセイ(Wagrusei)峰」に取り付く。今回は3ピッチからの開拓だ。3ピッチ目は、つるつるのスラブ状フェースをエイドで登り、クラックをたどる。4ピッチ目は、白い石英の帯が斜めに走った壁で、帯の下を左にトラバースしてから、小さな手がかりを使って直上し、逆層に被った段差の付け根を辿っていく。最後に段差を乗り越して終了。5ピッチ目は、フレーク状に岩が重なり、短めのピッチで広目のバンドに上がり込む。このバンドは、壁に背中をもたれて座ることができ、よいビバークサイトになりそうだった。この下には、白く四角に岩が剥がれた場所があり、私たちはそれを「豆腐岩」と呼んで目印にしていた。6ピッチ目は、スラブを左に登って、やさしめのクラックを辿れば、小さなバンドに達する。6ピッチ目まで伸ばし、5ピッチの終了点に戻ってビバーク。岩にもたれてのビバークだったが、晴れていて快適だった。ただ、時々、遠雷が光り、ちょっと気が気ではなかった。

2007年8月9日
 ツェルトをたたみ、更にピッチを延ばした。6ピッチ目を再び登り、7ピッチ目はスラブ。それを40mほど登ると、バンド状に。左側には二枚の岩が重なってハング状になっている。私たちはこれを「センベイ岩」と呼んでいた。8ピッチ目はそのセンベイ岩の上に上がり込むのだが、ちょっとムーブを要求される。それからセンベイ岩の上のガリー状を50m一杯になるまで延ばして一旦ピッチを切った。次のピッチは、さらにガリーを詰めたが、大きく左から右に折り返すことになりそうだったので、もときた箇所を再び下がって、右によい突破点を見つけた。8ピッチ目の終了点を最初とは低い位置に打ち直し、9ピッチ目は右の方にトラバースして、フェースをエイドを使って上がり、斜上バンドからガレ場に抜けた。ここもビバークには適した場所だった。ピンプン溝に移動する予定も迫り、天気も心配なので、そこから下降。取り付き直前から雨が降ってきた。ベースに戻り、カレーに舌鼓を打った。ピンプン溝の5,513m無名峰が終わったら、再びこの双橋溝に戻り、別の岩を偵察・試登する予定だったが、むしろここ白海子に戻って、「ワーグルセイ(Wagrusei)峰」を登ってしまおう、ということになった。

2007年8月10日
 白海子のベースを撤収し、王さんの宿に戻る。例の猟人峰を狙っていた韓国とオレゴンから来たペアは、悪天で下山していた。「落石がひどいんだ」と英語で言っていた。私たちは、お互いのギアを見せ合い、即席の品評会が始まった。「日本のボルトは重いね。私たちのはこれだ」彼が見せてくれたのは、トランゴ社のアルミリベットと回収式のハンガーのセットだった。「明日、成都に戻る。今回はもう使わないから、買わないか?」というので、サンプルとして、1セットだけ購入した。



お花畑に寄って下る。
ここはどこも花の宝庫で、大内隊長が撮影を始めると、一行はほとんど動かなくなる。








樹林帯では、いつもの滝が見える場所で一休み。ここでも大内隊長の長い長い撮影タイムが・・・。
サルオガセも繁茂していた。




下り最後の湿地帯。
そしてやっぱり緊張の丸木橋。




道路に降りて、王さんの迎えを待つ。ポーターの人たちは何時間も前に荷物と共に王さんの宿へ。
王さんの宿での夕食。ホッとする時間。




ギアの品評会?(撮影:妹尾佳明)。
オレゴン・韓国ペアと(撮影:妹尾佳明)。




いつもお世話になっている、お向かいのヤンさん(撮影:妹尾佳明)。
今回は他の仕事が忙しくてポーターはしてもらえなかったが、ヤンさんのお宅で蜂蜜をご馳走になった(撮影:妹尾佳明)。


2007年8月11〜12日
 双橋溝を詰め、峠を越えて、ピンプン溝(Bi Peng Gou)へ。

4,768mの峠越え:双橋溝からピンプン溝(Bi peng gou)へへ続く。


2007年8月13〜18日
 後発のメンバーもそろい、ピンプン溝5,513m無名峰溝にアタック(Bi Peng Gou)へ。

ピンプン溝5,513m無名峰開拓へ続く。


2007年8月18〜19日
 ピンプン溝(Bi Peng Gou)から車で大回りして双橋溝へ。双橋溝の偵察。

Interludeへ続く。




2007年8月20〜24日
ワーグルセイ初登頂(後半)へ続く。




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